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農医連携教育研究センター 研究ブランディング事業

39号

情報:農と環境と医療39号

2008/6/1
第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:(5)気候変動による感染症を中心とした健康影響
平成20年3月25日に開催された第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「気候変動による感染症を中心とした健康影響」を紹介する。残りの総合討論については、次号に紹介する。

気候変動による感染症を中心とした健康影響

東北大学大学院医学系研究科教授 押谷 仁

気候変動に伴い起こりうる健康影響に関しては、関係する国際機関(WHO?WMO?UNEP)がClimate Change and Human Health - Risk and Responseという文書を2003年に、さらに気候変動が感染症に与える可能性のある影響についてWHOがUsing Climate to Predict Infectious Disease Epidemicsという文書を2005年に出している。

これらの文書に述べられているように、気候変動の健康に与える影響を正確に予測することは難しい。感染症等の健康被害は衛生状態?栄養状態?宿主の免疫?病原体の病原性?感染経路などが複雑に絡み合って生じるものであり、気候変動のように一つのパラメータが変化したことによってその影響がどのような形で現れるかを予測することは通常困難である。

Climate Change and Human Health - Risk and Responseの中では、気候変動の健康に与える影響について図1のようにまとめている。まず、熱波による被害や異常気象による被害など気候変動によって直接起こる健康影響が考えられる。次に気温?降水量の変化による環境の変化や感染経路の変化等により感染症の流行パターンが変わるなどの間接的被害が考えられる。さらに気温?降水量の変化により農業への影響や水資源の枯渇、さらには社会経済に影響が起こることなどといった、より間接的な形で起きる健康被害も起こり得る。気候変動の健康影響といった場合、熱波などの直接被害や感染症の増加などが取り上げられることが多いが、長期的インパクトとしては第3のメカニズムによる影響の方が大きい可能性もある。

noui39_graph1.jpg

図1:気候変動が健康影響を起こすメカニズム
気候変動の感染症に影響を与えるメカニズムとしてもいくつかのものが考えられる。すなわち1)異常気象に伴う感染症の発生、2)水や食物の不足に起因する水?食物由来の感染症の増加、3)感染症を媒介する蚊などのベクターの増加?分布域の変化に伴う動物?昆虫を媒介とする感染症の増加、4)海水面の上昇?海水の温度上昇などに伴う感染症の増加、5)インフルエンザ等の季節性を持つ感染症の季節性の変化などが考えられている(図2)。

noui39_graph2.jpg

図2:気候変動が感染症に与える影響
気候変動に影響を受ける可能性のある感染症として多くのものが挙げられているが、その中で気候変動との関連について科学的根拠のあるものは限られている。このうちデング熱は媒介蚊の温暖化に伴う生息域の拡大が、感染域の拡大につながる可能性が考えられており、実際に近年中南米やアジアで感染域の拡大が見られている。コレラは吃水域に常在しており、海水の温度が上昇するとその活動が活発になることが証明されている。またアフリカに見られる重篤な感染症であるRift Valley Feverは降水量の増加や気温の上昇によって媒介蚊が増加することが感染者の増加に直接結びつくことがわかっている。これに対してインフルエンザ等の季節性のある感染症は気候変動により大きな影響を受ける可能性があるが、実際にどのような影響が起きるかははっきりとわかっていない。これ以外の多くの感染症についても気候変動がどのような影響を及ぼすかについて明確な予測をすることは難しい。
第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:(6)IPCCの今
平成20年3月25日に開催された第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「IPCCの今」を紹介する。残りの総合討論については、次号に紹介する。

IPCC Today " Walking the Fine Line Between Neutrality and Policy Prescriptiveness

宮城大学国際センター准教授 あん?まくどなるど

Twenty years have passed since the establishment of the Inter-governmental Panel for Climate Change (IPCC). Set up by the World Meteorological Organization (WMO) and the United Nations Environment Programme (UNEP), the IPCC was formed as a policy neutral scientific body with a mandate to provide decision-makers with scientific technical and socio-economic information about climate change. 1)

This paper is not concerned with an analysis of the actual findings of the IPCC reports, but rather will look at how the role(s) of the IPCC have evolved, specifically IPCC's role as a major source of information for global climate change related negotiations and as a voice in influencing climate change related policies both globally and regionally. Of central interest is the role of IPCC's most recent report, the 4th Assessment Report, in Post-Kyoto negotiations.

With increased scientific certainty of climate science, it may be argued that the voice of IPCC has incrementally strengthened; the co-awarding of the 2007 Nobel Peace Prize to IPCC attests to this. Along with this elevated recognition and status, however, comes the question of whether the IPCC has been able maintain its policy neutrality or has it crossed the line over to being a policy prescriptive negotiating force. While investigating the fine line between scientific neutrality and policy prescriptive inclinations, this paper will attempt to identify the potential roles for IPCC's forthcoming 5th Assessment Report, including roles to be played by Japan within the IPCC.

1) IPCC mandate is "to assess scientific, technical and socio-economic research relevant to understanding the risk of human-induced climate change, its observed and projected impacts, adaptation and mitigation options available to policy makers".
第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:(7)気候変動の影響?適応と緩和策"統合報告書の知見"
平成20年3月25日に開催された第5回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「気候変動の影響?適応と緩和策"統合報告書の知見"」を紹介する。残りの総合討論については、次号に紹介する。

気候変動の影響?適応と緩和策"統合報告書の知見"
(独)国立環境研究所社会環境システム研究領域長 原沢 英夫

1.はじめに
2007年は、温暖化問題への対応を考えるうえで重要な年となった。2007年2月2日に公表されたIPCC第一作業部会の第4次評価報告書(自然科学的根拠)では、温暖化の進行は地球の気温上昇などの観測から明らかであり、原因は人間活動から排出された二酸化炭素などの温室効果ガスである可能性がかなり高いことを科学的に明らかにした。また、4月に公表された第三作業部会の報告書(緩和策)では、温暖化を2℃程度に抑えるには、今後10~20年にピークを打つ温室効果ガスの排出量に関し、2050年には50%以上の削減が必要であること、そして現在の削減技術を総動員し、炭素に価格をつけるなどの経済的な方法を活用することにより、排出量の削減は可能であることを示した。

