研究コラム 万葉集、ジェミニウイルス、ウイルス生物物理学

担当:米田 茂隆 (生物物理学講座 分子動力学ユニット 教授)

万葉集、ジェミニウイルス、ウイルス生物物理学

 平成22年に宮崎県で流行した口蹄疫を覚えている方も多いかと思います。口蹄疫の病原は口蹄疫ウイルスで、古くから畜産関係者を悩ましてきました。明治時代の科学者である北里柴三郎(以下、敬称略)も口蹄疫ウイルス用のフィルターの開発に取り組んでいます。口蹄疫よりももっと古代から記録されている動物ウイルス病としては、ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩イーリアスに書かれた狂犬病、および、エジプトのヒエログラフの小児麻痺と天然痘があります。

 植物ウイルス病の最古の記録は、以前は、17世紀の画家ロバートが描いたチューリップモザイクウイルスに感染したチューリップの絵とされていました。オランダ人(と思われる著者)が書いたウイルス学の本には、誇らしげに、その感染して変色した3本のチューリップの絵が挿入されています。しかし、植物ウイルス学の権威である井上忠男?尾崎武司が昭和55年に、万葉集の孝謙天皇の御歌

この里は継ぎて霜や置く夏の野に わが見し草はもみちたりけり

がジェミニウイルスの感染を詠んだものであることを指摘しました。この天平勝宝4年(西暦752年)の和歌はキモンヒヨドリバナがジェミニウイルスによりバイラス病となり、夏季なのに黄葉になったのを詠んだもので、今では植物ウイルスに関する世界最古の文献とされています。日本人は日本文明が欧州文明に劣らず素晴らしいものだということにもっと気づくべきだと思います。

 ジェミニウイルスのジェミニ(gemini)とは双子という意味で、粒子形状が2つ団子のようであることからこの名称が来ています。21世紀に入ってから電子顕微鏡の技術は急速に発展し、ぼんやりと2つ団子型としか分からなかったものが、今ではウイルスの原子1つ1つの位置座標まで決定されるようになっています。図は電子顕微鏡で決定された原子座標を用いて描画したジェミニウイルス粒子の外殻部分のグラフィックスです。内部の核酸遺伝子の構造はまだ不明確ですが、今後、研究が進むことでしょう。

 原子座標さえ得られれば、どんなに巨大で精妙な分子構造であれ、分子動力学シミュレーションなどの数値計算により解析可能です。私の生物物理学講座でもこれまで「回転対称性境界条件」という方法を使って、口蹄疫ウイルス、ポリオウイルス、ライノウイルス、B型肝炎ウイルス、エコーウイルス、および、コクサッキーウイルスの分子動力学シミュレーションを実行してきました。しかし、ジェミニウイルスはこれらとは異なり、専門的な難しい言葉を使いますと、「準等価仮説以外の方法で巨大なウイルス粒子を実現している特別なウイルス」なので、今、ウイルス生物物理学の大変興味深い研究対象になっています。

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ジェミニウイルス粒子の外殻部分のグラフィックス