平成20年度北里大学入学式が、4月7日(月)にパシフィコ横浜にて開催されました。本年度、北里大学は大学院296名、大学学部1,690名の新入生を迎えました。
また、4月9日(水)には、新潟県南魚沼市にて、北里大学保健衛生専門学院入学式が開催され、293名の新入生を迎えました。4月14日(月)には、埼玉県北本市にて、北里大学看護専門学校入学式が開催され、41名の新入生を迎えました。
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平成20年度、北里大学は、7つの研究科の博士課程68名と修士課程228名、そして7学部14学科の1690名を合わせて、1986名の新入生諸君をお迎えすることができました。皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。皆さんは、それぞれの目的や目標、夢や希望を胸に抱き、本日の入学式を迎えられたことと思います。北里大学の一員となられた皆さんを、教職員一同、大きな期待と喜びを持って、心から歓迎いたします。また本日は公私共にご多忙の中、ご来賓の先生方並びに多数のご家族の皆様にはご臨席を賜り、まことにありがとうございます。
北里大学は、1962年(昭和37年)に、社団法人北里研究所の創立50周年を記念して創設された学校法人北里学園が設置する大学として誕生しました。本年4月1日に、社団法人北里研究所と学校法人北里学園が、法人統合したことにより、本学は新たに学校法人北里研究所が設置する大学として、歩むことになりました。統合により、北里大学は、7大学院と7学部、一般教育部、4つの附置研究所と4つの附属病院を設置するほかに、2つの医療系専門学校とワクチンなどを研究・開発・製造する生物製剤研究所を併設し、生命科学の総合大学として、さらに充実を図ることができました。もちろん、学生の皆さんの教育にも、必ず良い影響を与えられるものと確信しています。
本学は、北里研究所の創立者で、破傷風菌の純培養の成功、ペスト菌の発見、免疫学の開拓などにより、近代医学の確立に大きな功績を上げた北里柴三郎博士を学祖とし、博士が78年の生涯を通して発揮された開拓、報恩、叡智と実践、不撓不屈を北里精神と呼び、建学の精神としています。建学の精神とは、その大学の存在意義を表すとともに、学生諸君をどういう人間に育てていくかという人材育成の目標でもあります。本学の場合には、開拓の精神と報恩の心を持ち、叡智を持って実践でき、かつ不撓不屈の精神力を備えた人が目指すべき人材像となります。開拓とは、北里柴三郎先生が科学の世界でパイオニアとなり、独創的なアイディアを持って、医学・医療の世界に新たな道を切り拓かれた精神です。報恩とは、先生が自分を育ててくれた人と社会に感謝し、様々な形で御恩に報いられた精神です。叡智と実践とは、先生が学んで得た知識を叡智に高めて実践し、社会に広く還元された精神です。不撓不屈とは、先生がいかなる困難にも屈することなく、何事にも果敢にチャレンジされた精神です。皆さんは折に触れては、この4つの精神を思い出し、自らの指針としてください。
さて、ここ横浜は、日本の近代化とともに、大きな発展を遂げてきましたが、その発展の拠点として、1859年に開港した横浜港は、来年2009年に、開港150年の節目を迎えると聞きます。北里柴三郎先生は、その6年前の1853年1月29日に、現在の熊本県の小国町で誕生しています。その5ヶ月後の7月8日には、米国のペリー提督率いる軍艦4隻が、日本の開国を求めて、神奈川の浦賀沖に来航しました。世にいう黒船の来航です。これは、我が国を泰平の眠りからさまし、その後の明治維新、近代国家へ向かわせる歴史的な事件でした。このように近代国家の扉を開くことになった黒船の来航と、のちに日本近代医学の幕を開く北里先生の誕生が、同じ年というのも、不思議なめぐり合わせを感じますが、それを象徴するように、先生の生涯は常に波乱万丈であり、近代化という言葉を抜きに語ることができません。
北里先生は、大学時代に、人生の目的を、予防医学を通して人と社会に貢献することに定め、力を尽くされました。人の役に立ちたいという高い志は、早い時期から培われています。とりわけ孔子の言葉を取りまとめた『論語』などに代表される四書五経という古典をよく学び、それから得た思想を、心の糧とされました。例えば、叡智と実践という精神は『論語』などに説かれている実学という考えに拠ります。これは、実際に役に立つ学問こそ、最も大事という意味であり、本学の全ての部門がこの考えを基(もとい)としています。