11月に開催された第27回IPCC総会(2007年11月12~17日、スペイン?バレンシア)では、3つの作業部会の報告書を総括した統合報告書が採択され、潘基文(バン?ギムン)国連事務総長も出席した記者会見が世界中に公表された。この報告書はバリで開催されたCOP13(2007年12月3~14日)の2013年以降の枠組みの議論の基礎資料として活用された。我が国においても、2050年に温室効果ガス排出量を半減するという21世紀環境立国戦略、そして青い星50が公表され、我が国の温暖化対策の長期戦略についての基本方針が世に示された。

IPCC総会に先立つ10月12日に、IPCCとAl Gore(アル?ゴア)米国元副大統領がノーベル平和賞を受賞することが決まった。受賞の理由は、人為的に起こる気候変動の科学的知見を蓄積、普及するとともに、気候変動へ対処する対策の基礎を築いたことである。地球温暖化の問題が、いまや世界の平和を脅かすほどの問題に拡大してしまった。先進国、途上国を問わず、IPCCの示した温暖化への処方箋を参考に、長期を見据えて、短期では京都議定書の第一約束期間の削減約束の達成、そしてその後のさらに厳しい排出削減の計画を立て、真に低炭素社会の構築を実現しなければならない。

今後とも温暖化対策を検討するうえで、よって立つ科学的知見として重要なIPCC第4次評価報告書(とくに統合報告書)の内容について紹介する。

2.IPCC第4次報告書と統合報告書
第4次評価報告書は3つの作業部会がそれぞれまとめる報告書と、3つの報告書をもとに作成される包括的な統合報告書から構成される。統合報告書は、第3次評価報告書(2001年)発表以降得られた科学知見に基づき、気候変動の現象や原因と予測、影響と適応、緩和策など作業部会報告でとりまとめられた科学的知見を、横断的?総合的にとりまとめたものである。統合報告書は、本編とそのまとめである政策決定者向け要約(SPM)からなる。統合報告書SPMは、世界の人々、とくに各国の政策担当者や政治家に手短に最新の科学的知見を提供するために作成されるもので、各作業部会報告書のSPMや本文をもとに、図表も多用して、読みやすく、理解しやすいようにまとめられている。

統合報告書は、以下の6つの主題についてまとめられている。
1)気候変化とその影響に関する観測結果、
2)変化の原因、
3)予測される気候変化とその影響、
4)適応と緩和のオプション、
5)長期的な展望、
6)強固な科学的知見と主要な不確実性
6)については、本文のみに掲載されている。本文やSPMについては原文や和訳が入手できる(IPCC[2007]、文部科学省ほか[2007])。

1)主題1:気候変化とその影響に関する観測結果
 観測されている気候変動とそれが人類及び自然系に及ぼす影響をまとめている。
  • 大気や海洋の全球平均温度の上昇、雪氷の広範囲にわたる融解、世界平均海面水位の上昇が観測されていることから、気候システムの温暖化には疑う余地がない(unequivocal)。
  • 地域的な気候変化により、多くの自然生態系が影響を受けている。

2)主題2:変化の原因
 観測された変化の要因をまとめている。
  • 人間活動により、現在の温室効果ガス濃度は産業革命以前の水準を大きく超えている。
  • 20世紀半ば以降に観測された全球平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い

3)主題3:予測される気候変化とその影響
さまざまな将来想定(排出シナリオ)に基づき、短期的、長期的な気候変動とその影響についてまとめている。
  • 現在の政策を継続した場合、世界の温室効果ガス排出量は今後20~30年増加し続け、その結果、21世紀には20世紀に観測されたものより大規模な温暖化がもたらされると予測される。
  • 分野ごとの影響やその発現時期、地域的に予想される影響、極端現象(異常気象など)など、地球の気候システムに多くの変化が引き起こされると予測される。

4)主題4:適応と緩和のオプション
温暖化を防止するためには、その原因物質である温室効果ガスを削減することである。温室効果ガスの削減策を緩和策(mitigation)と呼ぶ。そしてすでに温暖化の影響が世界各地で顕在化しており、今後温暖化が進むと将来その影響が種々の分野や、先進国?途上国の別なく発生すると予測されている。本主題では、適応と緩和策を取り上げ、持続可能な開発との関係を地球規模及び地域レベルでまとめている。
  • 気候変化に対する脆弱性を低減させるには、現在より強力な適応策が必要であり、分野ごとの具体的な適応策を例示している。
  • 適切な緩和策の実施により、今後数十年にわたり、世界の温室効果ガス排出量の増加を相殺、削減できる。
  • 緩和策を推進するための国際的枠組みとして、気候変動枠組条約(UNFCCC)及び京都議定書は、将来に向けた緩和努力の基礎を築いたと評価された。

5)主題5:長期的な展望
 長期的な展望として、特に気候変動枠組条約の究極的な目標や規定に則り、持続可能な開発との関連で、適応と緩和に関する科学的?社会経済的側面をまとめている。
  • 気候変化を考える上で、第3次評価報告書で示された以下の5つの懸念の理由(5 reasons of concern)がますます強まっている。
  1. 極地や山岳社会?生態系といった、特異で危機にさらされているシステムへのリスクの増加
  2. 干ばつ、熱波、洪水など極端な気象現象のリスクの増加
  3. 地域的?社会的な弱者に大きな影響と脆弱性が表れる
  4. 地球温暖化の便益は温度がより低い段階で頭打ちになり、地球温暖化の進行に伴い被害が増大し、地球温暖化のコストは時間とともに増加
  5. 海面水位上昇、氷床の減少加速など、大規模な変動リスクの増加?適応策と緩和策は、どちらか一方では不十分で、互いに補完しあうことで、気候変化のリスクをかなり低減することが可能。
  • 既存技術及び今後数十年で実用化される技術により温室効果ガス濃度の安定化は可能である。今後20~30 年間の緩和努力と投資が鍵となる。

