55号
情報:農と環境と医療55号
2010/5/1
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの映像音声と資料画像
平成22年3月4日に開催された第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム「動物と人が共存する健康な社会」の映像音声と資料画像は、「農医連携シンポジウム」 (/jp/noui/spread/symposium/index.html)で見ることができます。
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容‐動物と人が共存する健康な社会‐(1)開催にあたって
平成22年3月4日に開催された第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの講演プログラムと挨拶を紹介する。
講演プログラム
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの開催にあたり、主催者を代表しまして一言ご挨拶申し上げます。
動物介在教育?療法学会の設立趣意の冒頭は、19世紀フランスの歴史家ジュール?ミシュレーの言葉、「生命は自らとは異なった生命と交流すればするほど、他の存在との連帯を増し、力と、幸福と、豊かさを加えて生きるようになる」ではじまる。人は人と人の関係において、はじめて豊かな人であるように、人は動物との関係においても精神的な豊かさを増して生きていける。
世界保健機関(WHO)は1999年に健康の定義の改正案、「健康とは、身体的?精神的?スピリチュアル?社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない」を掲げている。この定義は改正されるに至っていないが、健康におけるスピリチュアルな概念は、社会が複雑多岐にわたる構造へと変動するなかで、ますます重要になる。
わが国においても、健康に関わるスピリチュアルな課題が動物介在教育?活動?療法などを活用して研究されはじめて久しい。その結果、これらの手法が人間の健康増進、医学における補完医療、高齢者や障害者の正常化、さらには子供の心身の健康的な発達に大きな役割を担っていることが認知され始めた。
とはいえ、わが国における動物介在教育?活動?療法などを進展させるためには、活用動物の習性や行動に基づく介在方法、公衆衛生上の評価、さらには倫理規定など周辺環境の整備がまだ十分に整っていない現状がある。
20世紀が技術知の勝利であるとすれば、21世紀は技術知を活用して得られた生態知、さらには技術知と生態知を連携した統合知を獲得する時代といえるかも知れない。さらに、自然科学を活用したスピリチュアルな幸福や豊かさを求める時代ともいえるであろう。
このような視点から、今回は「動物と人が共存する健康な社会」と題した農医連携に関わるシンポジウムを開催し、農医連携の科学の一助としたい。このシンポジウムにおいて、有意義で実践的な議論が展開され、「動物と人が共存する健康な社会」の課題に対し、新たな発想や示唆が生まれることを期待する。開催にあたり、講演を快くお引き受けいただいた諸先生方に心から感謝申し上げます。
講演プログラム
- 開催にあたって:博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長 柴 忠義
- 人と動物とスピリチュアリティ:博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ 陽 捷行
- 人と動物の望ましい関係:東京大学 林 良博
- 動物介在教育:日本獣医生命科学大学 的場美芳子
- 子どもの学習における動物の役割を考える:日本獣医生命科学大学 柿沼美紀
- 動物福祉と動物介在教育?療法のこれから:博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ 樋口誠一
- ヒポセラピー(馬介在療法)の効果:東京大学 局 博一
- 馬介在療法の科学的効果‐内科医の視点から‐:関西福祉科学大学 倉恒弘彦
開催にあたって
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長 柴 忠義
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの開催にあたり、主催者を代表しまして一言ご挨拶申し上げます。
動物介在教育?療法学会の設立趣意の冒頭は、19世紀フランスの歴史家ジュール?ミシュレーの言葉、「生命は自らとは異なった生命と交流すればするほど、他の存在との連帯を増し、力と、幸福と、豊かさを加えて生きるようになる」ではじまる。人は人と人の関係において、はじめて豊かな人であるように、人は動物との関係においても精神的な豊かさを増して生きていける。
世界保健機関(WHO)は1999年に健康の定義の改正案、「健康とは、身体的?精神的?スピリチュアル?社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない」を掲げている。この定義は改正されるに至っていないが、健康におけるスピリチュアルな概念は、社会が複雑多岐にわたる構造へと変動するなかで、ますます重要になる。
わが国においても、健康に関わるスピリチュアルな課題が動物介在教育?活動?療法などを活用して研究されはじめて久しい。その結果、これらの手法が人間の健康増進、医学における補完医療、高齢者や障害者の正常化、さらには子供の心身の健康的な発達に大きな役割を担っていることが認知され始めた。
とはいえ、わが国における動物介在教育?活動?療法などを進展させるためには、活用動物の習性や行動に基づく介在方法、公衆衛生上の評価、さらには倫理規定など周辺環境の整備がまだ十分に整っていない現状がある。
20世紀が技術知の勝利であるとすれば、21世紀は技術知を活用して得られた生態知、さらには技術知と生態知を連携した統合知を獲得する時代といえるかも知れない。さらに、自然科学を活用したスピリチュアルな幸福や豊かさを求める時代ともいえるであろう。
このような視点から、今回は「動物と人が共存する健康な社会」と題した農医連携に関わるシンポジウムを開催し、農医連携の科学の一助としたい。このシンポジウムにおいて、有意義で実践的な議論が展開され、「動物と人が共存する健康な社会」の課題に対し、新たな発想や示唆が生まれることを期待する。開催にあたり、講演を快くお引き受けいただいた諸先生方に心から感謝申し上げます。
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容‐動物と人が共存する健康な社会‐(2)人と動物とスピリチュアリティ
平成22年3月4日に開催された第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「人と動物とスピリチュアリティ」を紹介する。
スピリチュアリティとは(文献?資料:1,2)
世界保健機関(WHO)は、憲章前文のなかで「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない(昭和26年官報掲載):Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」と定義してきた。
その後、1998年のWHO執行理事会において「健康」の定義を「完全な肉体的、精神的、spiritual及び社会的福祉のdynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない:Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」に定義改訂する議論が行われた。しかし結局、この提案は採決に至らなかった。
WHOは上述した健康の定義改訂の議論の前に、すでにスピリチュアリティに関する問題を緩和医療の中で取り上げていた。緩和医療とは「治療を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、spiritual problemの解決が最も重要な問題となる」とあり、スピリチュアルな問題に取り組むことが重要であると明記されている。
スピリチュアルとは、次のように記述されている。「人間として生きるということに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人にとって『生きていること』がもつ霊的な側面には宗教的な因子が含まれているが、『霊的』は『宗教的』と同じ意味ではない。霊的な因子は身体的、心理的、社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっていることが多い。時に人生の終末に近づいた人にとっては、自ら許すこと、他の人々との和解、価値の確認などと関連していることが多い」。日本医師会の「2008年版 ガン緩和ケアガイドブック」では、このスピリチュアルな問題に関して「生きている意味や価値についての疑問」と説明されている。
スピリチュアルという言葉が、マスコミニュケーションの影響で神秘性や超常性といったイメージばかり強調され、本来の意味が理解されにくい状況にある。これには、人生の意味?目的などの自己超越、大自然への畏怖や命の永続性などの自己超越、この他にも個人や民族の文化?宗教など多用な要素や重み付けがあるだろう。お墓に参ること、動物と共存すること、花を美しいと思うこと、先祖の供養、「いただきます」という言葉などにもスピリチュアルは適応される。
はたして共通の定義は?(文献?資料:3~6)
健康に及ぼす影響をきわめて科学的な立場から研究したHarold G. Koenig(コーニック)は、「スピリチュアリティが健康をもたらすか‐科学的研究にもとづく医療と宗教の関係‐:Medicine, Religion, and Health -Where Science and Spirituality Meet-」と題する冊子を出版した。旭川医科大学の杉岡良彦氏によって翻訳されている。この冊子では、この分野における科学的な研究に基づく論文成果が整理され、専門以外の素人にもわかりやすく解説されている。
そこでは、スピリチュアリティという用語に対して2つの定義が提案されている。ひとつはスピリチュアリティと健康の関係を調査し研究するための定義、他は研究した所見を患者のケアに応用するための定義である。この分野で著名な数人の研究者とコーニックの定義が紹介されるが、その様態は多岐にわたる。
これらのスピリチュアリティの定義には、多くの意味?目的、心の平安?救い、他者とのつながり、信念?価値、驚き?畏敬?愛?許し?感謝などの感情、支援、そのほか健康的で肯定的な用語など数多くの概念が含まれていることである。定義しようとする人によって、どのようにでも定義される。こうした広範な定義は臨床ではうまく機能するが、研究をするには大きな混乱をもたらすであろう。これらの現状をみると、近い将来われわれがスピリチュアリティに関する共通の定義を見出すことはできそうもない。
しかしスピリチュアリティという言葉を漠然と使用することは、研究の方法論の視点から問題がある。スピリチュアリティを含む健康に関する研究において、さらなる知識を獲得するには、新たな明瞭性と特異性が必要である。そのとき、例えば、今回のシンポジウム「動物と人が共存する健康な社会」を語るときは、人道的とか教育的とか教育心理的とか、すでに確立されている心理学的な用語を使用するべきであろう。
このような状況の中で、「日本スピリチュアルケア学会」が2007年に発足した。設立趣意書には次のようなことが書かれている。「本会は、すべての人々がスピリチュアリティを有しているという認識に基づき、医療、宗教、福祉、教育、産業等のあらゆる領域において、それぞれの分野が持つ壁を超越するかたちでスピリチュアルケアを実践することこそが、スピリチュアリティの深層の意味を問う作業であるという理念をかかげ、スピリチュアリティの理論的かつ実践的課題を解明することによって、現代に渦巻く様々な問題の解決に努めて行こうとするものである」。今回のシンポジウムもその傘下にあるといえるであろう。
医療と動物の関わり(文献?資料:7~13)
