6号
情報:農と環境と医療 6号
2005/10/1
農と医の連携を心したひとびと:2.吉岡金市
吉岡金市が昭和36(1961)年6月に刊行した「神通川水系鉱害研究報告書」のサブタイトルは、「農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)」と明示されている。農業鉱害とイタイイタイ病との関係を明らかにしたものだ。その後の研究をまとめ、昭和45(1970)年3月に刊行した「公害の科学?イタイイタイ病研究」は、サブタイトルが「カドミウム農業公害から人間公害(イタイイタイ病)への追求」となっている。いずれも農学や医学の枠に制約されていない。現実の問題が常に具体的に提起されている。農学、医学、経済学などといった専門性の範疇で提起されていないのだ。
絶版となった「イタイイタイ病研究」の続編として昭和54(1979)年に出版された「カドミウム公害の追求」の第1章の「公害と疫学的研究の重要性」でも、学問間の制約がない。「農林水産公害が、人間公害の前に、先行するのが通例である。従って、公害の研究は、医学-免疫学というよりは、もっと広い生物学-生態学的にすすめていくことが重要である」。この文章から、吉岡金市の学問に対する真摯で視野の広い見識が読みとれる。
このような吉岡の考え方の視点は、どのようにして生まれてきたのであろうか。
吉岡は岡山県井原市の農家の息子として、明治35(1902)年7月26日に生まれた。苦学して京都帝国大学を卒業する。専攻は農林経済学だった。倉敷の労働科学研究所で労働生理学、産業衛生学、労働医学、労働技術学を研究した。ついで大原農業研究所農業経営部長として、水稲の灌漑(かんがい)に関する研究を基盤とする労働節約的な直播機械耕作法の研究を進めた。生涯の多くをこの水稲直播の技術研究にささげた。幼少の頃から体験してきた農業現場での重労働が、農業改革を妨げる最大の障害であることを実感していたからだ。
吉岡は、農家の労働力の解消につねに目を向けていた。そのためには、機械化が必要であると考えた。しかし、田植えの機械化はむずかしい。水稲直播こそが農業を近代化する大きな決め手になると考えた。頑固で行動的で努力家の吉岡は、このような研究の過程で農業に関わる数多くの本を書いた。
吉岡が書いた本の題名から考えて、彼を農学研究者とだけみることは正しくない。彼がめざしたのは、農家とともに歩む技術改革と、農家の経済的な幸せと、農村に住むひとびとの環境と健康をもとめた総合的なものであった。その証として、吉岡は農学と経済学と医学の博士号を取得していた。著書は60冊、論文は300編にも及ぶ。
著書の題名から明らかなように、吉岡の関心は農家の生産と経済と労働の問題だった。しかし農民の生の豊かさを望む吉岡の関心は、時代の変遷とともに人と環境の健康に移った。昭和30年代には治水に関心が向き、冷水害などによるダム災害の調査を行った。これがもとで、さらには神通川水系のカドミウム公害を追求し、イタイイタイ病の研究に大きな業績を残すに至る。これらのことが、吉岡金市を「農と医の連携を心したひとびと」に登場させた理由だ。
1970年に「たたら書房」から出版された「イタイイタイ病研究」と、1979年に「労働科学研究所」から出版された「労働科学叢書54 カドミウム公害の追求」は、氏の著書の中でも圧巻だ。この二つの本を紹介する。
まず、「イタイイタイ病研究」である。公害とそれに伴うイタイイタイ病の実態を世界に訴えたいとの思いが、冒頭の13ページの英文にも現れている。これは、国際社会科学評議会公害問題常置委員会が開く「公害問題に関する国際シンポジウム」の講演の要約だ。
題名は、「Natural and Social Scientific Study of Itai-itai Disease」で、Prefaceのあとは、次の項目が続く。
日本文で書かれた内容は次の通りである。第1編は神通川水系公害研究報告書で、農業鉱害と人間公害に関する研究がまとめられている。神岡鉱山から採取されたカドミウム、鉛、亜鉛などの重金属が神通川を流下して水田や畑に沈積する。それらは、河川域の魚はもとより植物や作物に吸収される。それを家畜や人間が食し、健康を害する。重金属は形態変化をしないで、体内に蓄積される。肝臓や腎臓などの毒物を処理する器官でも処理できず、イタイイタイ病となる。この食物連鎖に関する膨大なデータが示される。
第2編ではイタイイタイ病が、カドミウムの慢性中毒症であると結論されるまでの経過が報告される。
第3編では、カドミウム慢性中毒症を中心とする産業公害の免疫学的研究の経過と成果が述べられる。この問題については、個人や学会や会社や社会でさまざまな虚偽、真実、それらに伴う様々なひとびとの間での葛藤がつづいたようだ。当時の新聞や手紙などの情報を提供しながら葛藤の経過が提示される。とくに学者間の見解の相違は、読む者をして、科学と名誉、医学の哲学などさまざまな科学する者の在り方を考えさせる。このような問題は、いつの時代にも生じる。
ワトソンとクリックの書いた「二重らせん」にも、DNAの発見に際して、データの盗難があった。シャロン?ローンが書いた「オゾンクライシス」でも、オゾン層破壊を最初に指摘したジェームズ?マクドナルドは、失意のうちに自殺した。科学は人間の物語なのだ。
第4編では、カドミウム慢性中毒症としてのイタイイタイ病論争がきわめて具体的に語られる。イタイイタイ病論争の問題点は何か、原因が不明だったのはなぜか、原因は米か水か、発生したのはいつごろか、臨床医の科学的な報告は何を意味しているのか、いつごろ発生したのかなどが詳しく紹介される。
第5編では、イタイイタイ病と公害との関連性についての疫学的研究が、著者の書いた別の文献で紹介される。全体が概観できるように、目次の簡略を以下に紹介する。
第I編―神通川水系鉱害研究報告書―農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)
A 農業鉱害に関する研究
B 人間公害に関する研究
C 農業鉱害と人間公害の総括
結―鉱害研究の成果と将来の課題
第II編―イタイイタイ病がCdの慢性中毒症であることの「結論」が出されるまでの経過
第III編―Cd慢性中毒症を中心とする産業公害の疫学的研究
I 研究の課題(研究の方法論を含めて)
II 研究の経過(世界的な研究史を含めて)
III 研究の成果(疫学的研究を中心として)
第IV編―カドミウム慢性中毒症としてのイタイイタイ病論争
第V編―イタイイタイ病と鉱害との関連性についての疫学的研究
I 緒言―研究の課題
II 研究資料並びに研究方法
III 研究成績
文 献
付録:イタイイタイ病関係文献目録
あとがき/要約―公害イタイイタイ病の自然科学と社会科学(英文)
次の著書「カドミウム公害の追求」は、六つの章と補からなる。第1章は「イタイイタイ病の疫学」と題して、公害と疫学の研究の重要性が語られ、神岡鉱山のカドミウムとイタイイタイ病との疫学が論じられる。第2章は「カドミウム公害の虚実」と題して、カドミウム公害の原因、汚染源、形態、実態、調査および防除対策が紹介される。第3章は「山形県吉野川流域Cd公害の免疫」で、吉野川水系Cd公害の原因、具体的汚染源の追求?調査、農業公害、人間公害、鉱山の防止事業、公害補償など内容は多岐にわたる。第4章は「生野鉱山Cd公害の免疫的研究」、第5章は「北陸鉱山Cd公害に関する調査研究」が紹介される。
第6章の「イタイイタイ病のうそとまこと」では、公害問題に関する多くの問題点が指摘されている。われわれは、この章から多くのことを学ぶことができる。公害問題を研究することの意義とは。学者間の研究協力とは。公害研究の哲学とは。公害の報道とは。科学と名誉とは。