主題6は、本文のみに記載されているが、確かな科学的知見と不確実性についてまとめられている。SPMからは削除されている。

3.第4次評価報告書の意義(地球環境センター、2007)
統合報告書の公表をもって、第4次評価報告書の作成は完了したわけだが、今後開催される総会において第4次評価報告書やIPCC活動の評価が行われる予定である。そのなかで、第4次評価報告書の意義などが議論されると考えるが、現段階での報告書の意義をあげると以下のようになろう。
  1. 人為的な温暖化は疑う余地がない気候変動の観測や現象解明が進み、気候システムが温暖化していることは非常に可能性が高い(very likely)と評価し、温暖化の原因は温室効果ガスの排出など人間活動によるとほぼ断定するなど、気候変動の科学的知見の確からしさが大いに向上した。
  2. 温暖化の影響が顕在化しているすべての大陸とほとんどの海洋で、雪氷や生態系など自然環境や人間活動にも影響がでていることが明らかになった。
  3. 温暖化は種々の分野や地域に影響をもたらす 21世紀末には地球の平均気温が1990年頃に比較して1.1~5.8℃上昇し、海面が18~59℃上昇するため、種々の分野や地域に影響が現れると予測される。1980~90年比で2~3℃以上気温上昇すると好影響(例えば、寒冷地が温暖化して穀物栽培ができるなど)が一時的に現れたとしても、これ以上の気温上昇では悪影響が卓越する。
  4. 気候変動への早期対応が必要温暖化を防止するためには、この20~30年に温室効果ガスの排出を減少傾向に転じさせ、2050年には大幅な削減を行うことが必要である。ポスト京都の枠組みの検討に資する長期的な安定化濃度と対策との関係を示した。
  5. 緩和策は被害に比べて低コストで実施できる緩和対策として現在の技術、経済的対策、ライフスタイルや消費パターンの変更などによって、温室効果ガスの排出を十分削減することができ、その経済的費用は、副次的便益(cobenefit)を考慮すると、影響被害コストに比べると少ない。
  6. 緩和策?適応策の両方が必要温暖化を防止するための緩和策、温暖化の影響を低減する適応策、の両方が必要である。両者をうまく組み合わせることにより、限られた資金のもとで、温暖化のリスクを低減することができる。しかし、両対策を進めるにあたっては、種々の制約条件もまだある。

4.今後の展開と日本の貢献
第4次評価報告書は完成したが、すでに第5次評価報告書に向けた活動が始まっている。第5次評価報告書の公表時期は2013年頃になると予想され、報告書の執筆作業には3年ぐらいかかることから、今年から種々の活動が開始されよう。第5次評価報告書への日本の研究面の貢献として以下の点を進めることが重要である。
  • 査読付き英文論文の公表: IPCCでは査読付き論文を情報源としているので、論文公表が重要であることは変わらない。加えて、査読付き日本語論文でも、要約が英語であれば、評価対象になる。論文をIPCCや執筆者など著名な研究者に送付するのも効果的である。
  • 執筆者としての参画: 第4次評価報告書が完成したことから、今後1"2年かけて、次期体制の構築(議長?議長団の選出)、次報告書で扱うべき問題を議論するスコーピング会合などの開催を経たうえで、総会で目次案が決まると、執筆者の選考にうつる。第4次評価報告書では、30名の日本人研究者が貢献したが、さらに多くの日本人研究者の執筆者としての貢献が期待される。
  • 日本の温暖化研究のレビュー: 温暖化に関わる論文のレビューをすることにより、日本の研究の成果や知見をまとめ、英語報告書あるいは単行本として出版することも効果がある。
  • IPCCワークショップ等への積極的参加: 今後、IPCCは種々の問題についてのワークショップを頻繁に開催すると予想されるので、そうしたワークショップへ積極的に参加して、日本の研究成果を発表することも重要である。
  • アジア途上国における温暖化研究の支援: APNなどは途上国における影響研究などを支援しているが、日本人研究者は十分サポートしていない現状であり、なかなか困難を極めている。アジアや太平洋地域の各国の温暖化研究への協力や支援も日本としては重要な点である。

参考文献
  1. 地球環境研究センター、2007:IPCC第四次評価報告書のポイントを読む、12pp.
  2. 文部科学省?経済産業省?気象庁?環境省(2007)気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第4次評価報告書統合報告書の公表について, 2007年11月17日記者発表資料
  3. IPCC(2006)Summary for Policymakers of the Synthesis Report of the IPCC Fourth Assessment Report. 23pp.
資料の紹介 9:本来農業への道"持続可能な社会に向けた農業の役割に関する報告および提言書"
「本来農業への道"持続可能な社会に向けた農業の役割に関する報告および提言書"」なる冊子が、2007年12月1日に出版された。

この冊子をまとめるに至った調査プロジェクトは、愛知県田原市にある農業関連の事業を営むイシグログループが調査費を全面負担した。近年、日本の農業が活力をなくし、輝きを失いつつあることに危機感を覚え、その再興に資する為の調査である。

実施体制は、4人の顧問、22人の委員、事務局長および事務局からなる。顧問は株式会社社長、NPO法人理事長、全国環境保全型農業推進委員および大学理事長からなる。委員は、大学教授、NPO法人代表、研究所代表理事、株式会社社長、JA管理職、農事組合法人専務理事、元IFOAMアジア代表理事など多岐な職種に亘る。

また、報告作成の過程で大学、会社、NPO法人など各界の個人にアンケート調査を行っている。アンケートに協力した個人は、合計115人に及ぶ。それこそ職種は多岐に跨る。

プロジェクトの趣旨はこうだ。1950年に25億人だった地球人ロは、2000年には60億人へと急増した。農業技術の発展は、人ロ急増に伴う食料の需要増を上回る供給を可能にし、多くの地域に豊かな食生活をもたらした。このことは、灌漑技術の向上と灌漑地域の拡大、品種改良および化学肥料と農薬の使用による収量の増加、東南アジアを中心とした「緑の革命」などの技術とこれに対応する社会的な取り組みによって実現した。

