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農医連携教育研究センター 研究ブランディング事業

33号

情報:農と環境と医療33号

2007/12/1
第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容: (3)農耕地土壌の重金属汚染リスクとその対策
平成19年10月12日に開催された第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「農耕地土壌の重金属汚染リストとその対策」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。

農耕地土壌の重金属汚染リスクとその対策

(独)農業環境技術研究所土壌環境研究領域長 小野 信一

はじめに

わが国では八世紀の始め頃に金属鉱山が発見され、中世末期から近世初期にかけて産業として成立し、江戸期には多くの鉱山が開発された。日本の鉱山が近代的企業形態をとるようになったのは明治維新後で、重要鉱山は政府直轄として規模を拡大していった。このうち銅(Cu)や亜鉛(Zn)は、兵器関連の原料として需要が伸びるとともに、鉱山からの金属鉱石の採掘量も大幅に増大した。

第二次大戦が終わった後は、朝鮮戦争による需要の高まりもあったが、1960年代より始まった高度経済成長にともなって、金属類の需要はさらに拡大する。このような社会の需要に応えるために、地中から大量の金属鉱石が掘り出され、製錬された。また国内鉱山からの採掘量だけでは不足が生じ、海外からの鉱石輸入も増加してきた。

これらの過程で各種の重金属が日本の環境中に放出され、カドミウム(Cd)などの土壌汚染を広げることになる。これは、人間が作った過去の負の遺産である。この負の遺産解消のために、今日多くのコストや労力が注がれているのである。

1.わが国の農耕地土壌の重金属汚染

重金属の正確な定義はないが、一般的には、比重が4~5以上の金属の総称ということになっている。このうち、土壌の汚染が問題になる重金属は、カドミウム、銅、ヒ素(As)、亜鉛、鉛(Pb)、水銀(Hg)、アンチモン(Sb)、クロム(Cr)などである。

重金属による土壌汚染は、そのほとんどが水系あるいは大気の汚染を通じて発生し、ひとたび土壌が汚染されると、重金属を取り除くことは容易ではない。

わが国で、1970年に制定された「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」で特定有害物質に指定されている重金属は、銅、カドミウム、ヒ素の3元素である。これまでに、これら3元素が引き起こした土壌汚染の主なものは次のようである。

足尾銅山から流出した銅によって渡良瀬川流域の水田や畑の土壌が汚染されたいわゆる足尾鉱毒事件は、明治時代の中期に起こり、わが国の公害問題の原点ともいわれている。また神通川流域に発生したイタイイタイ病の原因は、上流の神岡鉱山から神通川へ流出したカドミウムにあることが指摘された。

その後、全国のいくつかの場所で、上流に鉱山がある川の流域において農用地のカドミウム汚染が問題となってきた。また、亜鉛や銅の製錬所から出た排煙は、近隣の農用地の土壌をカドミウムで汚染して問題となった。九州や山陰地方にある一部の鉱山から排出されたヒ素は、鉱山周辺の農地の土壌を汚染して水稲の生育に、また井戸水などを通じて人の健康に被害を及ぼした。

環境省(以前は環境庁)では、農用地の土壌に含まれるこれら3元素の量および農作物中の濃度などの調査を続け、公害防除特別土地改良事業などの実施で、客土による対策事業を実施している。現在では、農用地の汚染がもっとも問題となっている重金属はカドミウムで、その汚染対策が急がれている。

2.カドミウム汚染の現状と対策

1)カドミウムのリスク管理に関する内外の動向

カドミウムは植物にとって必須元素ではないが、作物の種類によっては根から吸収したカドミウムを可食部まで移動させるものがある。1968年にイタイイタイ病とカドミウム汚染の関係が指摘され、当時の厚生省(現厚生労働省)は、1970年に食品衛生法に基づく食品?添加物等の規格基準を改正し、玄米に含まれるカドミウムは1.0mg kg-1未満でなければならないとした。

いっぽう当時の食糧庁は1970年に、玄米のカドミウム濃度が1.0mg kg-1以上のものについては政府買い入れの対象としないこと、1.0mg kg-1未満のもので政府買い入れ対象となった玄米でも、0.4mg kg-1以上のものについては非食用として処理(工業用の糊などに利用)する方針を決めた。その後1971年に「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」が施行され、これ以後、玄米のカドミウム濃度が1.0mg kg-1以上となる水田を対象に客土による対策事業が実施されている。

環境省の調査では、これまでにカドミウム汚染地域として指定された農地は全国で6,000haを超え、このうち現在までに80%以上で対策事業が完了し、さらに残りの農地についても、続けて対策事業が実施されている。

1990年代になって、国際的にカドミウムの食品汚染が問題視されるようになり、1998年にはCodex(FAO/WHO合同食品規格委員会)において農産物のカドミウムの濃度に関する予備的な原案が提案された。

その後、毎年審議が繰り返され、2005年の総会で小麦、ばれいしょ、豆類(ダイズを除く)、野菜類の基準値案が採択された。また2006年の総会で精米の基準値を0.4mg kg-1とすることが採択された。

2)汚染土壌への対策技術

(1)客土

客土は、非汚染土壌の投入により汚染土壌から作物根を遠ざけることをねらった土木工法であり、その効果は大きい。しかし、コストがかかること、客土資材(非汚染土壌)の確保が難しいなどの問題がある。

(2)水管理と資材による水稲のカドミウム吸収抑制

カドミウムは、湛水して土壌が還元状態になると、硫黄(S)と結合して硫化カドミウム(CdS)となって水に溶けにくくなるが、落水して土壌が酸化状態になると、硫酸カドミウム(CdSO4)となってイオン化して水に溶け出す。したがって、できるだけ水田に水をはって土壌が乾かないようにすれば、カドミウムが水に溶け出すことがないので、水稲のカドミウム吸収は抑制される。

(3)ファイトレメディエーション

土壌中のカドミウムを効率的に吸収する植物があることが、以前から知られている。たとえば、キク科のセイタカアワダチソウやアブラナ科のグンバイナズナはカドミウムの吸収量が多いといわれている。また最近では、イネ科のソルガムやアオイ科のケナフなどもその例としてあげられている。これらの植物をカドミウムで汚染された耕地に栽培すれば、土壌からカドミウムを吸収除去することができる。この技術は、現在ではファイトレメディエーション(Phytoremediation)と呼ばれ、環境にやさしい土壌修復技術として注目されている。