その内容は、1)公害と科学者?ジャーナリストの良心と良識、2)イタイイタイ病研究のプライオリティ、3)小林?萩野のウソにひっかかった人びと、4)イタイイタイ病の研究方法と研究費、5)公害に関する疫学的研究の重要性、6)国内的?国際的カドミウム公害、7)萩野医師からの研究費についてのいきさつ、8)イタイイタイ病の事実関係と法律関係。なお、補として、1)公害と新聞、2)カドミウム公害のプライオリティについて、3)イタイイタイ病法延闘争をかえりみて、である。
イタイイタイ病(イ病)とカドミウム汚染
吉岡金市の環境?公害にかかわった業績をイタイイタイ病(イ病)とカドミウム汚染の歴史から追ってみることにする。イ病は、大正時代から発生していたようである。原因が分からず、神通川流域に特有な原因不明の難病と思われていた。この病気は、神通川流域の川や地下水を飲料水として使用していた地域の農家の、とくに中年以降の経産婦に多く発病したことから、女性特有の病気と思われていた。
この病気にかかると、くしゃみをするだけでも胸骨や顎の骨が折れてしまう。骨がもろくなってしまい、骨の折れる痛みでイタイイタイと泣き叫ぶ。その後しだいに衰弱し、やがて死亡する例が多いことから、「イタイイタイ病」と名づけられた。一家の主婦が被害者となるケースが多かったため、家庭生活は破壊され、とり返しのつかない悲劇もおこる、まさに悲惨な病であった。
イ病とは、カドミウムの慢性中毒により腎臓障害を生じ、次いで骨軟化症をきたして骨折をするものだ。骨そのものの異常であるから、外科的治療は不可能だ。背骨などの骨折で身体が小さくなってしまうとともに内臓が圧迫され、わずかの身体の動きでも全身が非常に痛むので、イタイイタイの病名がついた。妊婦に多く、授乳、内分泌の変調、老化およびカルシウム等の不足などが誘因となり発病する。イ病の進行や症状には個人差がある。
イ病の歴史を追ってみる。大正6(1917)年8月7日の「富山日報」が、神岡鉱山の鉱カスによる水田の鉱毒汚染を警告している。これが神岡鉱山にかかわる鉱害の最も古い報告だろう。大正11(1922)年には、富山県神通川流域で奇病が発生した。おそらくこの奇病がイ病のもとだったろう。富山県におけるイ病が、大正時代から発生していたと考えられる根拠はここにある。
昭和13(1938)年には、このような奇病に対して富山県神通川流域の諸団体が神岡鉱山防毒期成同盟会を組織している。奇病の問題が取り扱われるなかで、昭和21(1946)年3月には、リウマチ性の患者が富山県神通川流域に多発した。おそらく、初めての複数のイ病の患者であったと想定される。また、昭和23(1948)年6月には、富山県では農作物被害に対し神通川鉱害対策協議会が結成された。農作物にも人にも被害が顕著に現れるようになった。
昭和30(1955)年、地元の民間臨床医の萩野昇氏が医学界で発表した研究が世間の人々にこの病気の存在を知らしめた。カドミウムに汚染された地下水や河川水の飲用が、骨軟化症をおこす。これが公害病であることを公言したのである。さらに、動物実験でこの病気の原因を究明してきた荻野医師は、昭和34(1959)年10月、この病気の「原因は神岡鉱山の鉱毒」であると発表した。このことが、イ病告発のきっかけとなった。
先に紹介した昭和36(1961)年6月に刊行された吉岡金市著「神通川水系鉱害研究報告書-農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)」は、日本で初めてカドミウム公害を明らかにした科学的な報告書である。この報告書により、イ病の原因がカドミウムによることが明確になった。これがきっかけとなり、わが国でも組織的な研究が開始されるようになった。その後、イ病の発見に尽力した吉岡金市、萩野昇および小林純の間で研究成果やデータの取り扱いで不幸な悶着(もんちゃく)がみられた。このことについては、先に紹介した吉岡金市の著「カドミウム公害の追求」にその経過が詳しく述べられている。
科学の発展には必ず人間の葛藤(かっとう)がある。人間が科学を生み、それを育んでいる限り、当たり前のことであろう。誤解を恐れず敢えて別の表現をすれば、葛藤のある科学ほど内容があるとも言える。
その後、昭和41(1966)年10月に富山県婦中町で、イ病患者73人が発見された。また昭和42(1967)年4月、岡山大学の小林純教授と荻野昇医師によって、富山県のイ病は三井金属神岡鉱業所の廃水が原因であることが発表された。1966年の厚生省の見解と1972年の名古屋高裁判決(第1次提訴)によってイ病の発生源は、三井金属鉱業神岡鉱山であることが確認された。
このような経過のもとに、吉岡金市の農と環境と医をつなぐ偉大な業績は実を結んだのだ。
カドミウムによる農業被害
文部省、厚生省および富山県による調査が、金沢大学医学部の研究者を中心にして1963年から65年にかけて実施された。常願寺川、黒部川および庄川の各流域が調査の対象に選ばれた。患者は神通川流域にのみ限られた。患者の尿や米からカドミウムが多量に検出された。
また1967年からは、厚生省公害調査研究委託費による日本公衆衛生協会?イタイイタイ病研究班が発足した。この班では汚染地域から収穫された米のカドミウムの分析が行われるとともに、水田土壌のカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属元素の詳細な分析が行われた。これらの結果と、イ病患者と容疑者の有症率の対比が行われ、両者の密接な関係が明らかにされた。また、神岡鉱山堆積場鉱さいのカドミウム分析も実施された。この時の調査で、イ病とカドミウムとの関連が疫学的に疑いもなく明白になっていった。
さらに、汚染地域全域のカドミウム濃度分布とイ病の有病率の分布が密接な関係にあることが明らかにされた。また水田土壌中のカドミウム濃度は、上層ならびに水口で高いことが解明され、カドミウムによる汚染は潅漑(かんがい)によるものであることも明らかになった。
カドミウムは人体への被害だけではなく、神通川を農業用水とする稲作にも大きな被害を与えた。長期間にわたってカドミウム汚染米を食べた者が、カドミウムによる障害を受けたわけだから、農地の汚染土壌をそのままで放置すれば、イタイイタイ病の根本的な解決にはならない。そのため、三井金属鉱業の負担でカドミウム汚染土壌の除去が進められた。
今や世界の関心の多くは、地球を基盤に置いた様々な環境問題に向けられている。吉岡金市の研究と研究に対する真摯(しんし)な態度は、わが国の環境研究の先鞭をつけたものだ。「頑固で行動的な人だった。つねに権力に対峙(たいじ)し、引くことを知らない反骨の人でもあった」と、西尾敏彦著「農業技術を創った人たち」に書かれている。環境問題が社会問題となっている現今、社会はますます吉岡金市を必要としている時代であるが、すでに彼は昭和61(1986)年、84歳でこの世を去った。
環境問題は、点から面を経て空間にまで拡大した。例えば点的な問題はここで紹介した重金属汚染、面的な問題として窒素やリンなどによる湖沼の富栄養化現象、空間としては二酸化炭素やメタンや亜酸化窒素などによる大気の温暖化現象などがあげられる。さらに、ダイオキシンに代表される化学物質の三世代にわたる人体影響は、時間をも超えてしまった。
環境問題は時空を超えた。天地は今こそ第二、第三の吉岡金市を待望している。
以下に、参考までにイタイイタイ病に関わる年譜を整理した。
参考資料