しかし、この急速な発展に伴って多くの別の問題が発生した。土壌の劣化?塩害、肥料?農薬の多用による生態系と人体への影響など、発展に伴う負の影響である。社会面では、グローバル化の進展による貿易の不均衡、グローバル巨大企業による農材?種子の市場支配などが挙げられる。日本においては、特に輸入農産物の急増、農業の担い手の減少や高齢化などにより、農業が生業(なりわい)として成り立ち難くなり、農業そのものの持続性が危ぶまれている。

このプロジェクトは、科学的見地に立ったうえで、社会的な側面も考慮に入れつつ、中立的な立場から日本国内および世界の農業の持続可能性について文献調査やアンケート調査などを行ったものである。目次は次のような構成である。

また、報告作成の過程で大学、会社、NPO法人など各界の個人にアンケート調査を行っている。アンケートに協力した個人は、合計115人に及ぶ。それこそ職種は多岐に跨る。

はじめに:持続可能な農業に関する調査プロジェクトの趣旨について調査経緯?実施体制?謝辞

第一章 文明の発展と農業 1-1 文明の発展を支えた農業 1-2 人類の成功から生まれた持続可能性をめぐる問題 1-3 社会における農業の地位 1-4 危機から転換できるか:本書の10の提言

第二章 持続可能な社会に向けた農業の役割 2-1 「持続可能性」という概念の台頭 2-2 人類活動はなぜ「持続不可能」とされているか 2-3 持続可能な農業とは 2-4 「本来農業」という考え方

第三章 持続可能な農業展開への基礎条件"アンケート調査 3-1 農業関係者に対するアンケート調査 3-2 消費者に対するアンケート調査

第四章 日本の持続可能な農業の実現に向けて 10の提言 5つの分野、10の提言

第五章 20世紀半ば以降の農業"データに見る光と影 5-1 世界の視点 5-2 日本の視点

参考文献 巻末:持続可能な農業事例集

巻末には、21の持続可能な農業の事例が11ページに亘って掲載されている。この事例集から、農業と環境と健康を保全する個人や団体の「本来農業」の実現に向けた姿が見える。21の事例は、次の通りである。
  1. 田んぼの生物多様性を調査?公表する活動に公的な支援を行う「農の恵み」モデル事業(福岡県全域)
  2. 里山を活用して地域おこしを行う京都府綾部市(京都府綾部市)
  3. 農林業と観光業で村おこしに成功するドイツのゲルスバッハ村(ドイツ)
  4. 農村の価値を気付かせる「フランスで最も美しい村」協会(フランス)
  5. 滋賀県の「環境こだわり農産物認証制度」(滋賀県)
  6. 米国の持続可能な農業の研究?教育への補助基金SARE(アメリカ)
  7. 都市民に食農教育の場を提供する「大泉 風のがっこう」(東京都練馬区大泉町)
  8. 有機農業と照葉樹林による町おこしを行う宮崎県綾町(宮崎県東諸郡綾町)
  9. 米づくりにより豊かな環境をつくる「コウノトリ育む農法」(兵庫県豊岡市)
  10. 有機園芸実習を教養教育として行う恵泉女学園大学(東京都多摩市)
  11. 「自然農」を学ぶために都市住民たちが通う赤目自然農塾(三重県名張市?奈良県宇陀市)
  12. 途上国農村のリーダーを育成するアジア学院(栃木県那須塩原市)
  13. 地域の資源?経済循環を担う「NPOふうど」(埼玉県比企郡小川町)
  14. 環境に配慮した農産物や食品、雑貨などの宅配サービスを行う「大地を守る会」(東京都港区)
  15. 資源循環型畜産のモデルケース「博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@八雲牧場」(北海道二海郡八雲町)
  16. 地形を活かした山地酪農を行う「木次乳業」(島根県雲南市木次町)
  17. 有機農業を核として地域再生を目指す「無茶々園」(愛媛県西予市明浜町)
  18. 農業を核とした多様な事業で多くの顧客を招き寄せる「伊賀の里モクモク手づくりファーム」(三重県伊賀市)
  19. 地産地消にこだわり、地域と共に農業の「六次産業化」を目指すぶどうの樹(福岡県遠賀郡)
  20. 棚田農家と都市住民をつなぐ「棚田ネットワーク」(全国:新潟県十日町市?千葉県鴨川市?栃木県茂木町など)
  21. 水源の森と海をつなぐ「牡蠣の森を慕う会」(宮城県気仙沼市唐桑町)

「15.資源循環型畜産のモデルケース」は博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@獣医学部の八雲牧場のことで、参考資料として、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室通信「農と環境と医療23号」と「酪農ヘルパー全国協会ホームページ」が紹介されている。
/jp/noui/spread/newsletter/no21-30/noui_no23.html
http://d-helper.lin.gr.jp/

なお、「本来農業への道"持続可能な社会に向けた農業の役割に関する報告および提言書"」は、次のホームページからダウンロードが可能である。
http://www.sas2007.jp/project/download.html
「本来農業への道」シンポジウムが開催された
上記の「資料の紹介 9」の「本来農業への道"持続可能な社会に向けた農業の役割に関する報告および提言書"」を受けて、2008年4月16日に「本来農業への道」シンポジウムが、国連大学ウ?タント国際会議場で開催された。
http://www.sas2007.jp/project/symposium.html

シンポジウムは、開催に寄せて(西郷正道:農林水産省大臣官房環境バイオマス政策課長)、趣旨説明(祖田修:持続可能な農業に関する調査委員会委員長、福井県立大学学長)、基調提言:「本来農業」の考え方と行動のための10の提言(ピーター D. ピーダーセン:持続可能な農業に関する調査委員会事務局長、(株)イースクエア社長)の順に進んだ。