人間と動物との関係学は、これまで主として文化人類学の一領域に属していたが、生態人類学、民族生物学、動物学、畜産学、獣医学など他の専門領域の学徒もこの分野の研究を推進してきた。そのため、それぞれの専門領域では研究の関心や手法が異なり、研究成果の総合的な実態がつかみにくい現状にあった。1995年に東京大学の林良博教授の呼びかけで、理系と文系に散在するこの分野の研究者だけでなく、動物愛護や動物園の関係者らも加わり「ヒトと動物の関係学会」が設立された。それらの成果の一部が最近「ヒトと動物の関係学(岩波書店)」にまとめられている。
2003年には、人と生物の関係は人間が属する民族や文化が深く関わっているとの認識から「生き物文化誌学会」が設立された。この学会は「生き物」という言葉に表れているように、動物のみでなく植物や微生物のほか、人のスピリチュアリティに関わる問題、例えば人間の物語として存在してきた「化け物」まで対象を広げている。
一方、わが国でも健康に関わるスピリチュアルな課題が動物介在教育?活動?療法などを活用して研究されはじめて久しい。その結果、これらの手法が人間の健康増進、医学における補完医療、高齢者や障害者の正常化、さらには子供の心身の健康的な発達に大きな役割を担っていることが認知され、わが国でも2008年に「日本動物介在教育?療法学会?が設立された。
とはいえ、わが国における動物介在教育?活動?療法などを進展させるためには、活用動物の習性や行動に基づく介在方法、公衆衛生上の評価、さらには倫理規定など周辺環境の整備がまだ十分に整っているとはいえない。今回のシンポジウムは、上述したスピリチュアリティの問題を「人と動物の関係学」の立場から考える場にもなるであろう。
農医連携による動物と人が共存する健康な社会をめざして(文献?資料:14、15)
農と環境と医療、すなわち環境を通した「農医連携」に関して、国内における地際、世界における国際、専門分野における学際、そして現在と未来のあいだの世代関係のあるべき姿を、誰が代表して考察するのか。となれば、その第一人者は知識人であろう。
しかし、近現代において知識人は衰退する一方である。そのかわりに、特定分野に長けた専門家が増えてきている。その傾向は、いわゆる高度情報化の動きのなかでさらに加速している。知識を総合的に解釈する者が少なくなって、知識を部分的に分析したり現実的に利用する者が、わがもの顔をしはじめている。そのうえ、多くの専門家はその分野の責任を避けるため、専門に没頭しているかのようにも見える。環境を通した「農医連携」問題は、知識人たることがきわめて難しい分野である。どう対応したらいいのか。
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@では、「知と知」の「分離の病」を克服すべく「統合知」の立場から「農医連携の科学」を提唱して4年が経過した。その経過と内容については、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ホームページの「農医連携」や養賢堂から出版している「博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書第1~7号」に詳しく紹介した。
これまでは、「農医連携」のあるべき姿の探求材料に資するため、以下のシンポジウムを開催してきた。第1回:農?環境?医療の連携を求めて、第2回:代替医療と代替農業の連携を求めて‐現代社会における食?環境?健康‐、第3回:鳥インフルエンザ‐農と環境と医療の視点から‐、第4回:農と環境と健康に及ぼすカドミウムとヒ素の影響、第5回:地球温暖化‐農と環境と健康に及ぼす影響評価とその対策?適応技術‐、第6回:食の安全と予防医学。
今回は「動物と人が共存する健康な社会」と題したシンポジウムではあるが、この課題をさらに深めるためには次のような項目も加味する必要があることは、十分承知している。人と動物の良き相互関係、動物が人間に与える影響、人間が動物に与える影響、動物と人間の関係の止揚、野生動物の保護管理、伴侶動物学、動物行動学、バイオセラピー、生物多様性科学、応用動物科学、産業動物医学、動物介在活動、動物介在療法、人獣共通感染学、人と動物の歴史、野生動物の分類保全管理、野生動物医学、野生動物と農業被害、野生動物との共生、野生生物保護学、自然保護計画、野生生物と環境、絶滅種、野生動物のリハビリテーション、人獣感染防御、伴侶動物と人の共生、人と動物の物流の増大(人獣感染?食品医薬品の安全性?環境と野生生物)など。
さらに、「動物と人が共存する健康な社会をめざして」と題するシンポジウムでは、前段で強調したこれらの背景の裏にあるスピリチュアリティの問題を避けて通ることはできないであろう。今回のシンポジウムに、少しでもスピリチュアリティに関する内容が加味されれば、企画した者にとっては大いなる悦びである。
参考文献?資料
人と動物とスピリチュアリティ
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@教授 陽 捷行
スピリチュアリティとは(文献?資料:1,2)
世界保健機関(WHO)は、憲章前文のなかで「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない(昭和26年官報掲載):Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」と定義してきた。
その後、1998年のWHO執行理事会において「健康」の定義を「完全な肉体的、精神的、spiritual及び社会的福祉のdynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない:Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」に定義改訂する議論が行われた。しかし結局、この提案は採決に至らなかった。
WHOは上述した健康の定義改訂の議論の前に、すでにスピリチュアリティに関する問題を緩和医療の中で取り上げていた。緩和医療とは「治療を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、spiritual problemの解決が最も重要な問題となる」とあり、スピリチュアルな問題に取り組むことが重要であると明記されている。
スピリチュアルとは、次のように記述されている。「人間として生きるということに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人にとって『生きていること』がもつ霊的な側面には宗教的な因子が含まれているが、『霊的』は『宗教的』と同じ意味ではない。霊的な因子は身体的、心理的、社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっていることが多い。時に人生の終末に近づいた人にとっては、自ら許すこと、他の人々との和解、価値の確認などと関連していることが多い」。日本医師会の「2008年版 ガン緩和ケアガイドブック」では、このスピリチュアルな問題に関して「生きている意味や価値についての疑問」と説明されている。
スピリチュアルという言葉が、マスコミニュケーションの影響で神秘性や超常性といったイメージばかり強調され、本来の意味が理解されにくい状況にある。これには、人生の意味?目的などの自己超越、大自然への畏怖や命の永続性などの自己超越、この他にも個人や民族の文化?宗教など多用な要素や重み付けがあるだろう。お墓に参ること、動物と共存すること、花を美しいと思うこと、先祖の供養、「いただきます」という言葉などにもスピリチュアルは適応される。
はたして共通の定義は?(文献?資料:3~6)
健康に及ぼす影響をきわめて科学的な立場から研究したHarold G. Koenig(コーニック)は、「スピリチュアリティが健康をもたらすか‐科学的研究にもとづく医療と宗教の関係‐:Medicine, Religion, and Health -Where Science and Spirituality Meet-」と題する冊子を出版した。旭川医科大学の杉岡良彦氏によって翻訳されている。この冊子では、この分野における科学的な研究に基づく論文成果が整理され、専門以外の素人にもわかりやすく解説されている。
そこでは、スピリチュアリティという用語に対して2つの定義が提案されている。ひとつはスピリチュアリティと健康の関係を調査し研究するための定義、他は研究した所見を患者のケアに応用するための定義である。この分野で著名な数人の研究者とコーニックの定義が紹介されるが、その様態は多岐にわたる。
これらのスピリチュアリティの定義には、多くの意味?目的、心の平安?救い、他者とのつながり、信念?価値、驚き?畏敬?愛?許し?感謝などの感情、支援、そのほか健康的で肯定的な用語など数多くの概念が含まれていることである。定義しようとする人によって、どのようにでも定義される。こうした広範な定義は臨床ではうまく機能するが、研究をするには大きな混乱をもたらすであろう。これらの現状をみると、近い将来われわれがスピリチュアリティに関する共通の定義を見出すことはできそうもない。
しかしスピリチュアリティという言葉を漠然と使用することは、研究の方法論の視点から問題がある。スピリチュアリティを含む健康に関する研究において、さらなる知識を獲得するには、新たな明瞭性と特異性が必要である。そのとき、例えば、今回のシンポジウム「動物と人が共存する健康な社会」を語るときは、人道的とか教育的とか教育心理的とか、すでに確立されている心理学的な用語を使用するべきであろう。
このような状況の中で、「日本スピリチュアルケア学会」が2007年に発足した。設立趣意書には次のようなことが書かれている。「本会は、すべての人々がスピリチュアリティを有しているという認識に基づき、医療、宗教、福祉、教育、産業等のあらゆる領域において、それぞれの分野が持つ壁を超越するかたちでスピリチュアルケアを実践することこそが、スピリチュアリティの深層の意味を問う作業であるという理念をかかげ、スピリチュアリティの理論的かつ実践的課題を解明することによって、現代に渦巻く様々な問題の解決に努めて行こうとするものである」。今回のシンポジウムもその傘下にあるといえるであろう。
医療と動物の関わり(文献?資料:7~13)
人間と動物との関係学は、これまで主として文化人類学の一領域に属していたが、生態人類学、民族生物学、動物学、畜産学、獣医学など他の専門領域の学徒もこの分野の研究を推進してきた。そのため、それぞれの専門領域では研究の関心や手法が異なり、研究成果の総合的な実態がつかみにくい現状にあった。1995年に東京大学の林良博教授の呼びかけで、理系と文系に散在するこの分野の研究者だけでなく、動物愛護や動物園の関係者らも加わり「ヒトと動物の関係学会」が設立された。それらの成果の一部が最近「ヒトと動物の関係学(岩波書店)」にまとめられている。
2003年には、人と生物の関係は人間が属する民族や文化が深く関わっているとの認識から「生き物文化誌学会」が設立された。この学会は「生き物」という言葉に表れているように、動物のみでなく植物や微生物のほか、人のスピリチュアリティに関わる問題、例えば人間の物語として存在してきた「化け物」まで対象を広げている。
一方、わが国でも健康に関わるスピリチュアルな課題が動物介在教育?活動?療法などを活用して研究されはじめて久しい。その結果、これらの手法が人間の健康増進、医学における補完医療、高齢者や障害者の正常化、さらには子供の心身の健康的な発達に大きな役割を担っていることが認知され、わが国でも2008年に「日本動物介在教育?療法学会?が設立された。
とはいえ、わが国における動物介在教育?活動?療法などを進展させるためには、活用動物の習性や行動に基づく介在方法、公衆衛生上の評価、さらには倫理規定など周辺環境の整備がまだ十分に整っているとはいえない。今回のシンポジウムは、上述したスピリチュアリティの問題を「人と動物の関係学」の立場から考える場にもなるであろう。
農医連携による動物と人が共存する健康な社会をめざして(文献?資料:14、15)
農と環境と医療、すなわち環境を通した「農医連携」に関して、国内における地際、世界における国際、専門分野における学際、そして現在と未来のあいだの世代関係のあるべき姿を、誰が代表して考察するのか。となれば、その第一人者は知識人であろう。