最近、(独)農業環境技術研究所では、インド系品種や日?印交雑品種においてカドミウムの吸収量が多い水稲があることを見いだし、ファイトレメディエーションへの利用を研究している。ファイトレメディエーションのために栽培した植物は、収穫→搬出→焼却というシステムに乗せることにより、焼却灰中のカドミウムを回収することができる。

(4)土壌の化学洗浄法

土壌を塩化第二鉄のような資材と水で洗浄して、土壌中のカドミウムを追い出す方法がある。洗浄後の田面水に溶け出したカドミウムは、ポンプで吸い取られて濾過装置を通過した後、キレート樹脂などにより回収される。洗浄後の圃場では、水稲の生育に問題が生じることはなく、玄米のカドミウム濃度は低減する。

3.鉛、ヒ素、その他による汚染

1)鉛の汚染

鉛に関しては、1970年代まで使用されていた有鉛ガソリンの排気ガス中の鉛が道路沿いの土壌汚染の主要な汚染源であることが、鉛同位体比の研究から明らかにされている。しかし、一般には農作物による鉛の吸収量はきわめて少ない。土壌中の鉛濃度が高いと、そこで栽培した農作物の鉛濃度はやや高くなる傾向にあるが、その場合には根がもっとも高く、地上部とくに子実への移行はほとんどない。また葉菜類などの鉛汚染は、土壌から吸収されたものより大気からの沈着が多いとされている。

2)ヒ素の汚染

土壌汚染防止法で定められた基準値以上のヒ素が検出された地域は、全国で14地域(391ha)となっている。またこれら地域のうち、法律に基づく対策地域として指定されたのは、7地域(164ha)である。ヒ素に汚染された水田では、その毒性により水稲の生育が阻害されるが、玄米へのヒ素の移行はほとんどない。ただし、有機態のヒ素の一部は水稲によって吸収されるようである。最近の研究によれば、有機態ヒ素で汚染された水田の玄米からジフェニルアルシン酸(DPAA)およびフェニルメチルアルシン酸(PMAA)が検出された。しかし、有機態ヒ素の水稲による吸収のメカニズムはほとんど明らかにされてない。

3)その他の重金属汚染

その他の重金属では、亜鉛、銅、水銀、アンチモン、クロムなどが土壌汚染として問題となる。このうち、亜鉛と銅は植物にとっても動物にとっても必須元素であり、かなりの高濃度になるまで農産物の汚染はほとんど問題にならない。また水銀、アンチモン、クロムなどは、植物がわずかしか吸収しないので、農耕地土壌を経由した農産物汚染が問題になることはほとんどない。
第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容: (4)植物による重金属集積と人への摂取
平成19年10月12日に開催された第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「植物による重金属集積と人への摂取」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。

植物による重金属集積と人への摂取
東京大学大学院農学生命科学研究科教授 米山 忠克
1.まえがき

健康な人体の成長と維持のために、人は栄養素の摂取が必要である。人にとって必須な栄養素は主に食物から獲得されるが、人は水を大量に必要とし、水に溶けている成分は食物と同様、経口摂取することになる。今回のテーマの重金属は食物中のミネラルとして、そして水に溶けた重金属として人体に入る(図1)。

図1 食物への重金属の集積と人への接種

人体に入る重金属には、鉄(Fe)、亜鉛(Zn)、銅(Cu)、いくらかのクロム(Cr)やセレン(Se)のように必須栄養ミネラルもあるが、カドミウム(Cd)やヒ素(As)のように、毒性を生じる重金属もある。重金属が人に取り込まれる経路は、主に食物と水を介してであり、後者では重金属は水に溶けた遊離イオンだが、前者では、食物の成分と結合している。魚介類を除き、食物の大部分は図1で示すように、農耕地で生産される。農耕地で生産された食料が直接に、あるいは飼料として家畜に摂取されると畜産物として、人の口に入る。食料や飼料は、農耕地土壌で生産される。土壌には自然賦存(ふそん)の重金属と潅水から、そして肥料等資材に含まれる重金属があり、これらを作物が吸収している。

生物体の植物は、その成長と機能維持のため、Fe、Zn、Cuのような微量必須元素を吸収するとともに、環境(土壌)にあるカドミウムやヒ素等の作物に必須でない重金属も吸収する(図2)。

筆者の専門とする植物栄養学では、植物による重金属吸収のメカニズムや植物体内での機能や毒性について研究している。今回は植物にも人にも毒性を生ずるCdとAsを中心に議論する。

図2 植物と人にとっての重金属の栄養性と毒性

2.植物によるカドミウムの集積

人が摂取するCdは、日本ではコメからが半分くらい、その他の食物からが半分くらいである。

穀物や野菜は、土壌溶液に溶解する二荷カチオンのCdを吸収する。植物が吸収する重金属カチオンにはFe2+、Zn2+、Cu2+、Mn2+などがある。いずれも吸収に働くカチオントランスポーターが同定されているが、Cd2+については、その吸収を特異的に担うトランスポーターが同定されておらず、上述の二荷カチオントランスポーターが付随的にCd2+を吸収していると想定される。

根に吸収されたCd2+は、根細胞外(アポプラスト)で有機酸などのアニオンと結合して根の中心にある導管に移行する。根細胞内(シンプラスト)に入ったCd2+は、グルタチオン、ファイトケラチン、メタロチオネインと結合して、動きは遅くなる。イネでは根に、イネが吸収したCdの90%を集積する。導管を移行したCdは茎葉や子実に至る。

イネの子実(コメ)にはイネが吸収したCdの約1%が分布するが、どのような経路で子実に入るか?、コメへのこの移行を抑制できないか?、興味ある課題となっている。コメへの重金属の移行経路には、導管でコメへ直接入る経路と、導管で葉に送られたCdが、葉で篩管に積み込まれ、篩管を経て、コメに入る経路が想定されていた。

最近の私たちの研究から、導管が接続されていないコメには、接続のある篩管によるCdの移動が重要であり、弱アルカリ性の篩管液中のCdは、遊離イオンの形でなく、イネではタンパク質に結合していることを見出した。さらに根から導管で地上部に運ばれたCdは、最終的にはCdの大部分が篩管でコメに移行するので、おそらく導管のCdは、節などで導管から篩管へ移行していると推定された。この導管から篩管への移行(xylem-to-phloem transport)は他の栄養元素でも認められる。葉の中でCd2+はファイトケラチン(PC)やメタロチオネインと結合、コメではタンパク質のグルテリンと結合していると考えられている。