「行動のための10の提言」とは、
  1. 自然?福祉産業に従事する社会奉仕年の導入。
  2. 「農的暮らし」の多彩な取組を展開し、インターネットなどで共有し、協働とネットワーキングを積極的に促す。
  3. 環境支払いの実証試験を複数のパイロット地域で開始する。
  4. 持続可能な本来農業を日本の基本政策に据え、農業に関わる多くの関係者?団体の参画により長期政策ビジョンを策定する。
  5. 日本から「アグリ?ミニマム」など、地域特性を考慮した国際農業政策を提起する。
  6. 体験型食農教育を小中学校の基本カリキュラムに組み入れる。
  7. 農業の次世代地域リーダーを育成する高等教育機関を設立する。
  8. 本来農業の持続可能な技術に関する開発機構(SATI: Sustainable Agriculture Technology Initiative)を設立する。
  9. 持続可能な農業を支える農業ビジネスアカデミーをキャラバン方式で全国展開する。
  10. 市民参加型農業(CAP=Citizen Participatory Agriculture)のプログラムを複数のパイロット地域で実施する。

この後、「実行ある農業リーダーを育てるために」と「ビジネスとしての本来農業」と題した調査委員によるパネル?ディスカッションが行われた。この内容については、当該ホームページに公開されている。
言葉の散策 23:腔腸動物と口腔外科
語源を訪ねる 語意の真実を知る 語義の変化を認める
そして 言葉の豊かさを感じ これを守る

腔腸動物の腔腸が「こうちょう」と発音することを知ったのは、確か高校生の頃だったと思う。クラゲやイソギンチャクのように体内に腔腸と呼ばれる腔所があり、円筒や壺型をし、口の周囲に触手があり、体壁や触手に刺胞をもつ動物である。内臓部分が"がらんどう"になっているように見える。ヒドロ虫類、ハチクラゲ類、花虫類の三綱に分けられ、おもに海産で淡水産は少ない。

話が少し横道にそれる。昭和天皇はヒドロ虫の研究者でもあった。生物学者として海洋生物や植物の研究に力を注がれた。1925年6月に生物学御研究室が赤坂離宮内に創設され、御用掛の服部廣太郎の勧めにより、変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類(ヒドロゾア)の分類学的研究を始められた。

昭和天皇の名前(裕仁)でヒドロ虫の研究が発表されている。「日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討」をはじめ、7冊が生物学御研究所から刊行されている。また、他の分野については専門の学者と共同で研究をしたり、採集品の研究を委託したりしており、その成果は生物学御研究所編図書としてこれまで20冊刊行されている。博士を取得するに十分な研究であったが、立場を慮って取得されなかったといわれている。

この生物学研究の才能は、お孫様の秋篠宮文仁親王殿下に引き継がれている。殿下は博士号を取得され、現在、「生き物文化誌学会」の常任理事として八面六臂の活躍をされている。途轍もない博識であられる。

話をもどす。次に口腔である。口腔を「こうくう」と読めたのは、大学生の頃だったような記憶がある。腔腸動物のように鼻や口も内部が、"がらんどう"になっていると考えられるところから鼻腔とか口腔と呼ばれる。病院には口腔外科がある。はじめは、どうして病院に航空外科があるのかという疑問を持ったこともある。

腔腸動物や口腔などの言葉に使われている「腔」の音読みは、漢音?呉音ともに「こう」である。したがって、「満腔の謝意」や「満腔の怒り」は「まんこう」であり、「腔腸類」は「こうちょう」と読む。

しかし、わが国の医学界では「口腔」を「こうくう」、「鼻腔」を「びくう」と読むことになっている。恐らく「腹腔」を、「ふくこう」とか「はらこう」とか「はらくう」とか読んだら笑われるだろう。笑わば笑えだが。

というのも、「腔」を「くう」と読むのは、漢字の字音としては本来の姿ではないからだ。だからといって、今さら「口腔外科」を「こうこう」とは読めまい。「こうくう」と読むのが、漢音や呉音とならぶ慣用音といわれる漢字音だからである。

他にも、例えば「輸(シュ)」「洗(セイ)」「滌(デキ)」「涸(カク)」「攪(コウ)」などは、旁の音に引かれて「輸入(ユニュウ)」「洗滌(センジョウ)」「涸渇(コカツ)」「攪拌(カクハン)」と読む漢字がある。このように、口腔は慣用音なのである。

これらのことは、結局のところ漢字の「音読み」の問題なのである。すなわち、唐音、漢音、呉音、慣用音の違いが漢字音を難しくしている。しかし、わが民族はこのような複雑な漢字音を、はるかなる奈良時代から克服してきたのである。漢字が難しいからと言って、すぐにひらがなで書いたり、ましてやカタカナにしたりする現在の風潮は、わが民族を自ら堕落させる企てに過ぎまい。政治家が、昔から引き継いだ姓や、親が考えて付けてくれたありがたい名を、当選するためにいとも簡単にひらがな書きに変えて立候補する姿を見るにつけても、わが国家の行く末が思いやられる。

蛇足だが、唐音、漢音、呉音および慣用音の簡単な説明を「フリー百科辞典」から引用する。

唐音(とうおん?とういん)は、日本漢字音(音読み)において鎌倉時代以降に中国から入ってきた字音。室町時代には宋音(そうおん)と呼ばれた。あわせて唐宋音(とうそうおん)とも呼ばれる。「唐」とあるが、漢音?呉音同様、王朝名を表すのではなく、中国を表す語の一つで唐音は宋以降の字音である。呉音?漢音のようにすべての字にわたる体系的なものではなく、断片的で特定の語と同時に入ってきた音である。禅宗の留学僧や民間貿易の商人たちによってもたらされた。学術的には鎌倉仏教の禅宗にもとづく中世唐音と、江戸時代の黄檗宗にもとづく近世唐音(これを宋音と呼ぶ人もいる)に分けられる。

漢音(かんおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。古くは「からごえ」とも呼んだ。7, 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使?遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいう。中国語の中古音のうち、唐中葉頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映している。他の呉音や唐音に比べて最も体系性を備えている。また唐末に渡航した僧侶たちが持ち帰った漢字音は中国語の近世音的な特徴を多く伝えており、通常の漢音に対して新漢音と呼ばれることがある。