絶版となった「イタイイタイ病研究」の続編として昭和54(1979)年に出版された「カドミウム公害の追求」の第1章の「公害と疫学的研究の重要性」でも、学問間の制約がない。「農林水産公害が、人間公害の前に、先行するのが通例である。従って、公害の研究は、医学-免疫学というよりは、もっと広い生物学-生態学的にすすめていくことが重要である」。この文章から、吉岡金市の学問に対する真摯で視野の広い見識が読みとれる。
このような吉岡の考え方の視点は、どのようにして生まれてきたのであろうか。
吉岡は岡山県井原市の農家の息子として、明治35(1902)年7月26日に生まれた。苦学して京都帝国大学を卒業する。専攻は農林経済学だった。倉敷の労働科学研究所で労働生理学、産業衛生学、労働医学、労働技術学を研究した。ついで大原農業研究所農業経営部長として、水稲の灌漑(かんがい)に関する研究を基盤とする労働節約的な直播機械耕作法の研究を進めた。生涯の多くをこの水稲直播の技術研究にささげた。幼少の頃から体験してきた農業現場での重労働が、農業改革を妨げる最大の障害であることを実感していたからだ。
吉岡は、農家の労働力の解消につねに目を向けていた。そのためには、機械化が必要であると考えた。しかし、田植えの機械化はむずかしい。水稲直播こそが農業を近代化する大きな決め手になると考えた。頑固で行動的で努力家の吉岡は、このような研究の過程で農業に関わる数多くの本を書いた。
吉岡が書いた本の題名から考えて、彼を農学研究者とだけみることは正しくない。彼がめざしたのは、農家とともに歩む技術改革と、農家の経済的な幸せと、農村に住むひとびとの環境と健康をもとめた総合的なものであった。その証として、吉岡は農学と経済学と医学の博士号を取得していた。著書は60冊、論文は300編にも及ぶ。
著書の題名から明らかなように、吉岡の関心は農家の生産と経済と労働の問題だった。しかし農民の生の豊かさを望む吉岡の関心は、時代の変遷とともに人と環境の健康に移った。昭和30年代には治水に関心が向き、冷水害などによるダム災害の調査を行った。これがもとで、さらには神通川水系のカドミウム公害を追求し、イタイイタイ病の研究に大きな業績を残すに至る。これらのことが、吉岡金市を「農と医の連携を心したひとびと」に登場させた理由だ。
1970年に「たたら書房」から出版された「イタイイタイ病研究」と、1979年に「労働科学研究所」から出版された「労働科学叢書54 カドミウム公害の追求」は、氏の著書の中でも圧巻だ。この二つの本を紹介する。
まず、「イタイイタイ病研究」である。公害とそれに伴うイタイイタイ病の実態を世界に訴えたいとの思いが、冒頭の13ページの英文にも現れている。これは、国際社会科学評議会公害問題常置委員会が開く「公害問題に関する国際シンポジウム」の講演の要約だ。
題名は、「Natural and Social Scientific Study of Itai-itai Disease」で、Prefaceのあとは、次の項目が続く。
- Industrial Development and Dissemination of Industrial Hazard
- Characteristics of Itai-itai Disease
- Natural Scientific View on Itai-itai Disease
- Social Scientific View on Itai-itai Disease
- Literature on Itai-itai Disease
日本文で書かれた内容は次の通りである。第1編は神通川水系公害研究報告書で、農業鉱害と人間公害に関する研究がまとめられている。神岡鉱山から採取されたカドミウム、鉛、亜鉛などの重金属が神通川を流下して水田や畑に沈積する。それらは、河川域の魚はもとより植物や作物に吸収される。それを家畜や人間が食し、健康を害する。重金属は形態変化をしないで、体内に蓄積される。肝臓や腎臓などの毒物を処理する器官でも処理できず、イタイイタイ病となる。この食物連鎖に関する膨大なデータが示される。
第2編ではイタイイタイ病が、カドミウムの慢性中毒症であると結論されるまでの経過が報告される。
第3編では、カドミウム慢性中毒症を中心とする産業公害の免疫学的研究の経過と成果が述べられる。この問題については、個人や学会や会社や社会でさまざまな虚偽、真実、それらに伴う様々なひとびとの間での葛藤がつづいたようだ。当時の新聞や手紙などの情報を提供しながら葛藤の経過が提示される。とくに学者間の見解の相違は、読む者をして、科学と名誉、医学の哲学などさまざまな科学する者の在り方を考えさせる。このような問題は、いつの時代にも生じる。
ワトソンとクリックの書いた「二重らせん」にも、DNAの発見に際して、データの盗難があった。シャロン?ローンが書いた「オゾンクライシス」でも、オゾン層破壊を最初に指摘したジェームズ?マクドナルドは、失意のうちに自殺した。科学は人間の物語なのだ。
第4編では、カドミウム慢性中毒症としてのイタイイタイ病論争がきわめて具体的に語られる。イタイイタイ病論争の問題点は何か、原因が不明だったのはなぜか、原因は米か水か、発生したのはいつごろか、臨床医の科学的な報告は何を意味しているのか、いつごろ発生したのかなどが詳しく紹介される。
第5編では、イタイイタイ病と公害との関連性についての疫学的研究が、著者の書いた別の文献で紹介される。全体が概観できるように、目次の簡略を以下に紹介する。
第I編―神通川水系鉱害研究報告書―農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)
A 農業鉱害に関する研究
B 人間公害に関する研究
C 農業鉱害と人間公害の総括
結―鉱害研究の成果と将来の課題
第II編―イタイイタイ病がCdの慢性中毒症であることの「結論」が出されるまでの経過
- 山口市の中国地方公衆衛生学会と札幌市の日本整形外科学会への同時発表
- 神岡鉱山からの反論とその反批判
- 昭和36年から37年末までに起ったいたましい2つの悲劇
- イタイイタイ病患者を「政治的に掌握」して研究成果をひとりじめしようとしたものは誰か
- ウソはどこかでボロを出して、その本質を自らばくろするものである
- 科学的研究における協力関係―共〔協〕同研究とはいかなるものであるか
- 被害者は自信をもって事に当るべきである
- 「イタイイタイ病との闘い」について
- 若い人々を迷わしてはならない
- カドミウム中毒関係文献について
第III編―Cd慢性中毒症を中心とする産業公害の疫学的研究
I 研究の課題(研究の方法論を含めて)
II 研究の経過(世界的な研究史を含めて)
III 研究の成果(疫学的研究を中心として)
- 問題の限定(昭和44年3月27日厚生省発表)
- 神岡鉱山の地形と地質と鉱床の特性
- 神岡鉱山の製練方法の変遷
- 神岡鉱山下流高原川?神通川のダム建設
- 神通川の河床とイタイイタイ病との関係
- 杉の年輪に刻印された鉱害記録
- 神通川水系のイネの鉱害―冷水害か鉱害か
- イタイイタイ病による死亡者についての疫学的検討
- 富山のイタイイタイ病はなぜあとをたたぬか
- イタイイタイ病関係年表の訂正
- 長崎県対馬の対州鉱山のCd鉱害
- 群馬県安中市の東邦亜鉛安中製錬所のCd鉱害
- 大分県奥岳川流域のカドミウム鉱害
第IV編―カドミウム慢性中毒症としてのイタイイタイ病論争
- イタイイタイ病論争の問題点
- イタイイタイ病の原因が長い間不明であったのは疫学的な研究が足らなかったからである