また、北里先生は、数々の優れた人物から、先進的な考え方を学ばれています。それらの人物の中には、慶應義塾を創立した福沢諭吉翁などがいますが、これらの人物の思想的なルーツをたどると、幕末の志士たちに多大な影響を与えた吉田松陰にたどり着き、さらにそれを遡ると、ある一人の人物に突き当たります。それは江戸時代の思想家で、教育者の佐藤一斉という人物です。一斉は、70歳のときに昌平坂学問所の儒管を務めていますが、これは、今で言えば、東京大学の総長の地位です。また一斉には、数千という門下生がいましたが、その中に、横井小楠という人がいました。この人は、北里先生の郷里熊本の先輩にあたりますから、この人からも、様々な影響を受けているものと考えられます。一斉の著した『言志四録』は、幕末の志士たちが、自分の生き方を深く見つめ、いかに生きるかを考え抜くために必ず座右の書としました。
その中には『三学戒』という有名な言葉がありますので、それを皆さんに紹介します。三学戒とは、三つの学ぶ戒めと書き、「少にして学べば壮にして為す事あり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」というものです。これは、若くして学べば、大人になって、世のため、人のために役に立つ人間になる。壮年になって学べば、年をとっても衰えず、いつまでも活き活きとしていられる。老いても学べば、肉体が滅びようとも、その精神は永遠に残るというものです。今でいう生涯学習の必要性を説いたものですが、さらに言えば、学んで得た成果を社会に還元することにより、業績と共に、その名が後世の人々に語り継がれ、その志を継ぐ人間が次々と世に出ることで、自分という存在が永遠になるという教えです。
北里先生の生涯は、まさにこの言葉が示すとおりでした。生涯勉学に励んで、その成果を社会に還元され、その輝かしい業績と共に、その名を後世に残し、その志を継ぐ人たちが、今なお次々と育っています。もちろん、その一人が皆さんです。皆さんも、大学時代に大いに学び、将来、人と社会に役に立つ人間になれるように努力してください。また、北里先生は25歳のとき、東京帝国大学在学中の1878年、故郷の弟や妹に送った手紙の中で、「自分が立派な仕事をしたいと思うなら、その基礎をしっかり固めておかなければなりません。その基礎とは、各人生涯の勉強です。どんなに志があっても、その人に学力が無ければ世間の人は信用しません。だから今、青年のうちに決して怠けることなく、大いに勉強に励んで、将来立派な仕事を成し遂げることを志しなさい」という趣旨を書かれています。これは、佐藤一斉の「少にして学べば壮にして為す事あり」という言葉にあい通じることが、良く分かると思います。また、この言葉は、弟妹(きょうだい)に対する深い愛情の念はもとより、北里先生が、自分自身に対する戒めとしていたことと思います。もし先生が今ここにおられたら、皆さんにもきっと同じことを述べられたことでしょう。
最後に、私から皆さんへ、3つのアドバイスをしておきたいと思います。我が国は戦後、物質文化の恩恵を、世界で最もたくさん受けることのできた国です。反面、多くの日本人は、大事なものを失いつつあります。それは、3つの間(ま)です。間(ま)とは間(あいだ)という字を書きますが、一つは時間、もう一つは空間、三つ目に仲間です。現代人は、日々の仕事に追われ、自分をふり返る時間的な余裕をなくしました。また大都会には高層ビルが、所狭しと立ち並び、人々から空間を奪いました。現代人は多忙をきわめ、閉塞感の中で、いつしか真の仲間意識を育てる機会を失いました。これらの人々の中には孤独感にさいなまれ、バーチャルな世界に逃避したり、極端な場合には、自ら命を絶つ人も少なくありません。こうした状況を考えると、21世紀を生きる私たちは、20世紀に失った時間、空間、仲間を回復することが大事なテーマとなります。
皆さんは、今日から始まる大学時代において、自分を見つめ直し、自分の可能性をじっくり考える時間を持つことができます。そのため、1年次生が集う一般教育部では、人間形成に役立つ教養科目を多数設けていますので、大いに活用してください。そして一日一日を有意義に大切に過ごしてください。また、私たちの心も社会も、様々な空間があるからこそ、多様な機能を果たし、知性や感性を満たすことができます。是非、皆さんも、積極的に機会を作っては、自然空間を求め、知的空間を広げてください。さらに学生時代は、一生の友となる良き仲間と出会い、友情を育む絶好の機会です。お互いに切磋琢磨し、実り多き大学生活を送ってください。北里先生は、数々の偉業を達成されていますが、それには自身の奮闘努力はもとより、多くの同志や、仲間に支えられたことも大きな要因です。皆さんも、生涯を通して、良き仲間とめぐり合い、お互いに成長してください。
式辞を終えるにあたり、皆さんがこれからの出会いと学びの中で、様々な感動に触れながら、自分の豊かな可能性に気づき、楽しい大学生活となることを祈念し、歓迎の言葉とさせていただきます。本日はご入学、まことにおめでとうございます。
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