呉音(ごおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。奈良時代に遣隋使や留学僧が長安から漢音を学び持ち帰る以前にすでに日本に定着していた漢字音をいう。漢音同様、中国語の中古音の特徴を伝えている。

5, 6世紀に導入され、一般的に中国の南北朝時代、南朝の発音が直接、あるいは朝鮮半島(百済)経由で伝わったと言われるが、これは「呉」音という名称や倭の五王が南朝の宋に朝貢したことや朝鮮半島から儒教や仏教など多くの文物を輸入したという歴史的経緯が根拠となるのであろう。しかし、呉音が本当に南方系統の発音かどうかについて、それを実証できるような史料はない。対馬音や百済音といった別名が示すように古代の日本人は呉音は朝鮮半島からきたと考えていた。

呉音は仏教用語や律令用語でよく使われ、漢音導入後も駆逐されず、現在にいたるまで漢音と併用して使われている。なお『古事記』の万葉仮名には呉音が使われている。

慣用音(かんようおん)とは、音読み(日本漢字音)において中国漢字音との対応関係が見られる漢音?呉音?唐音に属さないものを言う。多く間違って定着したものや発音しやすく言い換えられたものを指す。古くからこの語があるのではなく、言語学的研究が進んだ大正時代以降に呼ばれた言葉である。

参考資料
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
漢字を楽しむ:阿辻哲次著、講談社現代新書(2007)
農医連携を心したひとびと:5.ユストゥス?フォン?リービヒ
科学界のグリム

ユストゥス?フォン?リービヒ(Freiherr Justus von Liebig:1803年~1873年)は、ドイツのヘッセン州に生まれた19世紀最大の科学者である。名はユーストゥスまたはユスツス、姓はリービッヒと表記されることもある。ヘッセン州は、あの「グリム童話」の編集で有名なグリム兄弟が生まれたところで、この童話が1812年~1815年に出版されていることなどから、リービヒもこの童話を読みながら豊かな人間性を育んでいったことだろう。

グリム兄弟の存在が、後年の彼に影響を及ぼしたのであろうか。1832年に自ら編集した化学論文誌「薬学年報(Annalen der Pharmacie)」を創刊し、啓蒙活動を行った。これは、その後1840年に「薬学および化学年報(Annalen der Chemie und Pharmacie)」と名を変えた。さらにリービヒの死後に、彼を記念して名を「ユストゥス?リービヒ化学年報(Justus Liebigs Annalen der Chemie)」と改められた。この雑誌は現在も「ヨーロッパ有機化学ジャーナル(European Journal of Organic Chemistry)」の名で発行が続けられている。

彼はこのように啓蒙活動に熱心で、書籍を盛んに執筆した。文才もあったため、「化学界のグリム」と呼ばれたという。

分野を超えた科学者

一方、分化した現在の科学分野から眺めると、リービヒは 実験化学者、分析化学者、有機化学者、農芸化学者、化学教育者、栄養学者と呼ばれるにふさわしい多面的な科学者でもあった。

ギーセン大学に世界で最初の学生実験室を設立したことからでも、リービヒが 実験化学者であったことがわかる。兵舎を改築して、初学者向けの練習実験室と、経験を積んだ学生向けの研究実験室に分け、大勢の学生に一度に実験させて薬学や化学を教えるという新しい教育方式を始めた。

ここで学生は、定性分析?定量分析さらに化学理論を系統的に教えられ、最後に自ら研究論文を書くことを求められた。実験から化学を学びたい学生が、イギリス、フランス、ベルギー、ロシアなどの各国から集まり、ギーセン大学は化学教育のメッカになった。

ホフマン(有機化学)を始め、ケクレ(ベンゼン構造)、ヴュルツ(メチルアミン?尿素)、ジェラール(カルボン酸無水物)、フランクランド(有機亜鉛化合物)、ウィリアムソン(エーテル生成理論)といった著名な有機化学者もギーセン大学で学び、リービヒの教育手法が各国に広がっていった。ここに、化学教育者としての金字塔を見ることができる。今日では、ギーセン大学は「ギーセン‐ユストゥス?リービヒ大学」と彼の名を冠した名称に改められている。

1832年にリービヒとヴェーラーが共同で発表した「ラジカル(基)の概念の提案」は、きわめて卓越した業績であった。その原著書は、リービヒおよびヴェーラー著「安息香酸の基についての研究:Untersuchugen ueber das Radikal der Benzoesaeure (Annalen der Chemie und Pharmazie, 1832)」である。これ以前には、1926年にアイソマー(異性体)の発見をしている。これらは、リービヒが 有機化学者であることの証しである。

次は、 農芸化学に関する業績である。その内容は次の著書に集約されている。リービヒ著の「農業および生理学に応用する有機化学:Die Organische Chemie in ihrer Anwendung auf Agricultur und Physiologie, 1840」である。植物生理に対する化学的考察と、それに基づく人造肥料の製造の先駆けとなる本である。植物の生育に関する窒素?リン酸?カリウムの三要素説、リービヒの最小率などを提案している。また、チッソ?燐酸?カリ3要素のうち、燐酸とカリ肥料の製造が試みられている。農芸化学に関する先駆的な業績として、農学分野では、これらのことを知らない研究者はいない。

最後は、 栄養学、動物化学、生理学、病理学に関わる化学である。これらに関する著作であるリービヒの「生理学および病理学に応用する有機化学:Die Organische Chemie in ihrer Anwendung auf Physiologie und Pathologie, 1842」には、動物の呼吸、新陳代謝、栄養についての化学的な解釈が詳細に書かれている。以下に示すが、20世紀になってリービヒ一門からノーベル化学賞のみならず、多くのノーベル医学?生理学賞受賞者が出ていることが、この著書からも頷ける。

以上は、いずれもリービヒが1852年にミュンヘン大学に転勤する前の、ギーセン大学での業績である。これらの業績は、日本では天保年間にあたる。明治維新より25年以上も前の業績である。氏の化学の行く末を見る先見性に驚かされる。