コメへのCdの集積を減らすには、根によるCd吸収を抑制することとコメへの篩管によるCdの移行を抑制することが考えられる。葉菜類のCd集積を減らすには根が吸収する可給性Cdを少なくし、導管による根から葉部への移行を抑制することである。

高濃度Cd地帯でCdを高濃度に集積する植物(hyper accumulator)が発見されているが、いずれも植物体のサイズは小さい。しかし吸収したCdを無毒化するシステムをもっていて、Cd汚染地に生存できる。このような無毒化の機構をサイズの大きな植物に付加すれば、Cd汚染土壌を浄化することができる(phytoremediation)と考えられる。

3.植物によるヒ素の集積

As汚染地域における人が吸収するAsは、主に飲料水からであり、食物に含まれるAsは少ない。農薬などとして施用されたAsは食物に吸収されて、人に移行する。地下水がAsで汚染したバングラディシュでは, 飲料水と、地下水の灌水によって栽培されたイネ、コムギ、野菜にAs汚染が報告されている。

植物が吸収するAsはヒ酸(H3AsO4, H2AsO4-, HAsO42-)で酸素と結合したアニオンであり、リン酸に似ているAsVと、中性のAs(OH)3の形をもつ亜ヒ酸AsIIIである。植物が吸収するアニオンのミネラルにはホウ酸(B(OH)4-)、モリブデン酸(MoO4-)、中性のミネラルにB(OH)3やイネが特異的に吸収するケイ酸(Si(OH)4)があり、それぞれアニオントランスポーターやアクアポリンにより吸収される。

ヒ酸は植物細胞膜にあるリン酸トランスポーターによって吸収される。植物体内ではarsenate reductaseによってAsVはAsIIIに還元されSH基をもつファイトケラチン、グルタチオンと結合(AsIII-チオール結合体)し、解毒される。AsVのままのヒ酸はリン酸のアナログであるために、ATP生産などを阻害する。

コメや野菜のAs集積を減らすには、根へのAsの吸収を抑制することと地上部へのAs移行率を減らすことである。

最近ヒ素を高濃度で集積する羊歯植物(Pteris cretica)が発見された(Ma et al. 2001)。

4.カドミウム、ヒ素の人への摂取

食品中のCdは、有機物と結合している。コメへは高システイン含有タンパク質メタロチオネイン様物質と結合して移動し、胚乳中ではタンパク質と結合している。日本の作物重金属分析のパイオニア、北岸らはグルテリンとの結合を報告している(1976)。葉菜類では根からクエン酸などと結合して葉部に集積し、葉ではSH含有化合物ファイトケラチンなどと結合して細胞の液胞に集積している。

人はタンパク質やファイトケラチンと結合したCdを摂取し、腸ではおそらくCdイオンとして吸収される。食品Cdの吸収率は2~8%と考えられ、食品Feの吸収率60%、食品Znの吸収率75%と比較すると1/10である。最近のHoriguchiら(2004)のレポートによると、Cdの吸収率は年令に関連し、20-30歳では44%、40-59歳では1%、60-79歳では-5.9%であり、全平均は6.5%となった。

食品中Asはファイトケラチンなどとの結合体と無機態のヒ酸であり、飲料水のAsはヒ酸(AsV)と亜ヒ酸(AsIII)である。これらの形で人に摂取される。コメAsのブタへの吸収率は約80%と報告されている(Naidu 2006)。
わが国におけるカドミウムとヒ素の公害小史
カドミウムの慢性中毒による公害病に、イタイイタイ病がある。この病気は、体内のカルシウムが失われる骨軟化症を引き起こす。体のあちこちが骨折し、咳をしたり少し体を動かしただけでも痛むことから、この病名がついた。

これはわが国の四大公害病の一つで、富山県神通川流域で多発した。原因は、神通川上流の三井金属鉱業神岡鉱業所が、亜鉛製錬の後に出るカドミウムを含んだ排水を神通川に流していたためである。

汚染された土壌や水から農作物へカドミウムが移動し、その農作物を長年にわたって住民が摂取したことで発症したものである。この地域では、大正時代初期から原因不明の病気が発生していたが、それらは1968年にカドミウム汚染によるイタイイタイ病として認定された。1974年からは「公害健康被害補償法」により、富山県神通川流域の認定患者に医療救済などの措置が実施されている。

イタイイタイ病が公式に確認されてから、平成19(2007)年で丁度40年。半世紀の歳月が経過した水俣病に次ぐ公害病の一つである。年輩の方にとってこれらのことは周知の事実である。平成19年10月12日に、第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム「農と環境と健康に及ぼすカドミウムとヒ素の影響」を開催したことを機会に、若い人びとにもイタイイタイ病にかかわる事実を継承したい思いで、河出書房新社の「環境史年表:明治?大正、昭和?平成」(2004)を中心に、以下にイタイイタイ病にかかわる史実を年代順に整理してみた。なおここでは、直接イタイイタイ病とは関係のない環境と関わるカドミウムについても列記した。
わが国におけるカドミウム公害の小史