しかし、近現代において知識人は衰退する一方である。そのかわりに、特定分野に長けた専門家が増えてきている。その傾向は、いわゆる高度情報化の動きのなかでさらに加速している。知識を総合的に解釈する者が少なくなって、知識を部分的に分析したり現実的に利用する者が、わがもの顔をしはじめている。そのうえ、多くの専門家はその分野の責任を避けるため、専門に没頭しているかのようにも見える。環境を通した「農医連携」問題は、知識人たることがきわめて難しい分野である。どう対応したらいいのか。
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@では、「知と知」の「分離の病」を克服すべく「統合知」の立場から「農医連携の科学」を提唱して4年が経過した。その経過と内容については、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ホームページの「農医連携」や養賢堂から出版している「博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書第1~7号」に詳しく紹介した。
これまでは、「農医連携」のあるべき姿の探求材料に資するため、以下のシンポジウムを開催してきた。第1回:農?環境?医療の連携を求めて、第2回:代替医療と代替農業の連携を求めて‐現代社会における食?環境?健康‐、第3回:鳥インフルエンザ‐農と環境と医療の視点から‐、第4回:農と環境と健康に及ぼすカドミウムとヒ素の影響、第5回:地球温暖化‐農と環境と健康に及ぼす影響評価とその対策?適応技術‐、第6回:食の安全と予防医学。
今回は「動物と人が共存する健康な社会」と題したシンポジウムではあるが、この課題をさらに深めるためには次のような項目も加味する必要があることは、十分承知している。人と動物の良き相互関係、動物が人間に与える影響、人間が動物に与える影響、動物と人間の関係の止揚、野生動物の保護管理、伴侶動物学、動物行動学、バイオセラピー、生物多様性科学、応用動物科学、産業動物医学、動物介在活動、動物介在療法、人獣共通感染学、人と動物の歴史、野生動物の分類保全管理、野生動物医学、野生動物と農業被害、野生動物との共生、野生生物保護学、自然保護計画、野生生物と環境、絶滅種、野生動物のリハビリテーション、人獣感染防御、伴侶動物と人の共生、人と動物の物流の増大(人獣感染?食品医薬品の安全性?環境と野生生物)など。
さらに、「動物と人が共存する健康な社会をめざして」と題するシンポジウムでは、前段で強調したこれらの背景の裏にあるスピリチュアリティの問題を避けて通ることはできないであろう。今回のシンポジウムに、少しでもスピリチュアリティに関する内容が加味されれば、企画した者にとっては大いなる悦びである。
参考文献?資料
- 厚生労働省HP報道発表資料:WHO憲章における健康の定義の改正案について、http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1103/h0319-1_6.html
- がんの痛みからの解放とバリアティブ?ケアーがん患者の生命へのよき支援のために: 世界保健機関編、武田文和訳、金原出版(1993)
- 杉岡良彦:医学教育の中でスピリチュアリティに関する講義が必要か、旭川医科大学紀要、一般教育、25、23-42(2009)
- スピリチュアリティは健康をもたらすか:ハロルド G. コーニック著、杉岡良彦訳、医学書院(2009)
- 佐久間哲也:日本スピリチュアルケア学会発足の背景、田方医師会報、70、1643-1646(2009)
- 日本スピリチュアルケア学会HP:http://www.spiritual-care.jp/
- 動物観と表象:ヒトと動物の関係学 第1巻、奥野卓治?秋篠宮文仁編著、岩波文庫(2009)
- 家畜の文化:ヒトと動物の関係学 第2巻、秋篠宮文仁?林 良博編著、岩波文庫(2009)
- ペットと社会:ヒトと動物の関係学 第3巻、森 裕司?奥野卓司編著、岩波文庫(2009)
- 野生と環境:ヒトと動物の関係学 第4巻、池谷和信?林 良博編著、岩波文庫(2009)
- ヒトと動物の関係学会HP:http://www.hars.gr.jp/
- 生き物文化誌学会HP:http://www.net-sbs.org/
- 動物介在教育?療法学会HP:http://asaet.org/
- 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@HP:農医連携 /jp/noui/index.html
- 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書:第1~7号、養賢堂(2006~2009)
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容‐動物と人が共存する健康な社会‐(3)人と動物の望ましい関係
平成22年3月4日に開催された第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「人と動物の望ましい関係」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。
近年、人里に下りてくる野生動物が急増し、3年前には4,000頭を超える熊が射殺された。地上最大の動物であるゾウも、生息数が急激に減少しているにもかかわらず、世界各地で捕殺されている。しかし3年前にコスモス国際賞を受賞したスクマール博士によれば、インドでは毎年250名の人間がゾウに襲われ死んでいるにもかかわらず、それを理由に処分されるゾウは1-2頭であるという。一方ドイツでは、動物と暮らすことによって毎年7千億円を超える医療費が節減されているという試算がある。このような人と動物をめぐる複雑な状況において、21世紀の人と動物の関係はどうあるべきかを論ずる。
動物には野生動物だけでなく、家畜や家禽など、人とともに暮らす動物たちがいる。かつての日本の農山漁村は、貧しいながらも豊かな自然と文化の中で、子どもたちを健全に育てる能力を有していた。いまや1,000戸ほどに減少してしまった養蚕農家も、最盛期には120万戸もあり、子どもたちは蚕とはどんな生き物かを日常的に知っていた。戦後の一時期とはいえ、山羊?緬羊を1、2頭ずつ副業として飼育していた百万農家も激減し、日本緬羊協会は日本畜産技術協会に吸収合併された。多くの子どもにとって、山羊?緬羊は農村ではなく、動物園に展示される動物になってしまったのである。
家畜家禽だけでなく、野生動物の多くも絶滅したか、絶滅寸前のところまで追い込まれてしまった。かつて5,000もの地方名をもっていたメダカがその典型で、小学五年生の教科書に描かれているメダカは、メダカではなくヒメダカになってしまった(その結果、子どもたちはメダカのおなかは赤いと信じている)。
日本の新?生物多様性国家戦略は、生物多様性は三つの危機に直面しているという。第一の危機は、人間による過度の開発によって種の減少や絶滅が起こることであり、日本産のトキなどはこの典型である。第二の危機は、第一の危機とは正反対に、自然に対する人間の働きかけが減っていくことによって生物多様性が減じることである。里地里山の荒廃がその典型である。第三の危機は、移入種や化学物質による影響で、アライグマ、ブラックバスなど人間によって外国から持ち込まれた種が地域固有種を脅かしている。
1995年に「ヒトと動物の関係学会」を設立してから15年が経過した。しかし、わたしはいまだに「ヒトと動物の関係学」を確立された「一つの」学問と呼べないでいる。それは海老原明夫教授(東京大学法学部)が、"「比較法史学」を単なる学際的な研究プロジェクトではなくて、「一つの」学問と敢えて呼ぶ"と述べた決意と対照的である。
もちろんわたしたち「ヒトと動物の関係学会」も比較法史学会と同様に、「学際的」という「言葉は美しいが単なる寄せ集め」を避けようと最大限の努力を払ったし、会員も"自分自身の研究対象や方法を超えて議論を展開するだけの能力と度量を備えて"いた。しかし青木人志氏が、その著書「動物の比較法文化」(有斐閣)のはしがきにおいて「比較法文化論」という言葉を用いたと同じ脈絡において、わたしは「ヒトと動物の関係性」をいまだに「学」とは呼べないでいる。
その理由を自己分析してみると、「理」より「情」の方がより強く「人と動物の関係性」を支配しているのではないかという、ごく当たり前の結論が得られた。「学」をどのように定義するか、人によって異なるであろうが、学界の多くは普遍的原理の追求を「学」の基本的使命としている。竹内実氏が述べたように、"「理」は「理」であるとしかいいようのないもの"ではあるが、「情」とくらべると遥かに「法」に馴染むだけの普遍性を有しており、「法」に重点を置こうが「理」に重点を置こうが、これら二者は「学」の世界で議論を展開することが可能である。
しかし「情」の世界を「学」に持ち込んで議論を展開するとなると、これはかなり厄介な作業となる。わたしたちは「ヒトと動物の関係学会」で、自分自身の研究対象や方法を超えて議論する際に重視したのは、その「能力」よりも「度量」であった。相手の話しを聞いているうちに沸き起こる不愉快な「情」を抑えていかに理性的な議論ができるか、それを試す場として学会を設立したが、結果としてうまく機能したのである。
わたしたち学会の発起人にとって、これは予想外のことであった。多くの集合住宅でペットの飼育を認めるか否かをめぐって激しい「言い争い」があったし、これからも続くであろうが、それはわたしが体験した限りではとても議論といえるものではなく、「情」と「情」のぶつかり合いでしかない。そのような状況において、他人の話しを聞いて全体で議論するだけの度量をもつ人がどの程度存在するのか予想できなかったが、こうした杞憂を吹き飛ばすような成熟した議論が15年以上も続いて現在に至っている。成熟した議論を可能にしたのは、「関係の多様性」が存在することをまず認識し、それを前提に議論しようとする会員の真摯な態度であった。それは普遍性の追求だけが「学」であるとする、とくに前世紀の「理系」人間にみられた偏狭でかたくなな態度ではなく、個別性や地域性のような「多様性」を大切にしたいという人々が増えたことによるのであろう。その象徴的な出来事として、「動物の保護及び管理に関する法律」が「動物の愛護及び管理に関する法律」へと改正されたことがある。
法律の名称としては「保護」が「愛護」に変わっただけに過ぎないが、「愛護」という言葉はいまだに生物学の世界で市民権を得ていないものであり、前世紀の「理系」的発想からすると到底認められない名称なのである。そもそも「愛護」を英訳しようとするならば、どのような英語を充てることができるのか。「保護」と「保全」を正確に使い分けしている「理系」人間にとって、英語にならない言葉を使うこと自体が赦しがたいことである。また人とペットの関係のように、主体と客体とが相互に影響しあうような関係性を表現した「愛護」という言葉に対する蔑視を、前世紀の「理系」人間は隠しきれない。そうした人間たちにとって、改正された「動物の愛護及び管理に関する法律」の第1章「総則」に多用されている「命あるものである動物」という言葉の意味を理解することが困難である。動物が「命あるもの」であるのは生物学の常識であり、当たり前のことを何度も繰り返している法律に、嫌気がさすことはあってもその真の意味を理解しようとはしない。
しかし人々の多くは、もっと素直に総則を理解しようとしている。昭和48年に制定された「動物の保護及び管理に関する法律」は、その基本原則において"何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない"と高らかに動物愛護の精神を謳っているが、その後の二十数年間の経緯をみると必ずしもこの高貴な精神が生かされてこなかったという反省をこめて、"動物が命あるものであることにかんがみ"という一文が改正された法律に付け加えられたことを直感的に理解しているのである。
日本人は千葉徳爾氏のいうように、動物を"敬して遠ざけて"きた民である。それは国土の大半が森林に覆われ、人は里に住み、動物は山に棲むことを可能にした風土が生んだ「人と動物の関係性」の一形態であった。しかし、もはやそのような棲み分けが不可能になった今日において、日本人の「情」に合った「理」が形成され、その「理」に基づいて「法」が整備されなければならない。
それが21世紀に望まれる人と動物の関係性を担保するであろう。
人と動物の望ましい関係
東京大学大学院農学生命科学研究科教授 林 良博