他にも、 リービヒ一門から多くのノーベル化学賞と ノーベル医学?生理学賞受賞者が出ているところから、 ノーベル賞の生みの親であったとも言える。ノーベル賞は1901年に設立されたから、リービヒ自身はもちろんその弟子?孫弟子のホフマン、ケクレ、オストワルド(物理化学)、パーキン(アニリン)などの科学者は、ノーベル賞の対象になってはいない。

リービヒ門下のノーベル化学賞受賞者に、ファントホッフ(化学熱力学?浸透圧)、フィッシャー(糖類?プリン誘導体)、アレニウス(電解質溶解理論)、ハーバー(アンモニア合成)、ネルンスト(熱力学第3法則)、ラングミャア(界面化学)などがいる。

リービヒ門下のノーベル医学?生理学賞には、エールリヒ(免疫)、マイヤーホフ(筋肉の尿酸生成と酸素消費)、ワーブルグ(酵素呼吸)、ミューラー(DDT)、リップマン(補酵素)、クレブス(クエン酸回路)などがいる。

このような偉大なリービヒについては、数多くの文献や資料がある。あえてここで取り上げたのは、表題の通り、氏が農医連携の概念を有していたと考えるからである。このような視点から、以下に氏の簡単な履歴を記載し、そのなかに農と医に関わる研究内容を簡単に紹介する。

科学者ユストゥス?フォン?リービヒの略歴

リービヒは、ダルムシュタットの薬物卸売商の10人の子供の次男として、1803年5月12日に生まれた。8歳のときにギムナジウムに入学したが、勉強よりも父親の仕事や実験を手伝うのが好きだったという。

リービヒが生まれたダルムシュタットは、1806年に成立したばかりのヘッセン?ダルムシュタット大公国の首都で、宮廷所在地でもあった。宮廷図書館には大人向けの化学関連書籍がそろっており、学校よりも図書館を好んだ。学校の課題よりも化学に興味があったため、成績もよくなかったという。

子供のとき、行商人が爆薬である雷酸水銀(シアン酸水銀の異性体:Hg(ONC)2)によって動く魚雷の玩具を売りに来た。彼はこれを見て、自分の父親の店で材料を揃えて同じものを作り、それを商品として店で売った。この雷酸水銀をギムナジウムに持っていった。それがある時爆発を起こし、ギムナジウムを退学させられた。

そこで彼は、ヘッペンハイムの薬剤師のもとへ徒弟として住み込むことになった。彼は居室として与えられた屋根裏部屋で雷酸塩の実験を続けていた。しかし、また爆発事故を起こしてしまい、ヘッペンハイムから追い出された。

その後、1820年にヘッセンの政府からの奨学金を受け、新設されたばかりのボン大学に入学し、カストナーの元で学んだ。翌年には、カストナーとともにバイエルン王国のエアランゲン大学へ移った。雷酸塩の研究をまだ続けた。リービヒは無機化合物の分析法について学びたいと考えていたが、カストナーの専門外だったため、教えを受けられず失望し、やがて学生運動に身を投じることになった。そして町の住民と衝突した際、暴力を振るったために逮捕されたという。

  • 1803年 ダルムシュタットに生まれる。
  • 1817年 ギムナジウムで爆薬を爆発させ、退学。
  • 1818年 薬剤師の住み込み弟子になる。爆薬を爆発させ追い出される。
  • 1820年 ボン大学に入学。爆薬研究ができず学生運動に走り暴行罪で逮捕。

釈放された後、生まれ故郷のヘッセン?ダルムシュタット大公であったルートヴィヒ1世から、留学のための奨学金を認められ、パリ大学へ入学した。パリ大学にはテナールやゲイ?リュサックたちがいた。当時、ここは化学界の知の最先端であった。

リービヒは、ソルボンヌ校(パリ大学理学部)で学んだ。当時は国によって化学の研究方法や理論が異なっていた。例えば、ドイツ地域の化学教育では学生に実験は認められておらず、講義を受講することしかできなかった。ソルボンヌ校では、現在では当たり前の科学的手法としての観察、仮説、実験、理論が行われていた。これが、リービヒ自身の研究手法として定着していった。

リービヒはフンボルトの紹介でゲイ?リュサックの研究室で研究を行うことができた。 そして1824年に雷酸塩の研究結果について発表し、フンボルトの推薦状を持ってドイツに帰国した。ルートヴィヒ1世はこれをみて大学に諮ることなく、わずか21歳のリービッヒをギーセン大学の准教授に任命した。彼の能力は同僚にも直ちに認められ、翌年には教授へと昇進した。

  • 1822年 エルランゲン大学から博士号を取得。ヘッセン?ダルムシュタット大公ルートヴィヒ1世の援助を受け、パリ大学に留学。
  • 1824年 22歳で最年少の教授に承認。

ギーセン大学での活躍は、1824年の准教授の時代からミュンヘン大学に異動する1852年の28年間である。この間、前半の12年間は学生教育、異性体の研究、冷却器の発明、ベンゾイル基やエチル基の発見、アルデヒドの精製などに費やされる。

ソルボンヌ校の経験から、リービヒは世界で最初の学生実験室を大学内に設立した。先に書いたように、兵舎を改築して、初学者向けの練習実験室と、経験を積んだ学生向けの研究実験室を設けた。一度に多くの学生に実験させ、薬学や化学を教えるという新しい教育方式を始めた。ここで学生は定性分析、定量分析および系統化学理論を教えられ、最後に自ら研究論文を書くことを求められた。

彼は、1826年にベルセリウスの下でヴェーラーが研究していたシアン酸塩が雷酸塩と同じ組成を持っていることを発見した。異性体の研究の始まりである。

1832年には、ヴェーラーとともに苦扁桃油(ビターアーモンドオイル)について研究を行い、その主成分であるベンズアルデヒドに対して様々な実験を行った。その結果、反応によって変化しないC7H5Oという単位が存在することに気がついた。これをリービヒたちは基(ラジカル)と呼んだ。この成果は、ジェラールによって発展され、さらに原子価の理論へとつながった。その後、エチル基の発見、アルデヒドの精製など輝かしい成果を遺す。