昭和44年
(1969)
カドミウム汚染防止のための暫定対策を通達,飲料水中0.01ppm,米0.4ppm以下。
昭和45年
(1970)
農林省大阪食糧事務所が黒部市のカドミウム汚染米の販売停止を指示。その後各県で黒部米の拒否が相次ぐ。
昭和45年
(1970)
厚生省,米の中のカドミウム濃度の安全基準を決定,精米で0.9ppm未満。
昭和45年
(1970)
北海道伊達町の志村化工の工場排水からカドミウム検出,道が公害防止条例を初運用。
昭和45年
(1970)
鳥取県で松葉ガニの甲羅の「ミソ」から8.75ppmのカドミウムを検出。
昭和45年
(1970)
北海道伊達町?共和村,東京都昭島市?立川市,福井県九頭竜川流域,大阪市東住吉区?生野区などでカドミウム汚染問題が発生。
昭和46年
(1971)
富山地裁が,第1次イタイイタイ病裁判訴訟で原告の主張をほぼ全面的に認め,三井金属鉱業神岡鉱業所排出のカドミウムが主因と判決。大規模公害訴訟で初の住民勝訴。
昭和47年
(1972)
環境庁,カドミウム汚染調査結果を発表。117の調査地区中28地区で安全基準を超えた汚染米を発見。
昭和47年
(1972)
イタイイタイ病第1次訴訟で,名古屋高裁金沢支部が三井鉱山の控訴を棄却,一審の倍額1億4,280万円の支払いを命令。会社受諾。第2~7次訴訟も和解表明。
昭和47年
(1972)
宮城県のカドミウム米約1万俵が,東京方面に出荷済と判明。
昭和48年
(1973)
政府が再興3.40ppmの富山県産カドミウム汚染米を検査前に買い上げ,21トンを消費者に売り渡し済と判明。
昭和48年
(1973)
環境庁,昭和47年度の水田のカドミウム汚染は37地域で基準を超えた。
昭和59年
(1974)
昭和48年度にカドミウムを1ppm以上含有する玄米が発見された地域は19県36地区。
昭和49年
(1974)
富山県が神通川左岸の647haを土壌汚染(カドミウム)対策地域に指定。最大規模。
昭和50年
(1975)
富山県が神通川右岸約350haをカドミウム汚染地区に指定。両岸で1,004.1haとなる。
昭和53年
(1978)
水道の水質基準に関する厚生省令が改定,カドミウムの基準追加等。
昭和60年
(1985)
富山市農協がカドミウム汚染米を販売していたことが判明,問題化。
昭和61年
(1986)
環境庁の調べで,カドミウム汚染農地が59年度から130ha拡大。
平成2年
(1990)
香川県豊島にカドミウムや鉛などを含んだ50万トンもの産業廃棄物が不法に処分され,一部が海に流れ出して環境汚染が進んでいることが判明。兵庫県警が業者を廃棄物処理法違反容疑で摘発。
平成3年
(1991)
国内の乾電池メーカーが国内で生産するマンガン乾電池からカドミウムの使用を全廃。平成4年からはアルカリ電池の水銀使用もゼロ。
ヒ素公害としては、宮崎県の土呂久鉱山でのヒ素中毒が有名である。土呂久は江戸時代から鉱山から銀を採掘していた。その後、亜砒酸を製造する亜砒焼きを行った。亜砒焼きによる毒煙や焼き殻によって、この地域の大気、水、土が汚染されることになった。その結果、生きとし生けるものすべてが被害を受けた。
わが国におけるヒ素公害の小史

昭和元年
(1926)
尾上哲之助が農作物へ砒酸鉛(ヒ素)を使用した場合の残留試験を行う。日本初の農薬残留の研究
昭和24年
(1949)
青森県で砒酸鉛(ヒ素)が井戸水に混入,22人が中毒,3人死亡。
昭和30年
(1955)
岡山県衛生部が森永の粉乳を飲んで死亡したと発表。厚生省の調べで,森永ヒ素ミルクの中毒患者は9653人。死者62人。
昭和46年
(1971)
山形県酒田港の海底から14,000ppmを超える鉛をはじめ,異常な高濃度のヒ素?水銀が検出される。
昭和48年
(1973)
環境庁,宮崎県土呂久鉱山の慢性ヒ素中毒症を第4の公害病に指定。
昭和49年
(1974)
島根県鹿足郡笹ケ谷鉱山周辺がヒ素中毒地域に指定される。7月27日16人が公害病に認定される。
昭和49年
(1974)
宮崎県土呂久の住民23人がヒ素中毒と認定される。認定患者は全部で48人。
昭和50年
(1975)
東京北区で,化学工場跡地にできた団地の土壌から都の平均値の70倍余のヒ素が検出される。
昭和59年
(1984)
宮崎県土呂久鉱山のヒ素汚染で公害病に認定された住民?遺族等が閉山後に鉱業権を継承した住友金属に損害賠償を求めた訴訟で,宮崎地裁は総額5億622万円の支払いを命じる。会社は控訴。
昭和63年
(1988)
健康食品として売られている加工食品の中には天然食品の32倍ものヒ素や鉛,遊離シアンなど高濃度の重金属を含むものがある,と発表。
健康と地球環境の保全: 1.環境を背景にした農と医の類似性
言を待つまでもなく、われわれの健康を管理しわれわれの棲む地球環境を保全することは、いつの世代でも人類の命題だ。ここに「健康と地球環境の保全」と題して、シリーズを掲載する。第1回は「環境を背景にした農と医の類似性」として、われわれの健康と地球環境を保全するためには、農と医を連携させる必要があることを述べる。

なお具体的内容については、「第2回:土壌から考える農と環境」、「第3回:環境から考える医」、「第4回:代替農業と代替医療の必然性」、「第5回:農?環境?医療の連携を目指した科学と教育と実践を」で順次解説する。

大地から、海原から、そして天空から地球の悲鳴が聞こえる

大地から、海原から、そして天空からの痛切な悲鳴が聞こえ始めて久しい。大地からは土壌浸食、砂漠化、重金属汚染、地下水汚染、熱帯林の伐採、鳥インフルエンザなどの悲鳴が、海原からは富栄養化、エルニーニョ現象、赤潮、青潮、原油汚染、浮遊物汚染、海面上昇などの悲鳴が、さらに天空からは温暖化、オゾン層破壊、酸性雨、大気汚染などの悲鳴が聞こえている。地球生命圏ガイアの悲鳴は、いまや慟哭に変わりつつある。

地球生命圏ガイアは、われわれが永続的に生きていくために、少なくとも土壌と水と大気とオゾン層を提供してくれている。しかし、その量たるや驚くほど少ない。われわれの食料を永遠に生産し続けてくれる地球の土壌の厚さは、平均すると約18cmしかない。地球は水の惑星といわれるが、食料生産に使える土壌の水は、地球の18cmの土壌を水で飽和させた11cmにすぎない。われわれが安心して呼吸できる酸素濃度21%の大気のほとんどは、地上約15kmまでの対流圏にしか含まれていない。さらに太陽からの紫外線を防ぎ、生命が飛躍的な進化をとげた貴重な地球のバリアーであるオゾン層は、現在の大気圧で地球表面に濃縮すると、わずか3mmしかない。

われわれ人類、いやあらゆる地上の生命体が、この18cmの土壌と、11cmの水と、15kmの大気と、3mmのオゾン層の恩恵を被って生きている。

これら地球の環境資源(土?水?大気?オゾン)の悲鳴や慟哭は、土壌の侵食、水の枯渇、温暖化ガスの増加、オゾンの減少などという博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@で、衆目の一致するところだ。