- 富山県のイタイイタイ病が発生したのは、いつごろか、明治末期からあとが問題なのだ
- 富山県のイタイイタイ病の原因は、米か水か
- カドミウム製錬工場から排出される亜硫酸ガスとカドミウム鉱害との関係―神岡と対馬のちがいは、どこにあるのか
- 長崎県対馬の対州鉱山にイタイイタイ病は、あったのか、なかったのか
- 対馬のイタイイタイ病患者のレントゲン写真は、本物か、偽物か
- 現地調査とサンプリングを自分でしないでは、イタイイタイ病の研究はできない
- 臨床医は臨床医らしくその臨床的な経験の科学的な報告をかくべきである
- イタイイタイ病とは何か、それはいつごろから発生したのか
第V編―イタイイタイ病と鉱害との関連性についての疫学的研究
I 緒言―研究の課題
II 研究資料並びに研究方法
III 研究成績
- イタイイタイ病の疫学的諸現象とそれを支配せる環境因子についての考察
- イタイイタイ病患者発生の地域限局性とそれを支配せる環境因子についての考察
- Zn、Pb及びCd特にCd中毒症に関する文献的考察
文 献
付録:イタイイタイ病関係文献目録
あとがき/要約―公害イタイイタイ病の自然科学と社会科学(英文)
次の著書「カドミウム公害の追求」は、六つの章と補からなる。第1章は「イタイイタイ病の疫学」と題して、公害と疫学の研究の重要性が語られ、神岡鉱山のカドミウムとイタイイタイ病との疫学が論じられる。第2章は「カドミウム公害の虚実」と題して、カドミウム公害の原因、汚染源、形態、実態、調査および防除対策が紹介される。第3章は「山形県吉野川流域Cd公害の免疫」で、吉野川水系Cd公害の原因、具体的汚染源の追求?調査、農業公害、人間公害、鉱山の防止事業、公害補償など内容は多岐にわたる。第4章は「生野鉱山Cd公害の免疫的研究」、第5章は「北陸鉱山Cd公害に関する調査研究」が紹介される。
第6章の「イタイイタイ病のうそとまこと」では、公害問題に関する多くの問題点が指摘されている。われわれは、この章から多くのことを学ぶことができる。公害問題を研究することの意義とは。学者間の研究協力とは。公害研究の哲学とは。公害の報道とは。科学と名誉とは。
その内容は、1)公害と科学者?ジャーナリストの良心と良識、2)イタイイタイ病研究のプライオリティ、3)小林?萩野のウソにひっかかった人びと、4)イタイイタイ病の研究方法と研究費、5)公害に関する疫学的研究の重要性、6)国内的?国際的カドミウム公害、7)萩野医師からの研究費についてのいきさつ、8)イタイイタイ病の事実関係と法律関係。なお、補として、1)公害と新聞、2)カドミウム公害のプライオリティについて、3)イタイイタイ病法延闘争をかえりみて、である。
イタイイタイ病(イ病)とカドミウム汚染
吉岡金市の環境?公害にかかわった業績をイタイイタイ病(イ病)とカドミウム汚染の歴史から追ってみることにする。イ病は、大正時代から発生していたようである。原因が分からず、神通川流域に特有な原因不明の難病と思われていた。この病気は、神通川流域の川や地下水を飲料水として使用していた地域の農家の、とくに中年以降の経産婦に多く発病したことから、女性特有の病気と思われていた。
この病気にかかると、くしゃみをするだけでも胸骨や顎の骨が折れてしまう。骨がもろくなってしまい、骨の折れる痛みでイタイイタイと泣き叫ぶ。その後しだいに衰弱し、やがて死亡する例が多いことから、「イタイイタイ病」と名づけられた。一家の主婦が被害者となるケースが多かったため、家庭生活は破壊され、とり返しのつかない悲劇もおこる、まさに悲惨な病であった。
イ病とは、カドミウムの慢性中毒により腎臓障害を生じ、次いで骨軟化症をきたして骨折をするものだ。骨そのものの異常であるから、外科的治療は不可能だ。背骨などの骨折で身体が小さくなってしまうとともに内臓が圧迫され、わずかの身体の動きでも全身が非常に痛むので、イタイイタイの病名がついた。妊婦に多く、授乳、内分泌の変調、老化およびカルシウム等の不足などが誘因となり発病する。イ病の進行や症状には個人差がある。
イ病の歴史を追ってみる。大正6(1917)年8月7日の「富山日報」が、神岡鉱山の鉱カスによる水田の鉱毒汚染を警告している。これが神岡鉱山にかかわる鉱害の最も古い報告だろう。大正11(1922)年には、富山県神通川流域で奇病が発生した。おそらくこの奇病がイ病のもとだったろう。富山県におけるイ病が、大正時代から発生していたと考えられる根拠はここにある。
昭和13(1938)年には、このような奇病に対して富山県神通川流域の諸団体が神岡鉱山防毒期成同盟会を組織している。奇病の問題が取り扱われるなかで、昭和21(1946)年3月には、リウマチ性の患者が富山県神通川流域に多発した。おそらく、初めての複数のイ病の患者であったと想定される。また、昭和23(1948)年6月には、富山県では農作物被害に対し神通川鉱害対策協議会が結成された。農作物にも人にも被害が顕著に現れるようになった。
昭和30(1955)年、地元の民間臨床医の萩野昇氏が医学界で発表した研究が世間の人々にこの病気の存在を知らしめた。カドミウムに汚染された地下水や河川水の飲用が、骨軟化症をおこす。これが公害病であることを公言したのである。さらに、動物実験でこの病気の原因を究明してきた荻野医師は、昭和34(1959)年10月、この病気の「原因は神岡鉱山の鉱毒」であると発表した。このことが、イ病告発のきっかけとなった。
先に紹介した昭和36(1961)年6月に刊行された吉岡金市著「神通川水系鉱害研究報告書-農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)」は、日本で初めてカドミウム公害を明らかにした科学的な報告書である。この報告書により、イ病の原因がカドミウムによることが明確になった。これがきっかけとなり、わが国でも組織的な研究が開始されるようになった。その後、イ病の発見に尽力した吉岡金市、萩野昇および小林純の間で研究成果やデータの取り扱いで不幸な悶着(もんちゃく)がみられた。このことについては、先に紹介した吉岡金市の著「カドミウム公害の追求」にその経過が詳しく述べられている。
科学の発展には必ず人間の葛藤(かっとう)がある。人間が科学を生み、それを育んでいる限り、当たり前のことであろう。誤解を恐れず敢えて別の表現をすれば、葛藤のある科学ほど内容があるとも言える。
その後、昭和41(1966)年10月に富山県婦中町で、イ病患者73人が発見された。また昭和42(1967)年4月、岡山大学の小林純教授と荻野昇医師によって、富山県のイ病は三井金属神岡鉱業所の廃水が原因であることが発表された。1966年の厚生省の見解と1972年の名古屋高裁判決(第1次提訴)によってイ病の発生源は、三井金属鉱業神岡鉱山であることが確認された。
このような経過のもとに、吉岡金市の農と環境と医をつなぐ偉大な業績は実を結んだのだ。
カドミウムによる農業被害
文部省、厚生省および富山県による調査が、金沢大学医学部の研究者を中心にして1963年から65年にかけて実施された。常願寺川、黒部川および庄川の各流域が調査の対象に選ばれた。患者は神通川流域にのみ限られた。患者の尿や米からカドミウムが多量に検出された。
また1967年からは、厚生省公害調査研究委託費による日本公衆衛生協会?イタイイタイ病研究班が発足した。この班では汚染地域から収穫された米のカドミウムの分析が行われるとともに、水田土壌のカドミウム、鉛、亜鉛等の重金属元素の詳細な分析が行われた。これらの結果と、イ病患者と容疑者の有症率の対比が行われ、両者の密接な関係が明らかにされた。また、神岡鉱山堆積場鉱さいのカドミウム分析も実施された。この時の調査で、イ病とカドミウムとの関連が疫学的に疑いもなく明白になっていった。