  • 1826年 ヴェーラーと独立に異体性現象を発見。
  • 1831年 リービヒ冷却器を発明。クロロホルムを発見。ベンゾイル基を発見。基(ラジカル)理論を提唱。学術誌「薬学年報(Annalen der Pharmacie)」創刊。
  • 1834年 エチル基を発見。
  • 1835年 アルデヒド精製。

その後の1837年、リービヒは生化学へと研究分野を移し、ヴェーラーとともに尿酸の研究を行った。また、ベルセリウスが開発した燃焼法による有機化合物の元素分析の改良を行った。リービヒの炭水素定量法とデュマの窒素定量法を組み合わせ、さらにはプレーグルによって改良されたものが、現在も使われている微量分析法である。

続いて1841年には、土壌のカリウムやリンが植物の生長に必須な元素であることを明らかにした。さらに、土の中で最も少ない必須元素の量によって、植物の生長速度が決定されるという「リービヒの最小律」を提唱した。それに基づいて、化学肥料の開発を試みた。

その後、動物体内の代謝などについての研究も行った。体温や筋肉のエネルギーは、脂肪や炭水化物といった食物が体内で酸化されるときのエネルギーに由来することを明らかにした。

1845年には男爵に列せられた。1852年、28年間にわたったギーセンでの研究を後任に任せた。異動先のミュンヘン大学では、講義や文筆を中心とする生活を送った。

この時代に、食品などに関する研究を行った。その成果をもとに、1865年に肉エキスを抽出する会社を設立。また1867年には育児用ミルクを作った。肉エキスは後に栄養学的にはあまり意味がないことが明らかになったが、嗜好品として商業的には大成功し、食品加工産業の先駆となった。これらのことから、リービヒは人間の健康に関わる栄養へも関心が深かったことがわかる。

  • 1837年 ヴェーラーと最初の配糖体(アミグダリン)発見
  • 1838年 ヴェーラーとの共著論文「有機酸の構造について」で、未知の有機化合物の構造決定方法を紹介。
  • 1840年 「有機化学の農業および生理学への応用(Die rganische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie)」を発表。植物の生長に対する腐葉土の重要性を否定。ロンドン王立協会からコプリメダルを受賞。
  • 1841年 植物の生育に関する窒素?リン酸?カリウムの「三要素説」と「リービヒの最小律」を提唱。
  • 1842年  「有機化学の生理学および病理学への応用(Die Tierchemie oder die organische Chemie in ihrer Anwendung auf Physiologie und Pathologie)」を発表。
  • 1844年 化学啓蒙書「化学通信(Chemische Briefe)」初版出版。
  • 1845年 男爵に叙され、フォン?リービヒとなる。
  • 1852年 バイエルン王マクシミリアン2世の招聘に応じ、ミュンヘン大学へ移る。
  • 1859年 バイエルン科学学士院院長に就任。
  • 1865年 肉エキスを製造する会社を設立。
  • 1867年 幼児用ミルクを作成。
  • 1873年 ミュンヘンで死去。69歳。

補遺:なお、農学から見たリービヒについては、熊澤喜久男の「リービヒと日本の農学"リービヒ生誕200年に際して"」と題する名著がある。これは、時間と空間を超えた肥料と科学と人間の作品である。日本、アイルランド、イギリス、ドイツ、フランスなど数多くの国の人びとが登場する。さらには、名著「草木六部耕種法」を刊行した佐藤信淵にまで話が及ぶ。

その上、読者を楽しませるために次の写真や図が掲載されている。テアーとリービヒの切手、リービヒとスプレンゲル像のメダルが掲げられた米国土壌科学会誌の表紙、リービヒの墓、泰西農学の表紙、ケルネル?フェスカ?ロイブ?古在の肖像、「リービヒ氏養分最小限の法則」の大日本加里株式会社の広告、東京農業大学にあるリービヒ像、リービヒの肉エキス商品につけられたラベル、リービヒ生誕200年のドイツの記念切手、ホーヘンハイム大学でのワークショップ案内書。

引用文献は、古く1862年の「Liebig, J. von.」に始まり、2002年の「人物科学史」に及ぶ90冊からなる。熊澤の博学とエネルギーが行間ににじみ出ている作品である。この分野の才学双全の人といえる。

ちなみに、以下に洋の東西を問わずこの報文に出場する人を抽出してみる。果たして、この項を書いている筆者はこの中の何人の人を知っており、その人の業績をどのように説明できるであろうか。全く自信がない。ことほど左様に、この時空を超えた著書はこの分野を研究する人びとが一度は通読しなければならない作品であろう。

スプレンゲル、リービヒ、テアー、ソシュール、ケルネル、ウエー、ローズ、Voelcker、Murray、Muspratt、Wolff、Walz、佐藤信淵、戸谷敏之、大賀幾助、宮里正静、川崎一郎、フレッチェル、プレイフェール、ヘールス、プッシンゴール、キンチ、ステファン、ジョンストン、ギルバート、クノップ、ザックス、フィスケ、ボルフ、古在由直、ロイブ、フェスカ、椎名重明、ツェエラー、パスツール、高峰譲吉、恒藤規隆、横井時敬、稲垣乙丙、澤野 淳、酒匂常明、大工原銀太郎、内山定一、鈴木千代吉、麻生慶次郎、高橋久四郎、南 直人、石橋長英などなど枚挙に暇がない。

参考資料
  1. 熊澤喜久男:リービヒと日本の農学"リービヒ生誕200年に際して"、肥料科学 25, 1-61 (2003)
  2. 吉田武彦訳:化学の農業及び生理学への応用、北海道農業試験場研究資料 第30号、1-152、1986年)
  3. 吉田武彦訳:リービヒ-ローズ論争関係資料、北海道農業試験場研究資料、第40号、1-140(1989)
  4. フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  5. 農業環境技術研究所 情報:農業と環境 http://www.niaes.affrc.go.jp/mzindx/magazine.html
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情報:農と環境と医療39号
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2008年6月1日