このような地球生命圏の変動に対して、多くの国や組織や個人が、政治や経済や産業が、宗教や医学や教育や哲学が、そして芸術までが、なべて躍起になって現象の解明や対策に苦慮している。人の生命を最優先にし、環境と経済が調和できる視座を求めて。

われわれの課題

環境にかかわるこれらの問題は、次の三つの大きな問題を人類に突きつける。ひとつは、人口問題だ。すでにJ.E.ラブロックが、今から四半世紀前の1979年に「地球生命圏"ガイアの科学"」で指摘したように、地球の人口が100億を超えたあたりのどこかで、とりわけエネルギーの消費が増大した場合に、地球に何らかの異変がおこる。

人間圏のサイズは拡大し続けている。地球上には、今や66億の人口がところ狭しと生存している。そのため、あらゆる物的拡大が今も続いている。新しい人間圏が生まれることによって、地球システムの物質循環やエネルギーの流れが変わり、環境がどんどん変化している。

人口増加は、さらに別のテーマをわれわれに突きつける。われわれは、環境倫理と生命倫理のどちらを優先するのか、あるいは両立させうるのかというテーマだ。増加しつつある人口に食料を供給し続けながら、崩壊しつつある地球環境を保全するという、きわめて容赦のない課題にわれわれ人類は直面しているのだ。誤解を恐れずあえて簡潔に言えば、われわれはひとつしかない地球を救うのか、66億人の生命を救うのかという課題に直面しているのだ。

最後の問題は、このような危機的状況にある地球変動が人間生活に及ぼす負の影響だ。干ばつ、塩類化、土壌浸食などによる食料問題、熱射病、紫外線増加、デング熱、マラリアなどによる医療問題は、いずれも人類の未来に暗雲の影を落としている。地球環境の変動は、いつの時代も農業と医療に密接に関わっているのだ。農業と医療の類似性を歴史の上から少し追ってみよう。

農と医の歴史的な類似性

農と医はかつて同根だった。さらに現在でも類似した道を歩いている。その類似性の歴史を簡単に追ってみよう。

まず、人類が儀式を知ったことだ。これは墓所の遺跡から推定される。これによって、人びとに共同を必要とする「衛生」という医学作業の可能性が生まれた。農の場合、古神道に見られるような雨風などの災害を避けるための祈祷の儀式、豊穣と災害回避を祈願するための共同の儀式が生まれた。

続いて文明の誕生である。農の発展が文明を起こし、文明の進展が農をさらに発展させる関係にあった。

医では、ヒポクラテス医学として長く人類の財産になる概念が生まれた。これは病気は神秘的な出来事ではなく、経験と合理の方法で接近できる自然の過程だという概念である。農では、穀類の中で、とくに古い歴史を持つコムギやオオムギが自生から栽培によって合理的に生産できる概念を知ったのは、医の概念と共通する。

紀元前6~7世紀の間に、儒教と道教、仏教とヒンズー教、キリスト教とイスラム教など、人間の魂の解放を目指した哲学や宗教が誕生したことだ。それらが物質面と精神面で医学に与えた影響は計り知れない。その頃、地中海農耕文化、サバンナ農耕文化、根栽農耕文化、新大陸農耕文化、稲作文化が誕生し、農学に様々な影響を与えた。

つぎに西欧ルネッサンスで、外科と解剖学が発達した。生きた生理学と解剖学が始まった。病院医学が開花した。この時代に、ヨーロッパの農業では三圃式や輪栽式農業が開発された。

そのあと起こった産業革命では、働く人びとの病気に医師たちの目が向かったことが特徴である。産業革命は、資本体制下も労働者の生活や健康を悪化させ、公衆衛生学、社会衛生学が発展した。産業革命で増えた労働力のための食料は、輪作農業が支えた。ノーフォーク式農法がフランスとドイツに広がっていった。

19世紀後半以降は、医学では研究室医学が発達し、疫病の病因と予防に焦点が向けられ、病原微生物学、化学療法、免疫学という新しい分野が確立された。生化学が分子生物学と合体し、生命過程に迫る有力な武器になった。農学では化学肥料や農薬の製造が始まり、農業生産は著しく高まった。さらに、分子生物学が隆盛になり、遺伝子組換え作物が作られた。

21世紀に入って、医学はヒトゲノムの塩基配列を解読する全作業を終了した。時を同じくして、農学はイネゲノムの塩基配列を解読する全作業を終了した。農学と医学がゲノム解読を果たした後に、これらの学問が果たす役割は何なのであろうか?それは、環境を通した農と医の連携かも知れない。

技術知が生んだ光と影

大量生産と経済効率をめざした農業は、農地に化学肥料、農薬および化学資材を加え、集約的なシステムへと変わった。その結果、増加しつつある人口に多くの食料を提供することができた。

一方、大量生産のために投与された膨大な資源とエネルギーは、重金属汚染にみられる点的な、あるいは窒素やリンによる河川や湖沼の富栄養化にみられる面的な、またメタンや亜酸化窒素による温暖化にみられる空間的な環境問題を起こした。さらに最近では、ダイオキシンのような世代という時間を超えた環境問題を生じせしめ、人間の健康と地球の環境に多くの問題点をもたらした。

医学においては、微生物学、免疫学、臨床医学、薬学などが発展するなかで、栄養学の進歩とともに多くの人びとが病気を克服することができ、さらには健康の増進に励むことができた。一方、そのために発明?発見された様々な化学物質による、例えばサリドマイドに代表される薬原病などの問題が浮上し、臨床医学をさらに進化させることへの洞察が生まれた。さらには、生態知の一つとも考えられる「人の癒し」などについても、未解決な問題が残されている。

21世紀の予防医学が掲げる目標には、リスク評価?管理?コミュニケーション、疾病の発生予防、健康の質の増進などの課題がある。これらの医学分野における課題と、農学がどのように連携できるかという現代的な問題の解決に取り組むことは、社会の要請に応えるうえで極めて重要だ。