さらに、汚染地域全域のカドミウム濃度分布とイ病の有病率の分布が密接な関係にあることが明らかにされた。また水田土壌中のカドミウム濃度は、上層ならびに水口で高いことが解明され、カドミウムによる汚染は潅漑(かんがい)によるものであることも明らかになった。
カドミウムは人体への被害だけではなく、神通川を農業用水とする稲作にも大きな被害を与えた。長期間にわたってカドミウム汚染米を食べた者が、カドミウムによる障害を受けたわけだから、農地の汚染土壌をそのままで放置すれば、イタイイタイ病の根本的な解決にはならない。そのため、三井金属鉱業の負担でカドミウム汚染土壌の除去が進められた。
今や世界の関心の多くは、地球を基盤に置いた様々な環境問題に向けられている。吉岡金市の研究と研究に対する真摯(しんし)な態度は、わが国の環境研究の先鞭をつけたものだ。「頑固で行動的な人だった。つねに権力に対峙(たいじ)し、引くことを知らない反骨の人でもあった」と、西尾敏彦著「農業技術を創った人たち」に書かれている。環境問題が社会問題となっている現今、社会はますます吉岡金市を必要としている時代であるが、すでに彼は昭和61(1986)年、84歳でこの世を去った。
環境問題は、点から面を経て空間にまで拡大した。例えば点的な問題はここで紹介した重金属汚染、面的な問題として窒素やリンなどによる湖沼の富栄養化現象、空間としては二酸化炭素やメタンや亜酸化窒素などによる大気の温暖化現象などがあげられる。さらに、ダイオキシンに代表される化学物質の三世代にわたる人体影響は、時間をも超えてしまった。
環境問題は時空を超えた。天地は今こそ第二、第三の吉岡金市を待望している。
以下に、参考までにイタイイタイ病に関わる年譜を整理した。
- 1692 元禄 5 幕府が飛騨を天領とし、木材と鉱物を直接支配。
- 1694 元禄 7 和佐保銀銅鉛鉱山(神岡鉱山)発見。
- 1819 文政 2 神岡鉱山周辺で鉱毒水による農業被害。
- 1855 安政 2 幕府が貨幣改鋳のため、高山で銀の精錬開始。
- 1866 慶応 2 幕府の政治力衰退とともに、神岡鉱山も衰退。
- 1873 明治 6 三井が神岡の全鉱区を買占め(~1889年)。
- 1881 明治14 三井が神岡鉱山経営を開始、銀生産増加。
- 1882 明治15 神岡鉱山最大の通洞坑発見。
- 1890 明治23 精練所の煙害に住民の抗議運動。
- 1893 明治26 三井が精練所に鉱毒飛散除去室を設置。
- 1897 明治30 金本位制実施で銀価格低下、神岡鉱山大打撃。
- 1904 明治37 日露戦争で鉛価格上昇、神岡鉱山の鉛生産増加。
- 1905 明治38 亜鉛鉱廃棄を中止、鹿間精練所で亜鉛精錬本格化。
- 1912 大正 1 富山県婦中町でイタイイタイ病が発生。
- 1914 大正 3 鉛精錬所の煙害で山林?農地?家畜被害拡大。
- 1917 大正 6 神岡の亜鉛精錬中止。大牟田三池鉱で精錬。
- 1917 大正 6 「富山日報」が神岡鉱山の鉱ガスによる水田の鉱毒汚染を警告。
- 1917 大正12 神岡鉱山、コットレル式電気集塵機設置。
- 1922 大正11 富山県神通川流域で奇病(イタイイタイ病)患者が発生。
- 1927 昭和 2 浮遊選鉱法導入で、排水中のカドミウム増加。
- 1931 昭和 6 富山県神通川廃川地の埋め立て。富岩運河の起工式。
- 1935 昭和10 戦時体制で亜鉛?鉛の需要増加。廃鉱処理困難。
- 1938 昭和13 富山県神通川流域の諸団体、神岡鉱山防毒期成同盟会を組織。
- 1940 昭和15 この頃神通川流域でイタイイタイ病患者多発。
- 1943 昭和18 亜鉛電解工場建設。カドミウムを高原川に排水。
- 1946 昭和21 富山県神通川流域にリウマチ性の患者多発。イタイイタイ病の初め。
- 1948 昭和23 富山県で農作物被害に対し神通川鉱害対策協議会が結成。
- 1952 昭和27 悪天候と煙害で、神通川流域の農林漁業に被害。
- 1955 昭和30 細菌学者細谷省吾がイタイイタイ病細菌感染説発表。
- 1957 昭和32 地元の萩野昇医師がイタイイタイ病重金属説発表。
- 1959 昭和34 荻野昇医師が原因は神岡鉱山の鉱毒と発表。
- 1961 昭和36 萩野昇と吉岡金市がイタイイタイ病カドミウム説発表。
- 1966 昭和41 厚生省が「カドミウム+α」説発表。
- 1966 昭和41 富山県婦中町でイタイイタイ病患者73人発見。
- 1967 昭和42 富山県のイタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所の廃水が原因と、岡山大の小林純教授と富山の荻野昇医師が発表。
- 1967 昭和42 イタイイタイ病対策協議会と三井金属との集団交渉。
- 1968 昭和43 富山県のイタイイタイ病患者ら28人が三井金属に6,100万円の賠償求める訴訟(第1次訴訟)。10月患者352人が5億7,000万円の訴訟(第2次訴訟)。
- 1969 昭和44 公害被害者全国大会開催。水俣病、イタイイタイ病、三池鉱の一酸化炭素中毒、森永ヒ素ミルク中毒、カネミ油症などの被害者代表百数十人が集まる。
- 1969 昭和44 厚生省がイタイイタイ病を「カドミウム」原因説に変更。
- 1971 昭和46 富山地裁、患者被害者勝訴の判決。慰謝料5,700万円。
- 1971 昭和46 富山地裁が第1次イタイイタイ病裁判訴訟で原告の主張をほぼ全面的に認め、三井金属鉱業神岡鉱業所排出のカドミウムが主因と判決。
- 1972 昭和47 名古屋高裁、被害者全面勝訴の判決。三井は控訴断念。
- 1972 昭和47 富山県婦中町でイタイイタイ病患者自殺。
- 1973 昭和48 三井金属鉱業、イタイイタイ病患者らと年額約1億1,000万円の治療費を支出する協定書に調印。
- 1974 昭和49 富山県が神通川左岸の647haを土壌汚染(カドミウム)対策地域に指定。
- 1975 昭和50 富山県が神通川右岸約350haをカドミウム汚染地区に指定。
- 1986 昭和61 三井金属は、経営不振に陥った神岡鉱山を別会社化。
参考資料
- 吉岡金市:神通川水系鉱害研究報告書-農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)、昭和36年6月
- 吉岡金市:公害の科学、イタイイタイ病研究-カドミウム農業鉱害から人間公害(イタイイタイ病)への追求、たたら書房、昭和45年3月
- 吉岡金市:カドミウム公害の追求、労働科学叢書 54、労働科学研究所、昭和54年11月
- 農業環境技術研究所ホームページ:http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/mgzn049.html
- 環境史年表 1868-1926 明治?大正編:下川耿史著、河出書房新社 (2003)
- 環境史年表 1926-2000 昭和?平成編:下川耿史著、河出書房新社 (2003)
- 農業技術を創った人たち:西尾敏彦著、家の光協会 (1998)
- 萩野 昇?吉岡金市:イタイイタイ病の原因に関する研究について、日整外会誌、35、 812-815 (1961)
農?環?医にかかわる国内情報:5.伴侶動物の腫瘍の早期診断に有効なPET検診