近年、人里に下りてくる野生動物が急増し、3年前には4,000頭を超える熊が射殺された。地上最大の動物であるゾウも、生息数が急激に減少しているにもかかわらず、世界各地で捕殺されている。しかし3年前にコスモス国際賞を受賞したスクマール博士によれば、インドでは毎年250名の人間がゾウに襲われ死んでいるにもかかわらず、それを理由に処分されるゾウは1-2頭であるという。一方ドイツでは、動物と暮らすことによって毎年7千億円を超える医療費が節減されているという試算がある。このような人と動物をめぐる複雑な状況において、21世紀の人と動物の関係はどうあるべきかを論ずる。
動物には野生動物だけでなく、家畜や家禽など、人とともに暮らす動物たちがいる。かつての日本の農山漁村は、貧しいながらも豊かな自然と文化の中で、子どもたちを健全に育てる能力を有していた。いまや1,000戸ほどに減少してしまった養蚕農家も、最盛期には120万戸もあり、子どもたちは蚕とはどんな生き物かを日常的に知っていた。戦後の一時期とはいえ、山羊?緬羊を1、2頭ずつ副業として飼育していた百万農家も激減し、日本緬羊協会は日本畜産技術協会に吸収合併された。多くの子どもにとって、山羊?緬羊は農村ではなく、動物園に展示される動物になってしまったのである。
家畜家禽だけでなく、野生動物の多くも絶滅したか、絶滅寸前のところまで追い込まれてしまった。かつて5,000もの地方名をもっていたメダカがその典型で、小学五年生の教科書に描かれているメダカは、メダカではなくヒメダカになってしまった(その結果、子どもたちはメダカのおなかは赤いと信じている)。
日本の新?生物多様性国家戦略は、生物多様性は三つの危機に直面しているという。第一の危機は、人間による過度の開発によって種の減少や絶滅が起こることであり、日本産のトキなどはこの典型である。第二の危機は、第一の危機とは正反対に、自然に対する人間の働きかけが減っていくことによって生物多様性が減じることである。里地里山の荒廃がその典型である。第三の危機は、移入種や化学物質による影響で、アライグマ、ブラックバスなど人間によって外国から持ち込まれた種が地域固有種を脅かしている。
1995年に「ヒトと動物の関係学会」を設立してから15年が経過した。しかし、わたしはいまだに「ヒトと動物の関係学」を確立された「一つの」学問と呼べないでいる。それは海老原明夫教授(東京大学法学部)が、"「比較法史学」を単なる学際的な研究プロジェクトではなくて、「一つの」学問と敢えて呼ぶ"と述べた決意と対照的である。
もちろんわたしたち「ヒトと動物の関係学会」も比較法史学会と同様に、「学際的」という「言葉は美しいが単なる寄せ集め」を避けようと最大限の努力を払ったし、会員も"自分自身の研究対象や方法を超えて議論を展開するだけの能力と度量を備えて"いた。しかし青木人志氏が、その著書「動物の比較法文化」(有斐閣)のはしがきにおいて「比較法文化論」という言葉を用いたと同じ脈絡において、わたしは「ヒトと動物の関係性」をいまだに「学」とは呼べないでいる。
その理由を自己分析してみると、「理」より「情」の方がより強く「人と動物の関係性」を支配しているのではないかという、ごく当たり前の結論が得られた。「学」をどのように定義するか、人によって異なるであろうが、学界の多くは普遍的原理の追求を「学」の基本的使命としている。竹内実氏が述べたように、"「理」は「理」であるとしかいいようのないもの"ではあるが、「情」とくらべると遥かに「法」に馴染むだけの普遍性を有しており、「法」に重点を置こうが「理」に重点を置こうが、これら二者は「学」の世界で議論を展開することが可能である。
しかし「情」の世界を「学」に持ち込んで議論を展開するとなると、これはかなり厄介な作業となる。わたしたちは「ヒトと動物の関係学会」で、自分自身の研究対象や方法を超えて議論する際に重視したのは、その「能力」よりも「度量」であった。相手の話しを聞いているうちに沸き起こる不愉快な「情」を抑えていかに理性的な議論ができるか、それを試す場として学会を設立したが、結果としてうまく機能したのである。
わたしたち学会の発起人にとって、これは予想外のことであった。多くの集合住宅でペットの飼育を認めるか否かをめぐって激しい「言い争い」があったし、これからも続くであろうが、それはわたしが体験した限りではとても議論といえるものではなく、「情」と「情」のぶつかり合いでしかない。そのような状況において、他人の話しを聞いて全体で議論するだけの度量をもつ人がどの程度存在するのか予想できなかったが、こうした杞憂を吹き飛ばすような成熟した議論が15年以上も続いて現在に至っている。成熟した議論を可能にしたのは、「関係の多様性」が存在することをまず認識し、それを前提に議論しようとする会員の真摯な態度であった。それは普遍性の追求だけが「学」であるとする、とくに前世紀の「理系」人間にみられた偏狭でかたくなな態度ではなく、個別性や地域性のような「多様性」を大切にしたいという人々が増えたことによるのであろう。その象徴的な出来事として、「動物の保護及び管理に関する法律」が「動物の愛護及び管理に関する法律」へと改正されたことがある。
法律の名称としては「保護」が「愛護」に変わっただけに過ぎないが、「愛護」という言葉はいまだに生物学の世界で市民権を得ていないものであり、前世紀の「理系」的発想からすると到底認められない名称なのである。そもそも「愛護」を英訳しようとするならば、どのような英語を充てることができるのか。「保護」と「保全」を正確に使い分けしている「理系」人間にとって、英語にならない言葉を使うこと自体が赦しがたいことである。また人とペットの関係のように、主体と客体とが相互に影響しあうような関係性を表現した「愛護」という言葉に対する蔑視を、前世紀の「理系」人間は隠しきれない。そうした人間たちにとって、改正された「動物の愛護及び管理に関する法律」の第1章「総則」に多用されている「命あるものである動物」という言葉の意味を理解することが困難である。動物が「命あるもの」であるのは生物学の常識であり、当たり前のことを何度も繰り返している法律に、嫌気がさすことはあってもその真の意味を理解しようとはしない。
しかし人々の多くは、もっと素直に総則を理解しようとしている。昭和48年に制定された「動物の保護及び管理に関する法律」は、その基本原則において"何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない"と高らかに動物愛護の精神を謳っているが、その後の二十数年間の経緯をみると必ずしもこの高貴な精神が生かされてこなかったという反省をこめて、"動物が命あるものであることにかんがみ"という一文が改正された法律に付け加えられたことを直感的に理解しているのである。
日本人は千葉徳爾氏のいうように、動物を"敬して遠ざけて"きた民である。それは国土の大半が森林に覆われ、人は里に住み、動物は山に棲むことを可能にした風土が生んだ「人と動物の関係性」の一形態であった。しかし、もはやそのような棲み分けが不可能になった今日において、日本人の「情」に合った「理」が形成され、その「理」に基づいて「法」が整備されなければならない。
それが21世紀に望まれる人と動物の関係性を担保するであろう。
農?環?医にかかわる国際情報:10.メリーランド大学
アグロメディシン(Agromedicine)とは、医学と農学の専門家が農家、農業者および消費者の健康と安全を促進するために協力?連携する分野である。メリーランドの農医連携プログラムは、環境汚染にさらされている農業者以外の住民をも対象にしている。このプログラムは、広く農薬に焦点をあて、健康管理を専門にワークショップや教育活動を行っている。またメリーランド大学を本拠として、農薬教育や評価プログラムなどの教育を行っている。
協力団体は、郡や地域の普及教育者、学内普及専門家、医学?看護学の専門家、メリーランド毒物センター、メリーランド?デラウエア州地域健康教育センター(AHEC)およびメリーランド州農政部である。
メリーランド農医連携プログラムは、保健医療従事者や他の専門家にセミナーや教材を提供する。テーマは用語の定義、関連する法律や規則の簡単な批評、農薬の使用と汚染のパターン、農薬の潜在的な健康への影響、現在の農薬に関連する健康への概念や問題、汚染の歴史、農薬に関連した病気の診断と治療などである。セミナー参加者には、医療従事者のための農薬原論と農薬汚染の認識?管理に関する2冊のマニュアル本が提供される。現在のセミナーは看護学校、衛生学者、移民や季節労働者の治療をする医者のために提供されている。有害物質疾病登録機関(ATSDR)では、環境医学におけるケーススタディを扱っている。
MINPASプログラム(Maryland Information Network for Pesticides & Alternative Strategies:農薬と代替戦略に関するメリーランド情報ネットワーク)
MINPASは、害虫防除管理の現状と経緯に関連する情報を集め発信する国家ネットワークプロジェクトである。目的は地元?地域?州?国家の害虫防除の実践に関する知識?意識?理解のレベルを改善することにある。MINPASは、連邦政府と州の規制機関や州内のすべての総合的害虫防除における、農薬を含むすべての総合的害虫防除(IPM)管理の使用および使用法に関する情報源である。
メリーランドIPMプログラムは、もっとも経済的で人?土地?資源?環境にリスクが最小になるように害虫被害の許容レベルを守るために利用可能な害虫学?環境情報?技術の活用を提供する。IPMは、商業的生産物から野生地?開発住宅地?公共の場まで、すべての領域での効果的な害虫防除に関する管理についての情報を提供する。
メリーランド大学のIPMプログラムとプロジェクトは、メリーランド共同組合およびメリーランド農業試験場の教職員によって創出された。IPMに興味を持った市民は、メリーランド園芸情報センター(HGIC)から目的の情報や特別な助言を得ることができる。HGICは、州の住民に研究に基づく害虫管理と園芸に関する最新の情報を提供する。その目的は、州の住民が利用できる最新の技術と情報を共有することであり、健康な緑の世界を支持することでもある。
メリーランドIPMプログラムの活動は、多様な自然とかかわっているので、作物学、昆虫学、園芸学、植物病理学、雑草学の教師が必要である。すべての関係者が、農業と園芸作物と都市構造での害虫管理の助けとなる情報を提供するプロジェクトに貢献している。
メリーランドのIPMの取り組みは、生化学的?文化的?物理的?化学的防除を改革し、決められた地域での評価を経て、経済影響?環境影響?健康リスクを最小にすることに焦点をあてている。メリーランンドIPMプログラムの農業部分は、協力しあい学際的な基礎に基づいて革新的な研究を実施している。
協力団体は、郡や地域の普及教育者、学内普及専門家、医学?看護学の専門家、メリーランド毒物センター、メリーランド?デラウエア州地域健康教育センター(AHEC)およびメリーランド州農政部である。
メリーランド農医連携プログラムは、保健医療従事者や他の専門家にセミナーや教材を提供する。テーマは用語の定義、関連する法律や規則の簡単な批評、農薬の使用と汚染のパターン、農薬の潜在的な健康への影響、現在の農薬に関連する健康への概念や問題、汚染の歴史、農薬に関連した病気の診断と治療などである。セミナー参加者には、医療従事者のための農薬原論と農薬汚染の認識?管理に関する2冊のマニュアル本が提供される。現在のセミナーは看護学校、衛生学者、移民や季節労働者の治療をする医者のために提供されている。有害物質疾病登録機関(ATSDR)では、環境医学におけるケーススタディを扱っている。
MINPASプログラム(Maryland Information Network for Pesticides & Alternative Strategies:農薬と代替戦略に関するメリーランド情報ネットワーク)
MINPASは、害虫防除管理の現状と経緯に関連する情報を集め発信する国家ネットワークプロジェクトである。目的は地元?地域?州?国家の害虫防除の実践に関する知識?意識?理解のレベルを改善することにある。MINPASは、連邦政府と州の規制機関や州内のすべての総合的害虫防除における、農薬を含むすべての総合的害虫防除(IPM)管理の使用および使用法に関する情報源である。
メリーランドIPMプログラムは、もっとも経済的で人?土地?資源?環境にリスクが最小になるように害虫被害の許容レベルを守るために利用可能な害虫学?環境情報?技術の活用を提供する。IPMは、商業的生産物から野生地?開発住宅地?公共の場まで、すべての領域での効果的な害虫防除に関する管理についての情報を提供する。