また思い起こせば、われわれの生活には19世紀の半ばから様々な化学合成物質が取り込まれつづけてきた。例えば、無機栄養説で著名なユスタフ?フォン?リービヒの化学肥料、人造染料で名を馳せたウイリアム?ヘンリー?パーキンの染料、夢でサルが手を繋いでいたというフリードリッヒ?フォン?ケクレのベンゼン環をもつ化学物質、化学肥料の源のフリッツ?ハーバーとカール?ボッシュのアンモニア、殺虫剤の極めつき、パウル?ミュラーのDDT、そして、その延長上にはクロルデン、ヘプタクロル、ディルドリン、アルドリン、エンドリンなどDDTと同様な塩化炭素系の殺虫剤と、パラチオンやマラチオンなどの有機リン系農薬があった。そのうえ今では、ダイオキシン類といわれる化学合成物質との生活を余儀なくされている。

われわれはこれらの化学合成物質の恩恵を蒙り、増加しつつある人口に多くの食料を提供し文明を謳歌している。さらに飢餓と貧困を克服し、文明を維持してきた。20世紀は科学と技術知の勝利だった。

しかし、これら技術知の成果は両刃の剣でもあった。文明を豊かにし、食料を大量に生産するために投与した資源?エネルギー?化学合成物質は、地球全体に様々な環境問題を引き起こした。この環境の悪化は、今もなお人間の健康と環境にも影響を及ぼし続けている。 

このような世界の潮流に対抗する考え方はなかったのか。いや、古くから存在していた。有機農業運動の創始者、アルバート?ハワード卿の「土壌と健康」、イーブ?バルフォアの「生きている土壌」、ノーベル賞生理医学賞のアレキシス?カレルの「人間"この未知なるもの」、アルド?レオポルドの「野生のうたが聞こえる」、レイチェル?カーソンの「沈黙の春」、ジェームス?ラブロックの「地球生命圏"ガイアの科学」、シーア?コルボーンなどの「奪われし未来」などがその代表であろう。

今から95年も前の1912年に、ノーベル賞生理医学賞を受賞したアレキシス?カレルは次のような卓見を語っている。土壌は人間生活全般の基礎だから、近代的な農業経済学のやり方によってわれわれが崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。土壌の肥沃度に応じて生き物はすべて健康か不健康になる。すべての食物は、直接的であれ間接的であれ土壌から生まれてくるからである。

アルド?レオポルドは「野生のうたが聞こえる」のなかで、土地倫理の概念を次のように語る。個人は他人と競争するが、同時に倫理観も働いて他人との共同にも努める。土地倫理とは、要するに、この共同体という概念の枠を人と同様に土壌?水?植物?動物、つまりはこれらを総称した「土地」にまで拡大した場合の倫理をさす。

ジェームス?ラブロックの「地球生命圏"ガイアの科学」で強調される概念はこうである。われわれが生きている地球生命圏は、土壌や海洋や大気を生息地とするあらゆる生き物たちの単なる寄せ集め以上のものである。つまり、地球の生物と大気と海洋と土壌は、単一の有機体とみなせる複雑な系を構成しており、われわれの地球を生命にふさわしい場として保つ能力を備えているというものである。生理学者が血液の成分を調べ、それが全体として生命体のなかでどのような機能を果たしているかを見るのと同様な扱いで、現在の大気圏をとりまく空気の成分を解説する視点である。

「沈黙の春」のレイチェル?カーソン、またシーア?コルボーンらの「奪われし未来」の問題提起は既に多くの人びとが知るところであるから、ここでは省略する。

さて、これまで述べてきた科学技術の弊害や予想外の悪影響、あるいは限界の問題はべつに新しいことではないであろう。「矛盾」に繋がる韓非子の故事に、紀元前の中国でもすでに技術の限界を見ることができる。

では、技術知は不要というのか。いや、そうではない。要は、技術知を活用して獲得したより深化した生態知(人類が長い時間を通して実際の生活の場から観察?獲得してきた知恵も含む)と、この技術知と生態知を統合した統合知なるものを確立することが必要なのではなかろうか。20世紀には、原子力、化学物質、微生物、医療、遺伝子工学などの科学技術がそれぞれ別個に花開いた。しかし、これらが内包する弊害や危うさが一部顕在化したのである。

21世紀には遠からず先覚の警告や反省が実り、生産性、利益や優位性のみの追求は終焉すると思われる。世界の科学技術の行き過ぎやほころびの修正を、上述した生態知と統合知の活用により進めることが必要であろう。

20世紀の技術知が生んだ結果は、われわれが生きていく21世紀の世界に、環境を通した農医連携の科学や教育が必要不可欠であることを示唆している。病気の予防、健康の増進、安全な食品、環境を保全する農業、癒しの農などのために、すなわち21世紀に生きる人びとが心身ともに幸せになるために、農医連携の科学や教育の必要性は強調されてもされすぎることはない。医食同源という言葉があるにもかかわらず、これまで農医連携の科学や教育がそれほど強調されなかったように思われる。

わが国の生命科学のパイオニアを標榜する博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@には、農学系、水産系、医療系、生命科学研究所などの教育?研究分野があり、生命における生態知と統合知を確立する素材がある。そこで、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@では二年前から農学と医学を連携させる統合知、すなわち農医連携の教育と研究を推進する企てを開始した。

今、様々な方法でそれらの情報を提供している。農学の新たな教育および研究の展開方向の一例として、その内容を以下に紹介する。関心のある方は、参考にしていただければ幸いである。

  1. 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム(第1~4回):博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ホームページ、オンデマンド公開
    /jp/noui/spread/symposium/index.html
  2. 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書(第1~3号):養賢堂 
  3. 情報:農と環境と医療(第1~34号):博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ホームページ
    /jp/noui/spread/newsletter/index.html
  4. 農医連携論:平成20年度から開講

代替農業と代替医療

一方、このような農と医の歴史的背景の中で、20世紀の晩年、農学には代替農業、医学には代替医療という概念が時を同じくして生まれてきた。代替農業とは、化学肥料や農薬を中心とした集約的な農業生産に対して、これを代替?補完する農法だ。

代替医療とは、西洋医学を中心とした近代医療に対して、それを代替?補完する医療だ。いずれも生命科学としての特徴がみごとに現れている。

これまでの近代農学と近代医学では解決できない問題が、自然科学はもとより社会科学や心理学の面からも浮上してきたと観ることができる。

なおこの項は、筆者が執筆した「季刊誌楽園、Vol.29, 44-47, 2007、エムオーエー商事」の「シリーズ環境」を一部修正?加筆したものである。記して関係者に謝意を表する。
本の紹介 33:アニマルセラピー入門、太田光昭監修、NPO法人 ひとと動物のかかわり研究会編、IBS出版(2007)
動物の癒し効果については、ギリシャ神話にも登場するらしい。この動物の癒しについて科学的な取組みが開始されたのは1970年代である。今では動物学からの取組みだけでなく、農学、医学、社会学、教育学および心理学など様々な分野からの接近がこころみられている。