「情報:農と環境と医療 5号」の「人と動物の関係学」の項で、伴侶動物(コンパニオンアニマル)について書いた。伴侶動物はかつては愛玩動物(ペット)と呼ばれていた。この言葉の変化は、都市化や近代化の流れのなかで核家族や高齢者が増え、人間関係が希薄になったうえ、価値観や情報が多様化するなどの社会構造が変動したことによると考えられる。
表題のPETは、愛玩動物を意味するペットでないことを始めにお断りしておく。なにしろ筆者は、PETはペットかなと一瞬思ったからだ。
PETは、陽電子放射断層撮影法(Positron Emission Tomography)と呼ばれ、数ミリ単位の微小の腫瘍が早期に高い確率で発見でき、そのうえその腫瘍が悪性か良性かの識別もできる最先端のがん検査医療技術なのだ。
この技術の最大の特長は、これまでの検診では直径1cm以上の腫瘍しか発見できなかったものが、5mm程度の大きさから発見できることにある。従来型の検診による発見率は、0.15%、CTやMRIを併用した場合は0.79%程度とされている。PET検査では、発見率が約2%と飛躍的に高い。
PET検査は、X線、CTおよびMRIなどのように組織の形を撮影?検査する手法とは根本的に異なり、細胞そのものの活動を撮影?検査するものだ。したがって、「がん」のような、他と活動に顕著な違いを持つ細胞?組織を画像にして見せることが可能になる。その結果、小さな「がん」を発見しやすくする。さらに、これまで生体検査をしなければ判定が困難だった組織の良性や悪性の判定もできる。また、「がん」の進行の度合いも推定できる。
この技術は、1)小さながんでも発見できる、2)一度の検査で広い範囲の検査が受けられる、3)苦痛を伴わない、4)胃透視検査の約半分の被ばく線量ですむ、などが特徴だ。
さて、これからが本題だ。近い将来、法律が改正されこの腫瘍の早期診断に有効なPET検診が伴侶動物にも適用されることになる。すなわち、獣医核医学が日本で実施可能になるのだ。
この法律の改正に一役買ったのが、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@獣医畜産学部獣医学科の伊藤伸彦教授である。今年の「月刊新医療」4月号の131-133pに「最新PET運用事情」が特別企画されている。そこに、伊藤教授は「腫瘍の早期診断に有効なPET検診」と題した一報を掲載している。この報告書を手短に紹介する。なお、この項については伊藤伸彦教授に校閲いただいた。記して謝意を表す。
はじめに
ペットフード工業会が2003年10月に実施した「犬猫飼育率全国調査」によれば、わが国のイヌの飼育頭数(推計)は約1,100万頭、ネコは約700万頭である。二人以上の世帯では約3割がイヌかネコを飼っている。イヌの屋内飼育率は屋外飼育率を上回った。とくに純粋犬の屋内飼育率は65.4%と年々増加している。これは集合住宅における犬猫飼育が認知されつつあることと関連している。
これら伴侶動物の生命に対するひとびとの意識は、以前に比べて確実に変化してきた。伴侶動物が病気になれば、動物病院で適切な診療を受けさせることが飼い主の常識になってきた。このため、多くの動物病院では人間と同様な医療技術が要求される。伴侶動物は症状を訴えることができない。そこで、伴侶動物の診療を行う動物病院では、以前からX線撮影装置の普及率が96%以上と非常に高かった。最近では、個人病院でも超音波診断装置ばかりでなくCTやMR診断装置のような高額検査機器が導入されている。
イヌの腫瘍発生率は高く、発見は遅れがち
近年、イヌやネコのワクチン接種率やフィラリア症予防薬の投与率が向上し、平均寿命が延びている。その結果、腫瘍をはじめとした加齢性疾患が大幅に増加し、10歳以上のイヌの45%が、癌で死亡しているとの報告もある。
一般には、イヌの方がネコより腫瘍発生率が5倍程度高い。イヌの中でも遺伝的に腫瘍発生率の高い品種がある。例えば、ボクサー、エアデール?テリア、ジャーマン?シェパード、スコティッシュ?テリア、ゴールデン?レトリバーは、多種類の腫瘍において発生率が高い。さらに、グレート?デン、アイリッシュ?ウルフハウンド、セント?バーナードなどの大型犬種には、骨肉腫の発生率が高い。コッカー?スパニエル、スコティッシュ?テリアなどの色素量の多い犬種では、悪性黒色腫の発生率が高い。
また、動物は症状を訴えることができないために、飼い主が症状に気づいて来院するときには病状も進んでいることが多い。人間に比べて5倍以上の速度で進行するために病院に行くのを逡巡しているうちに悪化が進む。このため、治療方針を決めるだけでなく、予後の判定や治療期間?経費を判断するためにも、速やかな腫瘍の広がりと転移の判定は獣医療でも重要だ。
動物医療で核医学が望まれている
現在の獣医療では、腫瘍の移転に関してはX線撮影やCTによる肺への転移病巣の確認が主な検査だ。局所転移は超音波検査や細胞診による。しかし、診断精度は十分でない。
これについては、米国では骨格転移の早期検出に広く骨シンチグラフィが用いられている。特に大型犬に非常に発生率が高い骨肉腫の現状を評価し、転移の判定も可能な骨シンチグラフィは有用だ。
獣医の領域では、中枢神経系の腫瘍発生は非常に稀であるといわれてきた。しかし、CTの使用によってこの腫瘍が頻繁に見つかるようになった。MRを導入した動物病院ではさらに発見率が増加している。
イヌでは中枢神経症状を示す疾病は種々知られている。家族である動物が神経症状を示すことは、飼い主にとっては非常に辛い。最近では獣医療における中枢神経の外科的手法や放射線治療も進歩しており、診断精度が向上すればより治癒率が向上するものと期待される。
脳シンチグラフィは大脳または視床の領域の腫瘤病変の検出に最も有効な方法だ。現在日本の獣医療では、中枢神経の腫瘍は神経学的検査、画像診断およびホルモン検査の結果を併せて総合的に診断している。今後、MRが普及し核医学診断が可能となれば、治療計画立案に大きな力となる。
この他、イヌやネコに発生する腫瘍の種類は人間のそれと大差ないくらい豊富だ。とくに、甲状腺腫瘍では核医学のメリットが大きく、欧米では診断と治療の両方で核医学は必須とされている。
現在の日本では、法的に未整備なため放射性同位元素のin vivo利用は、今のところ全て不可能だ。形態的な情報のみならず臓器の機能情報が得られ、かつ侵襲性の低い核医学が動物の医療で強く求められている。
法的整備の進捗状況
日本では、RIで汚染された"もの"は、放射能が物理的に減衰?消滅しても、汚染物として永久的管理が求められている。しかし、医療行為である人間へのRI投与は、「医療法」に従って対処することになっており問題はない。
では、動物はどうか。実験動物は"もの"として扱わざるを得ない場合もあるが、伴侶動物は"もの"ではないとの考え方が主流になった。動物に対する考え方は、各個人で異なるものの、少なくとも「動物愛護法」には、動物は"命あるもの"と規定されている。
先に述べた動物に対する国民の意識変化や、獣医療関係者からの要望が高まったため、2002年6月に(社)日本アイソトープ協会の学術組織ライフサイエンス部会に「獣医核医学専門委員会」が設置され活動が開始された。
同委員会には獣医学、医学、薬学、放射線防護学などの専門家が集められ、議論がスタートした。獣医核医学の実現には、医療法の体系に準じて「獣医療法施行規則(以下、省令)」に規定する方が適当であるため、農林水産省の担当部署も加わっている。
獣医核医学専門委員会には、4つの作業部会が設置され、2003年9月に中間報告書がまとめられた。この報告は、わが国の獣医療において核医学は必要であり、そのために法的な整備や学会などによる実施ガイドラインの策定が必須であると結論づけている。