メリーランド大学のIPMプログラムとプロジェクトは、メリーランド共同組合およびメリーランド農業試験場の教職員によって創出された。IPMに興味を持った市民は、メリーランド園芸情報センター(HGIC)から目的の情報や特別な助言を得ることができる。HGICは、州の住民に研究に基づく害虫管理と園芸に関する最新の情報を提供する。その目的は、州の住民が利用できる最新の技術と情報を共有することであり、健康な緑の世界を支持することでもある。
メリーランドIPMプログラムの活動は、多様な自然とかかわっているので、作物学、昆虫学、園芸学、植物病理学、雑草学の教師が必要である。すべての関係者が、農業と園芸作物と都市構造での害虫管理の助けとなる情報を提供するプロジェクトに貢献している。
メリーランドのIPMの取り組みは、生化学的?文化的?物理的?化学的防除を改革し、決められた地域での評価を経て、経済影響?環境影響?健康リスクを最小にすることに焦点をあてている。メリーランンドIPMプログラムの農業部分は、協力しあい学際的な基礎に基づいて革新的な研究を実施している。
農?環?医にかかわる国際情報:11.南カロライナ医療大学
農医連携プログラム(AP)は、南カロライナ医科大学(MUSC)の医学部における公衆衛生?公共サービス科の課題のひとつである。このプログラムは、1984年のClemson大学との連携に始まる。農業従事者や消費者である国民の健康と安全を改善するために、医学と農業を連携する革新的なアプローチとして、1986年にWKケロッグ財団によって創出された。国家的に新しい指導的なものと認識されている。APには、公共サービス?教育?調査の3つの分野がある。
公共サービス:APは南カロライナの46地区のすべてに亘る。Clemson大学の協同拡張サービスと通常サービスプログラム機関は、日常的にクライアントを援助するためのAPを紹介する。APの教師とスタッフは、保健医療の専門家や一般の人に年間300件の相談を提供している。相談の範囲は、電話での問い合わせ、綿密な文献レビューの調査、全国的な専門家との協議、適切な機関や保健医療サービス提供者の紹介などさまざまである。
農薬による農業現場や住居汚染が、相談件数の半分をこえている。他には、節足動物や蜘蛛の刺傷、食品の安全性、水質などの相談も頻繁にある。APは専門の文献、雑誌?新聞などのライブラリーであり、支援協議委員会に基づいてコンピュータ化された文献データーベースの役目も果たしている。
APは電話では診断しない。市民の主治医に問い合わせる。こうして、APは医師と患者を結びつける。もし患者に主治医がいないなら、現地の医者を紹介する。しばしば農医連携プログラム相談担当医者が紹介される。もし患者からの要求があれば、南カロライナ医科大学の家庭医学部門の医者による評価も可能である。
教育:APは州全体の数千人に年間約50回の講義を提供している。講義内容の約60%は、農業者、農業関連産業従事者および市民団体むけである。残りの講義は、病院や医療専門家向け、南カロライナ医科大学の医療者や学生向けである。また、南カロライナ州全体の家庭プログラムの7つの教育サイトで、住民向けに配信される。南カロライナ医科大学では、医学生は1ヶ月選択科目としてAPを取得する。家庭医学を学ぶ住民は、労働環境プログラムで提供される必須の講義の一部として農医連携の訓練を受ける。
講義に加えてAPに関わる教授とスタッフは、講義に加えてパンフレットやビデオテープ、医師のための自己学習論文、コンピュータ支援教育構成単位を含む数年にわたる広範囲な教材開発などを行った。またAPは、出版物を通じた教育も行っている。
農医連携の博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@レター:Agromedicine Program Update が毎月発行され、州全体の農業と医療の専門家に配布されている。博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@レターは農医連携に関する継続的な教育を提供し、APでの現在の開発に関する最新の情報を読者に提供している。他に、診断と管理に対する農業従事者のガイド(AG-MED: The Rural Practitioner's Guide to Agromedicine, Diagnosis and Management at Glance)を発刊している。
調査について:公共サービス相談を通して行われる個々の事情に即した調査に加えて、APは農医連携に関する調査を行っている。例えば、農薬汚染に関する疫学的研究やダニ媒介疾患、農民の死亡率パターン、農薬汚染に対する防護服、田舎のこどもや農家の家族のストレスによる騒音性難聴などを含む数年に及ぶ調査活動がある。調査結果は教育プログラムに組み込まれ、農業従事者や医療従事者に共有される。これまで出版された調査結果は以下の通りである。
公共サービス:APは南カロライナの46地区のすべてに亘る。Clemson大学の協同拡張サービスと通常サービスプログラム機関は、日常的にクライアントを援助するためのAPを紹介する。APの教師とスタッフは、保健医療の専門家や一般の人に年間300件の相談を提供している。相談の範囲は、電話での問い合わせ、綿密な文献レビューの調査、全国的な専門家との協議、適切な機関や保健医療サービス提供者の紹介などさまざまである。
農薬による農業現場や住居汚染が、相談件数の半分をこえている。他には、節足動物や蜘蛛の刺傷、食品の安全性、水質などの相談も頻繁にある。APは専門の文献、雑誌?新聞などのライブラリーであり、支援協議委員会に基づいてコンピュータ化された文献データーベースの役目も果たしている。
APは電話では診断しない。市民の主治医に問い合わせる。こうして、APは医師と患者を結びつける。もし患者に主治医がいないなら、現地の医者を紹介する。しばしば農医連携プログラム相談担当医者が紹介される。もし患者からの要求があれば、南カロライナ医科大学の家庭医学部門の医者による評価も可能である。
教育:APは州全体の数千人に年間約50回の講義を提供している。講義内容の約60%は、農業者、農業関連産業従事者および市民団体むけである。残りの講義は、病院や医療専門家向け、南カロライナ医科大学の医療者や学生向けである。また、南カロライナ州全体の家庭プログラムの7つの教育サイトで、住民向けに配信される。南カロライナ医科大学では、医学生は1ヶ月選択科目としてAPを取得する。家庭医学を学ぶ住民は、労働環境プログラムで提供される必須の講義の一部として農医連携の訓練を受ける。
講義に加えてAPに関わる教授とスタッフは、講義に加えてパンフレットやビデオテープ、医師のための自己学習論文、コンピュータ支援教育構成単位を含む数年にわたる広範囲な教材開発などを行った。またAPは、出版物を通じた教育も行っている。
農医連携の博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@レター:Agromedicine Program Update が毎月発行され、州全体の農業と医療の専門家に配布されている。博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@レターは農医連携に関する継続的な教育を提供し、APでの現在の開発に関する最新の情報を読者に提供している。他に、診断と管理に対する農業従事者のガイド(AG-MED: The Rural Practitioner's Guide to Agromedicine, Diagnosis and Management at Glance)を発刊している。
調査について:公共サービス相談を通して行われる個々の事情に即した調査に加えて、APは農医連携に関する調査を行っている。例えば、農薬汚染に関する疫学的研究やダニ媒介疾患、農民の死亡率パターン、農薬汚染に対する防護服、田舎のこどもや農家の家族のストレスによる騒音性難聴などを含む数年に及ぶ調査活動がある。調査結果は教育プログラムに組み込まれ、農業従事者や医療従事者に共有される。これまで出版された調査結果は以下の通りである。
- 外来カミアリによる組織的な侵入:健康への影響調査
- カミアリ:カロライナにおける健康脅威
- 1992‐1995:南カロライナにおける農薬中毒入院患者の減少
- 1997‐2001:南カロライナにおける急性農薬中毒による入院と救命救急室訪問
本の紹介 43:乳がんと牛乳‐がん細胞はなぜ消えたのか‐、ジェイン?プラント著、佐藤章夫訳、径(こみち)書房(2008)
この本の帯には、次のことが書かれている。「本書はイギリスで出版されるやいなや、批判?非難の嵐に見舞われた。だが、どの国の研究者も、本書に書かれた事実を否定することができなかった。自らの進行性乳がんを克服するため、命がけで乳がんを研究したプラント教授は、医学に多大なる貢献をしたとして、ついに英国王立医学協会の終身会員となる」「乳がんは必ず克服できる。信じてほしい。実際にできるのだ。私にできたのだから........ジェイン?プラント」。
著者ジェイン?プラントは、英国王立医学協会(Royal Society of Medicine)終身会員だ。リバプール大学で地質学を専攻し、レスター大学で博士号を取得した。今はインペリアル大学で地球化学の教授職にある。大英帝国勲章(CBE: Commander of the British Empire)も受賞した。この本のほかに、前立腺がん、骨粗鬆症、ストレスなどに関する書物も著している。
著者の専門は地球化学だ。とくに地表の化学を専門とし、天然資源として存在する鉱物の分布だけでなく、生産活動によって廃棄されたり埋め立てられた汚染物質の濃度を測定し、その影響について研究してきた。生化学者、獣医学者、免疫学者、地理病理学者などと、環境化学物質が人間の健康や動物、農作物に与える影響を研究している。とくに獣医学者との共同研究で、地球化学と生命化学のあいだに驚くほど密接な関係があることを知る。この研究は、農と医が連携しなければならない代表的な事象のひとつと捉えることができる。
この本を紹介している筆者は、イタイイタイ病の原因物質であるカドミウムをはじめ農地や作物の重金属汚染、また施肥窒素から発生する亜酸化窒素によるオゾン層破壊と温暖化の研究を続けていたため、著者プラントの語る環境と人?動物の健康の関わりへの思いが十分理解できる。
唐突だが、著者のプラントは42歳で乳がんになった。手術後に4度も再発し、何が原因かを科学者の視点で自らを観察した。その経過をこの本に凝縮した。その結果、乳製品に辿り着き、いままでの食生活を大幅に変更した。完全寬解されるまでの分析と体験を著したのが、この本だ。この本は400万部も出版され、世界的なベストセラーになった。医学への貢献の観点から、彼女は上述した英国王立医学協会の終身会員に推挙された。
訳者は山梨医科大学名誉教授で、かつては山梨医科大学の環境保健学の教授だった。大変読みやすい訳で、文章の内容から自ら訳者の人柄が偲ばれる。また、訳者は「生活習慣病を予防する食生活」と題したウエブサイトを開いている(http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/)。関心のある方はご覧頂きたい。
本書は「原著者日本語版序文」「はじめに」「第1章:帽子と大蛇と科学者」「第2章:悪さをする細胞」「第3章:3番目のイチゴを探す」「第4章:金持ち女の病気」「第5章:プラント?プログラム‐食事編」「第6章:プラント?プログラム‐生活スタイル編」「第7章:東洋の目で西洋を眺める」「訳者後記」「文献」「索引」からなる。
「原著者日本語版序文」
以下に原文を紹介する。「私は、乳製品を完全に断ちきることによって、再発?転移をくりかえす乳がんを克服した。本書はその乳がんとの戦いの物語である。同時に本書は、乳製品を止めることが、私自身だけでなく、他の女性の転移性乳がんを克服するのに、いかに役立ったかを述べている」
「ミルクは、哺乳類が生後の短期間だけ食用とするように設計された食品である。したがってミルクには、子どもの急速な成長を支えるために、いろいろな成長促進物質が含まれている。牛乳はたしかに、急速に成長する子牛(体重が1日に1キログラム増える)にとっては完璧な食品である。だからといって、乳児(1キログラム増えるのに1か月かかる)にもよい食品ということにならない。離乳期を過ぎてもなおミルクを飲む哺乳動物は人間をおいてない。成長の止まった成人が、このような成長促進物質を含む牛乳を飲んだらどうなるのか。この問いに答えたのが本書である」