動物の癒し効果が、高齢者施設でのレクリエーションに、小学校での学習の動機づけに、サイコセラピー(心理療法)に、さらにはリハビリテーションなどに活用されていることは、すでに世の多くの人の知るところである。この書は、これらのアニマルセラピーに参加しようとする全ての人に向けた入門教科書ともいえる。数多く使われている絵や写真が、理解を深めるのに役立っている。

本書の執筆には、NPO法人ひとと動物のかかわり研究会の理事長である前博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@教授養老孟司氏と、理事であり博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@大学院医療系研究科特別研究員の的場美芳子氏もかかわっている。

本書の内容は、1)アニマルセラピーとは、2)人に恩恵を与えるイヌの力、3)もっと知りたい犬のこと、4)あなたが犬に教えましょう、5)犬といっしょにボランティア、で構成されている。

なお、この「情報:農と環境と医療 5号」でも「人と動物の関係学あらまし」と題して、アニマルセラピーの話を整理している。関心のある方は、こちらも参照されたい。
言葉の散策 15:骨
語源を訪ねる 語意の真実を知る 語義の変化を認めるそして 言葉の豊かさを感じ これを守る

筆者の息子が幼少の頃、萩市の実家によく連れ帰った。私の親父は明治生まれの生粋の長州人であるから、言葉もまちがいなく長州弁だ。初代陸軍大将の大村益次郎も長州の出身だから、明治期の陸軍は、長州弁で満ちていた。

私の親父はその調子で、冬の寒い日に孫に次のように言った。「障子、たて」と。わが息子は怪訝な顔をして、障子の傍に立っていた。再び「障子、たて」。息子の顔には、さらに怪訝な色が深まっていった。親父は「閉(た)て」のつもり、息子は「立て」のつもりでいたのだ。

親父と酒を飲んでいると、親父がしきりに「酒が満てたのう」という。息子は傍でまた怪訝な顔をしていた。親父の「満ちる」は酒がなくなったこと、すなわち徳利の空間の方に意識があり、空間が満ちたと言っているのだ。長州藩の経済感覚だ。減ること、すなわち空間が満ちることが気になる。息子は酒が無くなるのに、どうして満ちるのかと不審だったろう。

そのうち、幕末の長州人に話題が移った。

高杉晋作は、「骨が太い」うえに「骨っぽい」。そのうえ「骨身を惜しまず」働いた。「骨の髄まで」長州人だから、「骨を通した」ことになるのう。

あの高杉晋作や久坂玄瑞を教育するのに、吉田松陰先生は「骨が折れた」り「骨を砕かれた」ことじゃろう。先生の教育には「骨惜しみ」がなく、「骨に染みる」ほど純粋じゃったのう。とくに晋作には、「骨折って手を焼かれ」たことじゃろう。先生の教育精神は「骨に刻む」べきじゃ。

いずれにしても、多くの長州人が「骨を砕き」、「骨身を削り」、「骨を粉にして」、「骨身を惜しまず」、「骨休み」もせず、「骨抜き」にならず、「骨折り損」とも言わず、「骨が舎利になる」まで頑張ったものじゃ。いや、まったく「骨の折れる」革命じゃったわい。

傍の息子は、目を白黒させている。長州人はどいつもこいつも、みんなして骨が折れたり、太かったり、削られたり、砕かれたりしていて、実はまともな奴はいなかったのだ、と思ったかも知れない。

前段が長くなった。今回は、人間の身体を構成する最も基本的な骨について考えてみたい。なにしろ、学内を眺めるに、男子学生が骨っぽくない。むしろ女子学生の方が骨っぽい。

まず、漢字の大元を調べてみる。「字通」の「骨」に「象形。上部は骨。胸骨より上の形。下部は肉。なお残骨を存する形。」とある。「大字源」の「骨」に「会意。意符の肉(月は省略形。にくの意)と、意符の(か)(頭蓋の隆骨の意)とから成る。「コツ」の意は、かたい意(=覈?カク、核?カク)と関係がある。肉中に残る堅いほねの意。ひいて、「ほね」の意に広く用いる。

続いて、生活の中で使われる「骨」に関する言葉を手当たり次第並べてみよう。「骨っぽい」「骨が太い」「骨と皮」「骨に徹る」「骨になる」「骨の髄まで」「骨のない風」「骨の髄(なずき)」「骨を砕く」「骨を粉にする」「骨をさらす」「骨をする」「骨を散らす」「骨を通す」「骨を抜く」「骨が折れる」「骨が本当に折れた」「骨身を惜しむ」「骨折る」「骨に染みる」「骨休め」「骨抜き」「骨まで愛して」「骨がある」「骨折って手を焼く」「骨が舎利になっても」「骨がなければ一所になる」「骨に刻む」「骨にこたえる」

「骨は朽ちても名は朽ちぬ」「骨は盗まぬ」「骨までしゃぶる」「骨やら皮やら知れぬ」「骨を埋むとも名を埋まず」「骨を埋める」「骨を粉にする」「骨を刺す」「骨を曝す」「骨をしゃぶって皿に及ぶ」「骨を通す」「骨を盗む」「骨を拾う」「骨惜しみ」「骨身にこたえる」「骨折り損」「骨身に染みる」「骨身に徹する」「骨身を削る」など。これだけ書いたら「骨に響い」た。

さて、骨に関する諺はどうか。「生きて海月の骨を痛めず」「犬は骨で叩けば吠えない」「命あれば海月も骨に会う」「馬の骨」「嘘は誠の骨」「皮のある内に骨を見よ」「肉を切らせて骨を切れ」「寒林に骨を打つ」「鯨の喉にも骨が立つ」「水母の骨」「心に銘し骨に鏤(ちりば)む」「言葉の下に骨を消す」「米の飯に骨」「死馬の骨を買う」「魂の憂いは骨を枯らす」。骨はきわめて神妙な諺をもつ。骨身に染みる諺が多いのには、骨まで痛み入る。

