ご挨拶

大きな節目に相応しい、
記憶に残る記念行事に

浅利 靖
医学部創立50周年記念行事実行委員会 委員長
医学部創立50周年記念事業企画委員会 委員
現 学校法人北里研究所 理事長(前 医学部長)
救命救急医学 教授
浅利 靖
(あさり?やすし)

 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@医学部創立50周年記念式典?祝賀会等の行事の企画実施を中心に担当する医学部50周年記念行事実行委員会の委員長を務めさせていただいております浅利靖です。微力ではございますが、与えられた任務に全力で取り組んでまいりますので、どうぞ皆様のお力添えを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 私は、父親が小児科医院を開業していた東京の原宿界隈で育ちました。今でこそ多くの若者や観光客で賑わいをみせていますが、当時の原宿はのんびりとした雰囲気すら漂う街で、幼い私は表参道の坂道を自転車で元気に駆け抜けていたものです。

 父の仕事を間近で見ていた私は、いつも急患の対応に追われる医師の仕事に好感を覚えることはなく、テレビ局のような華やかな世界で働くことを夢見ていました。考えが変わったのは高校1年生のとき、テニスの練習中に肩を脱臼したのがきっかけです。あまりの痛さに気を失って救急搬送された私を、診察したお医者さんはあっという間に治してくれました。医学の素晴らしさに気づいた私は医師を目指すことに決め、1980年に博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@の医学部に入学しました。

 入学後はスキューバダイビングやスキーなど、いろいろなことに手を染めました。中でも力を入れて取り組んだのが、「MESS(Medical English Speaking Society)」という英語を学ぶ医学生団体の活動です。英語自体は好きでも得意でもなかったのですが、他大学の学生と交流できるのが楽しくて、5年生のときには全国の大学のMESS代表が集まる組織の委員長を務めました。他大学の意欲ある学生たちと親交を深めたこの活動は、自分の視野や考え方を大きく広げてくれました。また、北里祭で医学部の仲間たちと、人気ミュージシャン「オフコース」のフィルムコンサートを企画開催し、大成功を収めたことも忘れられない思い出です。昔はテレビの世界に憧れ、大学ではイベント企画に夢中になるなど、私の中にはどうやらお祭り好きの血が流れているようです。これを今回の医学部創立50周年記念行事のプロデュースにもうまく生かせるとよいのですが…。

 大学を卒業した1986年は、医学部に救命救急医学が、大学病院に救命救急センターが設立された年でした。身近な医療に興味を抱いたこともあり、私は救急医を目指しました。2年間、複数の診療科で臨床の基礎を学んだ後に勤務した救命救急センターでは、先輩の厳しい指導と激務に鍛えられ、ちょっとやそっとのことでは怯まない自信を身につけることができました。

 とはいえ、救急医として活動する間には、衝撃を受ける出来事もありました。その一つが1995年に発生した阪神大震災の現場に赴いた経験です。帰る家を失った被災者に最も必要とされる医療とは何か。その答えを一から考え直すきっかけとなりました。その後、パプアニューギニアの津波被災地やトルコの大地震被災地での災害医療を経験し、2004年からは弘前大学医学部に新設された救急?災害医学講座に拠点を移しました。このときに原子力施設の多い青森県の緊急被ばく医療体制の整備に関わったことから、2011年の福島第一原子力発電所の事故の際には、Jビレッジでの医療支援活動にも従事しました。その後、2014年の博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@新病院の開設前に10年ぶりに母校に戻り、現在、医学部救命救急医学の主任教授および博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@病院救命救急?災害医療センター長を務めさせていただいています。

 今回、記念事業に参加させていただくことは、私にとってお世話になり続けている母校に恩返しをする、ありがたい機会だと捉えています。ぜひ、創立50周年という大きな節目にしっかりと楔を打ち、皆様の記憶に残るような素晴らしい行事を実現したいと考えています。例えば、自分たちの原点を知るために、医学部の創設時や黎明期に活躍された先生方、先輩方の考えや思いを振り返ってみるのもいいでしょう。

 また、私は弘前大学在職時代に、同大学の卒業生が抱く母校愛の大きさに感銘を受け、それをきっかけに私自身が北里に寄せる思いも強まりました。毎年のように大きく発展し、変貌を遂げつつある母校の現状を知らない方もたくさんいらっしゃると思います。そのような方々が母校に再び目を向け、その成長を確かめに訪れたくなるようなイベントにすることも、私たち記念行事実行委員会の大切なミッションであると考えています。

浅利 靖