「はじめに」
本書が書かれた目的は、乳がんにかかる危険性を回避し、万が一、乳がんになっても死をまぬがれる方法を簡明に示すことにある。著者自身の5回にわたる進行性乳がんの体験の物語だ。研究者としての知識?経験を総動員して、いかに乳がんと向き合い、治療に対処したかを述べた書だ。科学の本質である問い、「なぜ?」と「いかに?」を追求し続け、その答えを出したのがこの書だ。
「第1章:帽子と大蛇と科学者」
サン?テグジュペリの「星の王子さま」に、象を呑みこんだ大蛇の絵がでてくる。大人は帽子と思う。この帽子のようなものを、「呑みこんだ象を消化している大蛇」とみれる能力があれば、優れた研究者であると、著者は言う。
万有引力の法則?放射能?ペニシリンの発見者たち、すなわちニュートン?ベクレル?フレミングは、ありふれた出来事をほんの少し違った角度から眺めて、自然界の事象を法則性につなげ、人類の豊かさを飛躍的に進展させた。
実はこの本も、上述したように事象を少し違った角度から眺めている。「乳がん」に対処する新しい物の見方を述べているのが本書だ。自分の経験を具体的に紹介するため、次の内容が展開される。
「物語はいかに始まったか」「乳がんになった!」「チャリング?クロス病院へ」「科学はなぜときに人間の幸福につながらないのか」「私の物語の続き」「自分のことは自分で決める」「もう被害者になるのはご免だ」「乳がんの自己検診」「治療の前に精密検査を受けた」「乳房全摘を選んでしまった!」「人工乳房をつけた」「中間評価」「乳がん再発」「リンパ節転移で放射線による卵巣摘除を受けた」「抗がん剤治療を受けた!」「よりよいがん治療を受けるために」
なかでも「チャリング?クロス病院へ」での光景が印象的だ。乳がんクリニックの待合室。女性の年齢はいろいろで、体格や体型も違っていた。2人は黒人、1人はインド人、中東出身らしいのが2人。しかし東洋人は1人もいなかった。後で解るのだが、乳がん患者の共通点は、牛乳なのだ。東洋人は牛乳を常飲しない。
「科学はなぜときに人間の幸福につながらないのか」で、ジェームズ?ラブロックの著書『ガイア‐地球は生きている』を以下のように引用しているのは、きわめて興味深い。「生きている地球の生理学を理解するには、地球をひとつのシステムとして考えるトップダウンの見方が必要である。還元主義によるボトムアップのアプローチには限界がある」。細かい根の最先端で行われている研究への批判である。
「第2章:悪さをする細胞」
知識は力の源泉であることが強調される。そのために、がんに関する基本的知識を身につけ、がんという敵に立ち向かう力を獲得しなければならないことが強調される。乳がんに関する最新の知識を手に入れるにつれて、著者はがんの恐怖をかきたてる古くさい考えかたから解放される。
「よい細胞が悪い細胞になる」「間違った型紙でセーターを編む」「すべてが遺伝子で決まるのか?」の項目で、がん細胞の形態?機能?挙動、増殖抑制剤などが解説される。さらに正常な細胞が、がん細胞になる3種類の遺伝子群に起こる異変が解説される。その3種類とは、「がん原遺伝子」「がん抑制遺伝子」「DNA修復遺伝子」だ。
「第3章:3番目のイチゴを探す」
乳がんの主たる要因は、自然食品のミルクであることが「科学的探求心」「私は何が原因で乳がんになったのか」「獲物は近くにいる」「東洋に学ぶ」「天啓の鐘が鳴る」「獲物を捕らえた!」「どうしたらよいのか」「自然食品のミルクが健康に悪い?」の項を通して語られる。この発見は、著者の科学的視点、知識と経験、中国?韓国での研究、中国?韓国?タイ?日本の科学者との交流を通して明らかにされた。
「私はなにが原因で乳がんになったのか」では、乳がん発生に関係する要因(遺伝素因?被曝エストロジェンの総量?動物性脂肪の摂取量?性格とストレス)について、著者自らが自分の体についてチェックするが、どの要因も著者に当てはまらない。その後、西洋人と中国人のタンパク質源の牛乳と大豆の比較などから、乳がんの原因がミルクであることに気づく。
「第4章:金持ち女の病気」
この章では、牛乳がなぜ問題かが語られる。著者が数年かけて収集した情報から、乳がんと前立腺がんは、乳?乳製品の摂取量と関係することが証明される。同時に、乳?乳製品を止めたら乳がんと前立腺がんのみならず、ほかの病気の危険性も減ることが解説される。この章は、「ホルモンと乳房」「牛乳のどこが問題なのか」「乳製品が乳がんの原因となる確実な証拠」「私の勧め」の項で構成されている。
「牛乳のどこが問題なのか」では、8項目の原因が解説される。そこでは、牛乳が貧血?アトピー湿疹?1型糖尿病?食物アレルギー?喘息?偏頭痛?乳糖不耐症?細菌性家畜伝染病(ヨーネ菌)?リステリア感染症?化学物質?抗生物質?環境ホルモンなどに影響することが指摘される。
「第5章:プラント?プログラム‐食事編」
進行がんを克服するために著者が実践してきた7つの食習慣と5つの生活スタイルが紹介される。これは、すべてのがんを念頭に入れた食事療法ではない。このプログラムは、とくに乳がんと前立腺がんに的をしぼって、その細胞分裂と増殖を刺激する物質(ホルモンおよびホルモン様物質)を、食事や環境から体内にとりこまないようにする方法だ。また、ヨウ素や亜鉛の摂取にも配慮が施されている。
食事に関する原則が詳細に語られる。その内容は、豆類を増やす?野菜を増やす?タンパクについて?油脂について?調味料と香辛料について?間食について?飲み物について。
さらに、一目でわかる「プラント?プログラム」の食事に関するまとめが紹介される。その内容は、私が一切口にしない食べ物と飲み物?私が1日1回にかぎり食べたり飲んだりしているもの?ときどき楽しみのために食べるもの?毎日たくさん食べたり飲んだりするもの。
「第6章:プラント?プログラム‐生活スタイル編」
乳がんと前立腺がんのリスクを小さくするために、食事以外にも変える重要な事項が指摘される。その内容は、ビタミンとミネラルのサプリメントをどうするか?食品の包装?調理?ストレス対処の方法?環境中の有害物質を避ける。
「第7章:東洋の目で西洋を眺める」
なぜ社会が、私たちを乳がんや前立腺がんから守る仕組みをつくれないのかを問う。このことを突き詰めると、我が身を守れるのは結局のところ自分以外にはないという結論に達する。最後に著者は、黄金の十カ条を提案し、知識は力であることを強調する。乳がんのおかげで、著者は環境に対する関心が高まり、強い女性に変わったと自分の胸中を吐露する。
「訳者後記」:解説のため、訳者は「年齢階級別乳がん罹患率の日米比較(1990年)「乳?乳製品消費量の日米比較」「日本人女性の乳がん罹患率と死亡率の年次推移」「日本人の女性の乳がんの罹患率(2000年)と死亡率(2005年)」を図にまとめ、日本での様態を詳細に紹介する。ただ本文を訳しただけでなく、日本人の問題に換言するため、わが国の乳がんに関する情報を提供している。このことから、訳者が環境を大切に考える環境保健学の泰斗であることが理解できる。
「文献」:本書を書くにあたって参考にした100の文献が紹介される。ほとんどの文献が最新の科学と医学の専門誌だ。この本の内容が、科学的知識を基盤にして書かれたものであるかが理解できる。
「索引」:392項目の索引がある。索引の項目から、その項目の内容を拾い読みするだけでも新たな知識が獲得でき、教科書的な役割も果たしている。
追記
この書は、「情報:農と環境と医療」を読んでいただいているエムオーエークリニックの院長である佐久間哲也医師から紹介された。参考までに氏の紹介文の一部を記載し、読者の思考の深化に寄与したい。
「本書の冒頭で、現代科学の大系を大樹に例え、還元主義によるボトムアップだけでなく、大きな視点によるトップダウンの見方をする必要性を、ジェームズ?ラブロックの言葉を引用して訴えているのが印象的でした。本論では様々な医学論文を検討し、乳製品が乳癌と前立腺癌の発生に寄与していると推定し、自らの体や患者仲間に対して食生活改善の効果を明らかにする経緯が語られます。そして、最後の方で医学雑誌の論文を引用し、地球の持続可能性を考えたシステムの提言をしており、科学者としての志の高さを感じさせました。(McMichael AJ, Powles JW, Human numbers, environment, sustainability, and health. Br Med J 1999;319(7215):977-980)」
「日本ではこうした疫学的調査から得た知見を具体的に医療に取り入れることは少なく、画期的な本にもかかわらず、都内の大手書店(八重洲ブックセンターや紀伊国屋書店)には在庫がなく、インターネットで購入しなければなりませんでした。訳者は山梨医科大学名誉教授(環境保健学)佐藤章夫氏で、一般の方にも読みやすい翻訳と感じました。[情報:農と環境と医療]にふさわしい良書ではないかと判断し、御報告させていただいた次第です」。
著者ジェイン?プラントは、英国王立医学協会(Royal Society of Medicine)終身会員だ。リバプール大学で地質学を専攻し、レスター大学で博士号を取得した。今はインペリアル大学で地球化学の教授職にある。大英帝国勲章(CBE: Commander of the British Empire)も受賞した。この本のほかに、前立腺がん、骨粗鬆症、ストレスなどに関する書物も著している。
著者の専門は地球化学だ。とくに地表の化学を専門とし、天然資源として存在する鉱物の分布だけでなく、生産活動によって廃棄されたり埋め立てられた汚染物質の濃度を測定し、その影響について研究してきた。生化学者、獣医学者、免疫学者、地理病理学者などと、環境化学物質が人間の健康や動物、農作物に与える影響を研究している。とくに獣医学者との共同研究で、地球化学と生命化学のあいだに驚くほど密接な関係があることを知る。この研究は、農と医が連携しなければならない代表的な事象のひとつと捉えることができる。
この本を紹介している筆者は、イタイイタイ病の原因物質であるカドミウムをはじめ農地や作物の重金属汚染、また施肥窒素から発生する亜酸化窒素によるオゾン層破壊と温暖化の研究を続けていたため、著者プラントの語る環境と人?動物の健康の関わりへの思いが十分理解できる。
唐突だが、著者のプラントは42歳で乳がんになった。手術後に4度も再発し、何が原因かを科学者の視点で自らを観察した。その経過をこの本に凝縮した。その結果、乳製品に辿り着き、いままでの食生活を大幅に変更した。完全寬解されるまでの分析と体験を著したのが、この本だ。この本は400万部も出版され、世界的なベストセラーになった。医学への貢献の観点から、彼女は上述した英国王立医学協会の終身会員に推挙された。
訳者は山梨医科大学名誉教授で、かつては山梨医科大学の環境保健学の教授だった。大変読みやすい訳で、文章の内容から自ら訳者の人柄が偲ばれる。また、訳者は「生活習慣病を予防する食生活」と題したウエブサイトを開いている(http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/)。関心のある方はご覧頂きたい。
本書は「原著者日本語版序文」「はじめに」「第1章:帽子と大蛇と科学者」「第2章:悪さをする細胞」「第3章:3番目のイチゴを探す」「第4章:金持ち女の病気」「第5章:プラント?プログラム‐食事編」「第6章:プラント?プログラム‐生活スタイル編」「第7章:東洋の目で西洋を眺める」「訳者後記」「文献」「索引」からなる。
「原著者日本語版序文」
以下に原文を紹介する。「私は、乳製品を完全に断ちきることによって、再発?転移をくりかえす乳がんを克服した。本書はその乳がんとの戦いの物語である。同時に本書は、乳製品を止めることが、私自身だけでなく、他の女性の転移性乳がんを克服するのに、いかに役立ったかを述べている」
「ミルクは、哺乳類が生後の短期間だけ食用とするように設計された食品である。したがってミルクには、子どもの急速な成長を支えるために、いろいろな成長促進物質が含まれている。牛乳はたしかに、急速に成長する子牛(体重が1日に1キログラム増える)にとっては完璧な食品である。だからといって、乳児(1キログラム増えるのに1か月かかる)にもよい食品ということにならない。離乳期を過ぎてもなおミルクを飲む哺乳動物は人間をおいてない。成長の止まった成人が、このような成長促進物質を含む牛乳を飲んだらどうなるのか。この問いに答えたのが本書である」
「はじめに」