このように、骨は生体の中でも外でもよく生きている。「日本国語大辞典」の骨の項をひくと、1)脊椎動物の内骨格を構成する、支持器官の一つ。2)特に1)のうち、死んだ者のもの。また、火葬にした死者のもの。こつ。舎利。3)家屋?器具などのしんとなり。全体を支える材料。4)物事の中心。全体を成り立たせている核。また、その事柄やそのような人。核心。本領。5)物事にたえる気力。障害に耐え、意志を貫く気力。また、それを備えた人。気概。気骨。6)労苦を必要とすること。面倒なこと。困難の多いこと。

漢語としては、骨合(骨のぐあい)、骨疼、骨惜、骨董、河骨、骨折、骨折甲斐(苦労のしがい)、骨折酒、骨折仕事=骨折業、骨折代=骨折賃=骨賃、骨折損、骨折分、骨折、骨降=骨正月(はつか正月)、骨貝(アクキガイ科の巻き貝)、骨書(絵の輪郭を示す抽線)、骨書筆(日本画の大型筆)、骨限(力の続く限り)、骨絡(梅毒が全身に広がり、骨髄までも侵すこと)、骨皮、骨皮筋右衛門、骨切(骨を断ち切ること、転じて、自害すること)、骨切歌(鯨の油をしぼるときの女達の歌)、

骨骸、骨組、骨刮、骨師(入れ歯を作って大道で商う者、転じて香具師仲間の隠語)、骨柴(小枝や葉を取り除いた柴)、骨筋、骨高=無骨、骨立=骨張、骨試、骨違、骨違=脱臼、骨番=関節、骨付、骨接=骨継、骨接団子、骨接医者、骨突抜=骨抜、骨切(精いっぱい)、骨節、骨無、骨膾(骨を抜かない魚をそのままたたいて作った膾)、骨並、骨鳴、骨抜、骨盗人(骨惜しみする人)、骨吐(骨を吐き出す壺)、骨離、骨醤(骨と肉を切りまぜて作った肉醤:ししびしお)、

骨筋、骨太、骨偏、骨細、骨骨(ごつごつした感じ)、骨身、骨磨(扇や傘などの骨を磨くこと。また、その人)、骨屋(扇の骨になる竹を作ったり売ったりする家)、骨休、骨弱、骨病、骨業(体や骨節を使ってする技)などがある。真に骨は古くから体以外の所でも生き続けている。

「大字源」の「四文字漢字」を探してみた。骨騰肉飛(ほねおどりにくとぶ):勇士の大活躍するさま。美人などを見たときに、魂の揺り動かされることをいう。筆者注:叫んでみたいものだ。骨肉之親(こつにくのしん):親子?兄弟など、血を分けた深いつながり。親族。筆者注:近年浅くなったことよ。

骨肉相食(こつにくあいはむ):親子兄弟が互いに争い合う。筆者注:今では殺し合う。おぞましい。埋骨不埋名(ほねをうずむるもなをうずめず):その身は死んでも、名を後世に伝えること。筆者注:最近希有。そんな人がいたら紹介していただきたい。炊骨易子(ほねをかしぎこをかう):敵に包囲され、燃料や食料がなくなり、死体の骨をたき、わが子は食うに忍びないから、互いに子を取り替えて食う。筆者注:日本にあったのだろうか。これは中国のことか。

からきし知識はないが、「佛教辞典」を見てみよう。骨鎖観(こっさかん):また骨想?白骨観。九種不浄観の第八。貧者の心を治する為に、身肉既に散じてただ白骨のみ相連なるを観ずるをいう。筆者注:よくわからない。骨鎖天(こっさてん):自在天が人間に化導せし時の姿。筆者注:なるほど。

ところで英語では、生活の中で骨をどのように活用しているのであろうか。日本語と英語の比較では、最も優れた辞書だと思う「最新日米口語辞典」で調べてみた。以下の項目が認められた。

「骨抜き」に相当する言葉は、take the teeth out of。しかし、これは人に関しては使えない。人の場合は、take the backbone または have the backbone taken out of を使うとある。やはり骨はここでも生活の中で生きている。

「骨の髄まで」に骨が関係なく、bleed someone dry などと言って、骨の代わりに血が活用される。シェイクスピアの「ベニスの商人」が思い起こされる。

「骨が無い」は洋の東西に違いがなさそうで、have no backbone。「骨のあるヤツ」は字句の通り、a man with backbone である。しかし、日本語の場合はすべて骨で一括されるが、英語の場合は、背骨で統一されている。

抽象的な「骨に沁みる」は、hit home で、具体的な「寒さが骨身に染みる」は、pierce someone to the bone となる。寒さは背骨だけでなく何処の骨にも突き刺すからであろう。

「骨を削る」は、break one's back とあるが、back に backbone の意味もあるからこれも日本語と感覚は同じであろう。

「骨を埋める」は、with the intention of staying for the rest of one's life とある。この場合、日本語のように簡単で分かりやすくない。哲学的であるのか、宗教的であるのかよく分からない。義務を果たすような感じさえする。

「骨折り損」は、an exercise in futility とあり、骨に関係ない。骨が折れるという概念がないのだろうから宜もない。

以上で湿った骨(生活や社会や宗教や民族など)の話は終わる。最後に乾いた骨(科学)の話し。構造としての骨は次のように整理される。脊椎動物に見られる骨格系を構成する組織。骨学の研究は、臨床面では整形外科の医師や硬組織分野である歯科医師などが従事。基礎研究では生化学者が主。古生物学では、ナメクジウオなどの脊索が起源。魚類の骨から、陸上生活に応じるよう、堅くなり構造が整備されたもの。ちなみに、肉は骨の対義語で生体部分の骨以外の部分。

骨が人体の構造の一部であるにもかかわらず、古今東西の人びとの社会や精神に、機能としていかに活躍していたかが今回の調べで分かった。今まで「どこの馬の骨か」などと、人様を馬鹿にしていた言動を反省し、骨に「お」をつける必要がある。古の人びとは賢明である。「お骨(こつ)」といって骨を丁重にもてなした。今でもそのことは続いている。今回の「骨の話し」に「骨がない」などと言わないでいただきたい。いつかはみんな同じように骨と化し、さらにはみんな同じように土と化す。読者の皆様。

参考資料

ことわざ大事典/小学館、字通/平凡社、大字源/角川書店、日本国語大事典/小学館、佛教辞典/大東出版社、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、最新日米口語辞典/朝日出版社
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博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長通信
情報:農と環境と医療33号
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2007年12月1日