これと並行して、日本学術会議においても獣医核医学に関する是非が審議され、2004年12月16日付けで「獣医療における核医学利用の推進について」が議決されている。さらに新たな動きが農林水産省にある。昨年10月に「小動物獣医療班」が発足した。これまで衛生管理課の主任務であった畜産物の安全供給に加えて、近年急速に増加した伴侶動物医療への国の計画や、高度獣医療への対応などが任務となり、法的整備の作業も始動し始めた。
ペットのPET検診
米国では、すでにテネシー大学獣医学部教育病院やコロラド大学獣医がんセンターでPET診断が実施されている。これは、北米や欧州の獣医放射線科専門医教育の研修項目にも組み入れられている。
PETを含む核医学は侵襲性が低く、「患者に優しい」ことが特徴である。動物にとっても良いことだ。
PET診断は悪性腫瘍の診断ばかりでなく、他にも様々な応用が考えられる。拡張型心筋症は、大型犬種やスパニエル種などに発生し、猫にも多く発生する治療困難な疾患だ。人間では、拡張型心筋症に対する左室縮小手術(Batista手術)が有効で、今後の期待が大きい。これは動物に対しても研究的に適用され始めているが、現時点では心筋のバイアビリティの評価は超音波診断に頼る不確実な方法のみだ。
獣医療でPET診断が行われるようになれば、心筋のバイアビリティ評価が正確に行われ、Batista手術の成功率が向上する。また、動物の心筋症の治療に医師と獣医師がともに関わることで、医師の手術の技術向上も期待できるのではなかろうか。
また動物の痴呆症や異常行動の診断に、PETを応用するための基礎研究も始まっている。現在、日本では動物の精神科は存在しないが、近い将来には米国と同様に興味を持たれる分野になるだろう。
先に述べたわが国における法的な整備はすでに始まっており、数年以内には、PET診断が多くの大学附属動物病院やセンター的な動物病院で行われるようになるだろう。伴侶動物に関する医療の高度化は、動物とその持ち主のためだけではなく、腫瘍や心疾患などの自然発生症例を用いた臨床研究を通じて、人間の医療にも還元できるだろう。医師と獣医師の共同研究がますます必要になる。
このことで、農医連携の課題がますます深化するだろう。
参考資料
表題のPETは、愛玩動物を意味するペットでないことを始めにお断りしておく。なにしろ筆者は、PETはペットかなと一瞬思ったからだ。
PETは、陽電子放射断層撮影法(Positron Emission Tomography)と呼ばれ、数ミリ単位の微小の腫瘍が早期に高い確率で発見でき、そのうえその腫瘍が悪性か良性かの識別もできる最先端のがん検査医療技術なのだ。
この技術の最大の特長は、これまでの検診では直径1cm以上の腫瘍しか発見できなかったものが、5mm程度の大きさから発見できることにある。従来型の検診による発見率は、0.15%、CTやMRIを併用した場合は0.79%程度とされている。PET検査では、発見率が約2%と飛躍的に高い。
PET検査は、X線、CTおよびMRIなどのように組織の形を撮影?検査する手法とは根本的に異なり、細胞そのものの活動を撮影?検査するものだ。したがって、「がん」のような、他と活動に顕著な違いを持つ細胞?組織を画像にして見せることが可能になる。その結果、小さな「がん」を発見しやすくする。さらに、これまで生体検査をしなければ判定が困難だった組織の良性や悪性の判定もできる。また、「がん」の進行の度合いも推定できる。
この技術は、1)小さながんでも発見できる、2)一度の検査で広い範囲の検査が受けられる、3)苦痛を伴わない、4)胃透視検査の約半分の被ばく線量ですむ、などが特徴だ。
さて、これからが本題だ。近い将来、法律が改正されこの腫瘍の早期診断に有効なPET検診が伴侶動物にも適用されることになる。すなわち、獣医核医学が日本で実施可能になるのだ。
この法律の改正に一役買ったのが、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@獣医畜産学部獣医学科の伊藤伸彦教授である。今年の「月刊新医療」4月号の131-133pに「最新PET運用事情」が特別企画されている。そこに、伊藤教授は「腫瘍の早期診断に有効なPET検診」と題した一報を掲載している。この報告書を手短に紹介する。なお、この項については伊藤伸彦教授に校閲いただいた。記して謝意を表す。
はじめに
ペットフード工業会が2003年10月に実施した「犬猫飼育率全国調査」によれば、わが国のイヌの飼育頭数(推計)は約1,100万頭、ネコは約700万頭である。二人以上の世帯では約3割がイヌかネコを飼っている。イヌの屋内飼育率は屋外飼育率を上回った。とくに純粋犬の屋内飼育率は65.4%と年々増加している。これは集合住宅における犬猫飼育が認知されつつあることと関連している。
これら伴侶動物の生命に対するひとびとの意識は、以前に比べて確実に変化してきた。伴侶動物が病気になれば、動物病院で適切な診療を受けさせることが飼い主の常識になってきた。このため、多くの動物病院では人間と同様な医療技術が要求される。伴侶動物は症状を訴えることができない。そこで、伴侶動物の診療を行う動物病院では、以前からX線撮影装置の普及率が96%以上と非常に高かった。最近では、個人病院でも超音波診断装置ばかりでなくCTやMR診断装置のような高額検査機器が導入されている。
イヌの腫瘍発生率は高く、発見は遅れがち
近年、イヌやネコのワクチン接種率やフィラリア症予防薬の投与率が向上し、平均寿命が延びている。その結果、腫瘍をはじめとした加齢性疾患が大幅に増加し、10歳以上のイヌの45%が、癌で死亡しているとの報告もある。
一般には、イヌの方がネコより腫瘍発生率が5倍程度高い。イヌの中でも遺伝的に腫瘍発生率の高い品種がある。例えば、ボクサー、エアデール?テリア、ジャーマン?シェパード、スコティッシュ?テリア、ゴールデン?レトリバーは、多種類の腫瘍において発生率が高い。さらに、グレート?デン、アイリッシュ?ウルフハウンド、セント?バーナードなどの大型犬種には、骨肉腫の発生率が高い。コッカー?スパニエル、スコティッシュ?テリアなどの色素量の多い犬種では、悪性黒色腫の発生率が高い。
また、動物は症状を訴えることができないために、飼い主が症状に気づいて来院するときには病状も進んでいることが多い。人間に比べて5倍以上の速度で進行するために病院に行くのを逡巡しているうちに悪化が進む。このため、治療方針を決めるだけでなく、予後の判定や治療期間?経費を判断するためにも、速やかな腫瘍の広がりと転移の判定は獣医療でも重要だ。
動物医療で核医学が望まれている
現在の獣医療では、腫瘍の移転に関してはX線撮影やCTによる肺への転移病巣の確認が主な検査だ。局所転移は超音波検査や細胞診による。しかし、診断精度は十分でない。
これについては、米国では骨格転移の早期検出に広く骨シンチグラフィが用いられている。特に大型犬に非常に発生率が高い骨肉腫の現状を評価し、転移の判定も可能な骨シンチグラフィは有用だ。
獣医の領域では、中枢神経系の腫瘍発生は非常に稀であるといわれてきた。しかし、CTの使用によってこの腫瘍が頻繁に見つかるようになった。MRを導入した動物病院ではさらに発見率が増加している。
イヌでは中枢神経症状を示す疾病は種々知られている。家族である動物が神経症状を示すことは、飼い主にとっては非常に辛い。最近では獣医療における中枢神経の外科的手法や放射線治療も進歩しており、診断精度が向上すればより治癒率が向上するものと期待される。