本書が書かれた目的は、乳がんにかかる危険性を回避し、万が一、乳がんになっても死をまぬがれる方法を簡明に示すことにある。著者自身の5回にわたる進行性乳がんの体験の物語だ。研究者としての知識?経験を総動員して、いかに乳がんと向き合い、治療に対処したかを述べた書だ。科学の本質である問い、「なぜ?」と「いかに?」を追求し続け、その答えを出したのがこの書だ。
「第1章:帽子と大蛇と科学者」
サン?テグジュペリの「星の王子さま」に、象を呑みこんだ大蛇の絵がでてくる。大人は帽子と思う。この帽子のようなものを、「呑みこんだ象を消化している大蛇」とみれる能力があれば、優れた研究者であると、著者は言う。
万有引力の法則?放射能?ペニシリンの発見者たち、すなわちニュートン?ベクレル?フレミングは、ありふれた出来事をほんの少し違った角度から眺めて、自然界の事象を法則性につなげ、人類の豊かさを飛躍的に進展させた。
実はこの本も、上述したように事象を少し違った角度から眺めている。「乳がん」に対処する新しい物の見方を述べているのが本書だ。自分の経験を具体的に紹介するため、次の内容が展開される。
「物語はいかに始まったか」「乳がんになった!」「チャリング?クロス病院へ」「科学はなぜときに人間の幸福につながらないのか」「私の物語の続き」「自分のことは自分で決める」「もう被害者になるのはご免だ」「乳がんの自己検診」「治療の前に精密検査を受けた」「乳房全摘を選んでしまった!」「人工乳房をつけた」「中間評価」「乳がん再発」「リンパ節転移で放射線による卵巣摘除を受けた」「抗がん剤治療を受けた!」「よりよいがん治療を受けるために」
なかでも「チャリング?クロス病院へ」での光景が印象的だ。乳がんクリニックの待合室。女性の年齢はいろいろで、体格や体型も違っていた。2人は黒人、1人はインド人、中東出身らしいのが2人。しかし東洋人は1人もいなかった。後で解るのだが、乳がん患者の共通点は、牛乳なのだ。東洋人は牛乳を常飲しない。
「科学はなぜときに人間の幸福につながらないのか」で、ジェームズ?ラブロックの著書『ガイア‐地球は生きている』を以下のように引用しているのは、きわめて興味深い。「生きている地球の生理学を理解するには、地球をひとつのシステムとして考えるトップダウンの見方が必要である。還元主義によるボトムアップのアプローチには限界がある」。細かい根の最先端で行われている研究への批判である。
「第2章:悪さをする細胞」
知識は力の源泉であることが強調される。そのために、がんに関する基本的知識を身につけ、がんという敵に立ち向かう力を獲得しなければならないことが強調される。乳がんに関する最新の知識を手に入れるにつれて、著者はがんの恐怖をかきたてる古くさい考えかたから解放される。
「よい細胞が悪い細胞になる」「間違った型紙でセーターを編む」「すべてが遺伝子で決まるのか?」の項目で、がん細胞の形態?機能?挙動、増殖抑制剤などが解説される。さらに正常な細胞が、がん細胞になる3種類の遺伝子群に起こる異変が解説される。その3種類とは、「がん原遺伝子」「がん抑制遺伝子」「DNA修復遺伝子」だ。
「第3章:3番目のイチゴを探す」
乳がんの主たる要因は、自然食品のミルクであることが「科学的探求心」「私は何が原因で乳がんになったのか」「獲物は近くにいる」「東洋に学ぶ」「天啓の鐘が鳴る」「獲物を捕らえた!」「どうしたらよいのか」「自然食品のミルクが健康に悪い?」の項を通して語られる。この発見は、著者の科学的視点、知識と経験、中国?韓国での研究、中国?韓国?タイ?日本の科学者との交流を通して明らかにされた。
「私はなにが原因で乳がんになったのか」では、乳がん発生に関係する要因(遺伝素因?被曝エストロジェンの総量?動物性脂肪の摂取量?性格とストレス)について、著者自らが自分の体についてチェックするが、どの要因も著者に当てはまらない。その後、西洋人と中国人のタンパク質源の牛乳と大豆の比較などから、乳がんの原因がミルクであることに気づく。
「第4章:金持ち女の病気」
この章では、牛乳がなぜ問題かが語られる。著者が数年かけて収集した情報から、乳がんと前立腺がんは、乳?乳製品の摂取量と関係することが証明される。同時に、乳?乳製品を止めたら乳がんと前立腺がんのみならず、ほかの病気の危険性も減ることが解説される。この章は、「ホルモンと乳房」「牛乳のどこが問題なのか」「乳製品が乳がんの原因となる確実な証拠」「私の勧め」の項で構成されている。
「牛乳のどこが問題なのか」では、8項目の原因が解説される。そこでは、牛乳が貧血?アトピー湿疹?1型糖尿病?食物アレルギー?喘息?偏頭痛?乳糖不耐症?細菌性家畜伝染病(ヨーネ菌)?リステリア感染症?化学物質?抗生物質?環境ホルモンなどに影響することが指摘される。
「第5章:プラント?プログラム‐食事編」
進行がんを克服するために著者が実践してきた7つの食習慣と5つの生活スタイルが紹介される。これは、すべてのがんを念頭に入れた食事療法ではない。このプログラムは、とくに乳がんと前立腺がんに的をしぼって、その細胞分裂と増殖を刺激する物質(ホルモンおよびホルモン様物質)を、食事や環境から体内にとりこまないようにする方法だ。また、ヨウ素や亜鉛の摂取にも配慮が施されている。
食事に関する原則が詳細に語られる。その内容は、豆類を増やす?野菜を増やす?タンパクについて?油脂について?調味料と香辛料について?間食について?飲み物について。
さらに、一目でわかる「プラント?プログラム」の食事に関するまとめが紹介される。その内容は、私が一切口にしない食べ物と飲み物?私が1日1回にかぎり食べたり飲んだりしているもの?ときどき楽しみのために食べるもの?毎日たくさん食べたり飲んだりするもの。
「第6章:プラント?プログラム‐生活スタイル編」
乳がんと前立腺がんのリスクを小さくするために、食事以外にも変える重要な事項が指摘される。その内容は、ビタミンとミネラルのサプリメントをどうするか?食品の包装?調理?ストレス対処の方法?環境中の有害物質を避ける。
「第7章:東洋の目で西洋を眺める」
なぜ社会が、私たちを乳がんや前立腺がんから守る仕組みをつくれないのかを問う。このことを突き詰めると、我が身を守れるのは結局のところ自分以外にはないという結論に達する。最後に著者は、黄金の十カ条を提案し、知識は力であることを強調する。乳がんのおかげで、著者は環境に対する関心が高まり、強い女性に変わったと自分の胸中を吐露する。
「訳者後記」:解説のため、訳者は「年齢階級別乳がん罹患率の日米比較(1990年)「乳?乳製品消費量の日米比較」「日本人女性の乳がん罹患率と死亡率の年次推移」「日本人の女性の乳がんの罹患率(2000年)と死亡率(2005年)」を図にまとめ、日本での様態を詳細に紹介する。ただ本文を訳しただけでなく、日本人の問題に換言するため、わが国の乳がんに関する情報を提供している。このことから、訳者が環境を大切に考える環境保健学の泰斗であることが理解できる。
「文献」:本書を書くにあたって参考にした100の文献が紹介される。ほとんどの文献が最新の科学と医学の専門誌だ。この本の内容が、科学的知識を基盤にして書かれたものであるかが理解できる。
「索引」:392項目の索引がある。索引の項目から、その項目の内容を拾い読みするだけでも新たな知識が獲得でき、教科書的な役割も果たしている。
追記
この書は、「情報:農と環境と医療」を読んでいただいているエムオーエークリニックの院長である佐久間哲也医師から紹介された。参考までに氏の紹介文の一部を記載し、読者の思考の深化に寄与したい。
「本書の冒頭で、現代科学の大系を大樹に例え、還元主義によるボトムアップだけでなく、大きな視点によるトップダウンの見方をする必要性を、ジェームズ?ラブロックの言葉を引用して訴えているのが印象的でした。本論では様々な医学論文を検討し、乳製品が乳癌と前立腺癌の発生に寄与していると推定し、自らの体や患者仲間に対して食生活改善の効果を明らかにする経緯が語られます。そして、最後の方で医学雑誌の論文を引用し、地球の持続可能性を考えたシステムの提言をしており、科学者としての志の高さを感じさせました。(McMichael AJ, Powles JW, Human numbers, environment, sustainability, and health. Br Med J 1999;319(7215):977-980)」
「日本ではこうした疫学的調査から得た知見を具体的に医療に取り入れることは少なく、画期的な本にもかかわらず、都内の大手書店(八重洲ブックセンターや紀伊国屋書店)には在庫がなく、インターネットで購入しなければなりませんでした。訳者は山梨医科大学名誉教授(環境保健学)佐藤章夫氏で、一般の方にも読みやすい翻訳と感じました。[情報:農と環境と医療]にふさわしい良書ではないかと判断し、御報告させていただいた次第です」。
本の紹介 44:代替医療のトリック、サイモン?シン、エツァアート?エルンスト著、青木 薫訳、新潮社(2010)
アメリカの大学では、この10年余りの間に代替医療の看板を掲げた学部の創設が続いている。西洋の近代医学が、必ずしも人間を全体としての生命体と捉えることなく、臓器ごとに切り分けて治療するなど、医療に限界が意識され始めたからであろうか。
われわれは、すでにこの問題に対して「代替医療と代替農業の連携を求めて」と題した第2回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムを開催し(オンデマンドでその内容が見れる:/jp/noui/spread/symposium/)、その成果を養賢堂(2007年)から出版している。
ところで、さまざま形態を有する代替医療については、その有効性をはじめ経済性などについて多くの疑問が残されている。さらに、まやかし治療を代替という心地よい言葉で包み込んでいるとした疑問を抱くひとびともいる。このような視点から、本書の発刊は時宜を得たものであろう。
代替医療について歴史的な事実を徹底的に調査し、上述したこれらの疑問や批判に答えようとしたのが本書の内容である。科学史に関する本を数多く書いている大家サイモン?シンと、代替医療について豊富な知識と造詣の深い医学者エツァアート?エルンストとの共同作品である。
代替医療の検証方法は以下の通りである。すなわち、医療分野で近年になって浸透してきた「科学的根拠に基づく臨床試験(エヴィデンス?ベースト?メディシン)」の考え方と、二重盲検法と呼ばれる方法に基づく臨床試験(その治療法と他の治療法を、被験者にも治療者にもいずれかを知らせないで行い、その効果を比較する)を通じた有効性を吟味する検証方法である。
この本で取り上げているのは、瀉血(しゃけつ)、鍼(はり)、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法である。他の代替医療については、付録として代替医療便覧があり、そこで僅かな解説がある。その項目は多岐にわたる。アーユルヴェーダ?アレクサンダー法?アロマセラピー?イヤーキャンドル?オステオパシー?キレーションセラピー?クラニオサクラルセラピー?結腸洗浄?催眠療法?サプリメント?酸素療法?指圧?神経療法?人智学療法?吸い玉療法(カッピング)?スピリチュアルヒーリング(霊的療法)?セルラーセラピー?デトックス?伝統中国医学?ナチュロパシー(自然療法)?バッチフラワーレメディ?ヒル療法?風水?フェルデンクライス法?分子矯正医学?マグネットセラピー(磁気療法)?マッサージ療法?瞑想(メディテーション)?リフレクソロジー(反射療法)?リラクセーション?レイキ(霊気)。
著者は、ハーブ療法を除く他の療法について 1)代替医療の効果はきわめて微々たるものである、2)確証されないものもある、3)多くのリスクをもつ、4)一見効果があるように見えるものもその大半はプラセボ効果である、と結論している。
プラセボ(偽薬)効果とは、患者が治療の効果を信じ込むために生じる見かけの上での改善を意味する。良く効く二日酔いの薬だと思い込んで飲めば、ドクダミでもイリコでも酔いが解消するといった効果である。気持ちの持ち方によって、人体の自己保全能力が喚起できることを示している。
このことは、この55号で掲載した「第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容‐動物と人が共存する健康な社会‐(2)人と動物とスピリチュアリティ」と「コラム:見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」に見られるスピリチュアリティとも関連する。その意味では、健康や長寿がひっきりなしに喧伝されている現在、代替医療をどのように考えるか示唆に富んだ本である。
しかし、鍼治療を受けて腰痛が治った、肩が軽くなったという話は良く聞く。時間はかかったが、カイロプラクティックで腰が完治したという話も聞く。それは一時的な効果なのだろうか。鍼を打ち続けて健康が維持されているという人の声も聞く。人によって効果もさまざまなのであろう。
また、わが国ではサプリメントとしての健康食品が流行している。これも代替医療に属するものである。現在のところ、われわれはこれを一定の基準で選定できない。この本は、サプリメントについても、その効果をじっくり見極める知恵が必要であることを示唆している。
最後に一言。膨大な資料と経験をもとに書かれた大家の主張に、科学的で妥当性の高い価値を認めるが、冒頭に述べた「科学的根拠に基づく臨床試験(エヴィデンス?ベースト?メディシン)」の考え方は、医療一般でも比較的最近になっていわれ始めたものである。しかし、代替医療では有効性が厳密に確証されていないものが多いというが、通常医療についても改めて考えさせられる。
さらに、慢性疾患や心身相関やスピリチュアリティなどの複雑な問題を考えた場合、ここに書かれた検証方法には限界があるのではないか。見えないものへの科学や治療の探求が、ますます必要になった時代を迎えたと言えるのではなかろうか。
われわれは、すでにこの問題に対して「代替医療と代替農業の連携を求めて」と題した第2回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムを開催し(オンデマンドでその内容が見れる:/jp/noui/spread/symposium/)、その成果を養賢堂(2007年)から出版している。
ところで、さまざま形態を有する代替医療については、その有効性をはじめ経済性などについて多くの疑問が残されている。さらに、まやかし治療を代替という心地よい言葉で包み込んでいるとした疑問を抱くひとびともいる。このような視点から、本書の発刊は時宜を得たものであろう。
代替医療について歴史的な事実を徹底的に調査し、上述したこれらの疑問や批判に答えようとしたのが本書の内容である。科学史に関する本を数多く書いている大家サイモン?シンと、代替医療について豊富な知識と造詣の深い医学者エツァアート?エルンストとの共同作品である。
代替医療の検証方法は以下の通りである。すなわち、医療分野で近年になって浸透してきた「科学的根拠に基づく臨床試験(エヴィデンス?ベースト?メディシン)」の考え方と、二重盲検法と呼ばれる方法に基づく臨床試験(その治療法と他の治療法を、被験者にも治療者にもいずれかを知らせないで行い、その効果を比較する)を通じた有効性を吟味する検証方法である。
この本で取り上げているのは、瀉血(しゃけつ)、鍼(はり)、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法である。他の代替医療については、付録として代替医療便覧があり、そこで僅かな解説がある。その項目は多岐にわたる。アーユルヴェーダ?アレクサンダー法?アロマセラピー?イヤーキャンドル?オステオパシー?キレーションセラピー?クラニオサクラルセラピー?結腸洗浄?催眠療法?サプリメント?酸素療法?指圧?神経療法?人智学療法?吸い玉療法(カッピング)?スピリチュアルヒーリング(霊的療法)?セルラーセラピー?デトックス?伝統中国医学?ナチュロパシー(自然療法)?バッチフラワーレメディ?ヒル療法?風水?フェルデンクライス法?分子矯正医学?マグネットセラピー(磁気療法)?マッサージ療法?瞑想(メディテーション)?リフレクソロジー(反射療法)?リラクセーション?レイキ(霊気)。
著者は、ハーブ療法を除く他の療法について 1)代替医療の効果はきわめて微々たるものである、2)確証されないものもある、3)多くのリスクをもつ、4)一見効果があるように見えるものもその大半はプラセボ効果である、と結論している。
プラセボ(偽薬)効果とは、患者が治療の効果を信じ込むために生じる見かけの上での改善を意味する。良く効く二日酔いの薬だと思い込んで飲めば、ドクダミでもイリコでも酔いが解消するといった効果である。気持ちの持ち方によって、人体の自己保全能力が喚起できることを示している。
このことは、この55号で掲載した「第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容‐動物と人が共存する健康な社会‐(2)人と動物とスピリチュアリティ」と「コラム:見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」に見られるスピリチュアリティとも関連する。その意味では、健康や長寿がひっきりなしに喧伝されている現在、代替医療をどのように考えるか示唆に富んだ本である。
しかし、鍼治療を受けて腰痛が治った、肩が軽くなったという話は良く聞く。時間はかかったが、カイロプラクティックで腰が完治したという話も聞く。それは一時的な効果なのだろうか。鍼を打ち続けて健康が維持されているという人の声も聞く。人によって効果もさまざまなのであろう。
また、わが国ではサプリメントとしての健康食品が流行している。これも代替医療に属するものである。現在のところ、われわれはこれを一定の基準で選定できない。この本は、サプリメントについても、その効果をじっくり見極める知恵が必要であることを示唆している。
最後に一言。膨大な資料と経験をもとに書かれた大家の主張に、科学的で妥当性の高い価値を認めるが、冒頭に述べた「科学的根拠に基づく臨床試験(エヴィデンス?ベースト?メディシン)」の考え方は、医療一般でも比較的最近になっていわれ始めたものである。しかし、代替医療では有効性が厳密に確証されていないものが多いというが、通常医療についても改めて考えさせられる。
さらに、慢性疾患や心身相関やスピリチュアリティなどの複雑な問題を考えた場合、ここに書かれた検証方法には限界があるのではないか。見えないものへの科学や治療の探求が、ますます必要になった時代を迎えたと言えるのではなかろうか。
コラム:見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ
科学は見えぬものを見(視?観)せる歴史でもあった。アルキメデスは円周率、コペルニクスは地動説、ガリレオは望遠鏡で月面、パスカルは圧力、ニュートンは万有引力、ダーウィンは生物進化、パスツールは嫌気性菌、ハーバーは窒素分子からのアンモニア生成、エジソンは電気、マルコーニは無線電信、ガモフは放射性原子核のアルファ崩壊、ウェゲナーは大陸移動、ワトソンはDNA二重螺旋、アインシュタインは光速度を見せてくれた。われわれは、これらの発見または発明を、それまで見(視?観)たことがない。
哲学もまた見えぬものを見せる歴史であった。プラトンは普遍的真理、デカルトは二元論、カントは真?善?美、ヘーゲルは観念論、キルケゴールは美的?倫理的?宗教的実存、ニーチェは実存主義とニヒリズム、ハイデッガーは現象学と存在論、サルトルは無神論的実存主義、ウィトゲンシュタインは分析哲学を見せてくれた。
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム「動物と人が共存する健康な社会」のなかの、「人と動物とスピリチュアリティ」と題した講演内容は、コラムの表題「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」と、上述した科学と哲学の発明?発見に類似した意味を含んでいるかもしれない。
すなわち、WHOの新たに検討された「健康」の定義、「完全な肉体的、精神的、spiritual及び社会的福祉のdynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない:Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」は、目に見えないものを定義づけようとしているからである。
すでにWHOは、緩和医療でこのスピリチュアリティを次のように定義している。緩和医療とは「治療を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、spiritual problemの解決が最も重要な問題となる」とあり、スピリチュアルな問題に取り組むことが重要であると明記している。
科学は、いつの日かこの見えないスピリチュアリティをわれわれに見せてくれるであろう。これまで、スピリチュアリティという概念は科学的でないと主張してきた学者にも解るような形で。
詩人は、数式など使わずにいとも率直に見えないものでもあることを教えてくれる。金子みすゞの詩は、その代表であろう。
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
土と草
かあさん知らぬ 草の子を、なん千万の草の子を、土はひとりで育てます。
草があおあおしげったら、土はかくれてしまうのに。
土
こッつん こッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ。
朝からばんまで ふまれる土は よいみちになって 車を通すよ。
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か。
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。
哲学もまた見えぬものを見せる歴史であった。プラトンは普遍的真理、デカルトは二元論、カントは真?善?美、ヘーゲルは観念論、キルケゴールは美的?倫理的?宗教的実存、ニーチェは実存主義とニヒリズム、ハイデッガーは現象学と存在論、サルトルは無神論的実存主義、ウィトゲンシュタインは分析哲学を見せてくれた。
第7回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム「動物と人が共存する健康な社会」のなかの、「人と動物とスピリチュアリティ」と題した講演内容は、コラムの表題「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」と、上述した科学と哲学の発明?発見に類似した意味を含んでいるかもしれない。
すなわち、WHOの新たに検討された「健康」の定義、「完全な肉体的、精神的、spiritual及び社会的福祉のdynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない:Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」は、目に見えないものを定義づけようとしているからである。
すでにWHOは、緩和医療でこのスピリチュアリティを次のように定義している。緩和医療とは「治療を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、spiritual problemの解決が最も重要な問題となる」とあり、スピリチュアルな問題に取り組むことが重要であると明記している。
科学は、いつの日かこの見えないスピリチュアリティをわれわれに見せてくれるであろう。これまで、スピリチュアリティという概念は科学的でないと主張してきた学者にも解るような形で。
詩人は、数式など使わずにいとも率直に見えないものでもあることを教えてくれる。金子みすゞの詩は、その代表であろう。
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
土と草
かあさん知らぬ 草の子を、なん千万の草の子を、土はひとりで育てます。
草があおあおしげったら、土はかくれてしまうのに。
土
こッつん こッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ。
朝からばんまで ふまれる土は よいみちになって 車を通すよ。
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か。
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。
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情報:農と環境と医療55号 -
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2010年5月1日