脳シンチグラフィは大脳または視床の領域の腫瘤病変の検出に最も有効な方法だ。現在日本の獣医療では、中枢神経の腫瘍は神経学的検査、画像診断およびホルモン検査の結果を併せて総合的に診断している。今後、MRが普及し核医学診断が可能となれば、治療計画立案に大きな力となる。
この他、イヌやネコに発生する腫瘍の種類は人間のそれと大差ないくらい豊富だ。とくに、甲状腺腫瘍では核医学のメリットが大きく、欧米では診断と治療の両方で核医学は必須とされている。
現在の日本では、法的に未整備なため放射性同位元素のin vivo利用は、今のところ全て不可能だ。形態的な情報のみならず臓器の機能情報が得られ、かつ侵襲性の低い核医学が動物の医療で強く求められている。
法的整備の進捗状況
日本では、RIで汚染された"もの"は、放射能が物理的に減衰?消滅しても、汚染物として永久的管理が求められている。しかし、医療行為である人間へのRI投与は、「医療法」に従って対処することになっており問題はない。
では、動物はどうか。実験動物は"もの"として扱わざるを得ない場合もあるが、伴侶動物は"もの"ではないとの考え方が主流になった。動物に対する考え方は、各個人で異なるものの、少なくとも「動物愛護法」には、動物は"命あるもの"と規定されている。
先に述べた動物に対する国民の意識変化や、獣医療関係者からの要望が高まったため、2002年6月に(社)日本アイソトープ協会の学術組織ライフサイエンス部会に「獣医核医学専門委員会」が設置され活動が開始された。
同委員会には獣医学、医学、薬学、放射線防護学などの専門家が集められ、議論がスタートした。獣医核医学の実現には、医療法の体系に準じて「獣医療法施行規則(以下、省令)」に規定する方が適当であるため、農林水産省の担当部署も加わっている。
獣医核医学専門委員会には、4つの作業部会が設置され、2003年9月に中間報告書がまとめられた。この報告は、わが国の獣医療において核医学は必要であり、そのために法的な整備や学会などによる実施ガイドラインの策定が必須であると結論づけている。
これと並行して、日本学術会議においても獣医核医学に関する是非が審議され、2004年12月16日付けで「獣医療における核医学利用の推進について」が議決されている。さらに新たな動きが農林水産省にある。昨年10月に「小動物獣医療班」が発足した。これまで衛生管理課の主任務であった畜産物の安全供給に加えて、近年急速に増加した伴侶動物医療への国の計画や、高度獣医療への対応などが任務となり、法的整備の作業も始動し始めた。
ペットのPET検診
米国では、すでにテネシー大学獣医学部教育病院やコロラド大学獣医がんセンターでPET診断が実施されている。これは、北米や欧州の獣医放射線科専門医教育の研修項目にも組み入れられている。
PETを含む核医学は侵襲性が低く、「患者に優しい」ことが特徴である。動物にとっても良いことだ。
PET診断は悪性腫瘍の診断ばかりでなく、他にも様々な応用が考えられる。拡張型心筋症は、大型犬種やスパニエル種などに発生し、猫にも多く発生する治療困難な疾患だ。人間では、拡張型心筋症に対する左室縮小手術(Batista手術)が有効で、今後の期待が大きい。これは動物に対しても研究的に適用され始めているが、現時点では心筋のバイアビリティの評価は超音波診断に頼る不確実な方法のみだ。
獣医療でPET診断が行われるようになれば、心筋のバイアビリティ評価が正確に行われ、Batista手術の成功率が向上する。また、動物の心筋症の治療に医師と獣医師がともに関わることで、医師の手術の技術向上も期待できるのではなかろうか。
また動物の痴呆症や異常行動の診断に、PETを応用するための基礎研究も始まっている。現在、日本では動物の精神科は存在しないが、近い将来には米国と同様に興味を持たれる分野になるだろう。
先に述べたわが国における法的な整備はすでに始まっており、数年以内には、PET診断が多くの大学附属動物病院やセンター的な動物病院で行われるようになるだろう。伴侶動物に関する医療の高度化は、動物とその持ち主のためだけではなく、腫瘍や心疾患などの自然発生症例を用いた臨床研究を通じて、人間の医療にも還元できるだろう。医師と獣医師の共同研究がますます必要になる。
このことで、農医連携の課題がますます深化するだろう。
参考資料
- 伊藤伸彦:腫瘍の早期診断に有効なPET検診、月刊新医療、No.364, 131-133 (2005)
- 伊藤伸彦:動物医療のための核医学の現状と将来、放射線生物研究、38(2), 135-143 (2003)
研究室訪問 R:獣医畜産学部 獣医放射線学
「農と環境と医療」を連携できる研究の素材や人を求めて、さまざまな職場を探索している。第18回目は、獣医畜産学部獣医放射線学研究室の伊藤伸彦教授と夏堀雅宏講師を訪ねた。伊藤教授は、伴侶動物に多発している腫瘍疾患の早期診断等の高度獣医療に関わる法令案を策定する仕事や、5月から「十和田新学部開設準備室」の委員長の任など、多忙な毎日を送っておられるにもかかわらず、今夏の訪問に快く対応していただいた。
この研究室は、伊藤伸彦教授、夏堀雅宏講師および佐野忠士助手で構成されている。次のことを目的に研究が進められている。
コンパニオンアニマルの平均寿命が伸びるにしたがって、老年性の疾病や悪性腫瘍が増加している。これらに適切に対応するためには放射線治療や核医学が必須となるが、欧米で実施されている動物医療における核医学は、法的に未整備のためわが国では実施できなかった。しかし、平成16年度末に農林水産省で獣医療法の改正が検討され始めた。このため、法令の改訂や安全利用ガイドラインを策定するために獣医核医学診療のための種々の基礎データを得ることと同時に、放射線防護に関する研究を併せて行っている。
さらに、放射線治療を目的として、コンパニオンアニマルに自然発生する腫瘍を材料に、細胞の放射線感受性を予測するための技術開発、また腫瘍に対する精密な放射線照射の技術開発研究を行っている。これらの技術や知見を動物の医療のみならず、人間の医療にも還元することを目標として研究が実施されている。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
R-1.核医学診断に用いる放射性医薬品の体内動態(講座重点研究)
獣医療における核医学診断に用いられる放射性医薬品の体内動態を解析し、より精密な診断情報または新たな診断法を得ることを目的とする。
R-2.環境放射能に関する研究(講座重点研究)
将来、青森県六ヶ所村の原子燃料処理施設から排出される可能性のある放射性物質の畜産物への移行について、これまでに核実験などで環境中に放出されて存在するRIをモデルとして分析評価し、地域の安全評価に必要な放射能の環境移行パラメーターを得る。
R-3.F18-FDGの細胞内集積、特に腫瘍および炎症組織への集積機序について(日本アイソトープ協会仁科記念サイクロトロンセンター及び岩手医科大学)
F18-FDGの腫瘍組織と炎症組織の鑑別診断に資するデータを得ることを目的として、細胞レベルでの解析を進め集積機序を明らかにする。
R-4.腫瘍に対する粒子線照射の影響に関する研究(原子力研究所高崎研究所)
イヌに発生する腫瘍の放射線治療を行うための最適プロトコールを得るため、自然発症のイヌ腫瘍からライン化された腫瘍細胞を用いて放射線感受性の事前評価法を確立する。
R-5.動物の放射線治療における病巣線量集中に関する研究(東北大学工学部)
放射線治療の効果を高めるために病巣部にのみ十分な線量の放射線を与え、周囲正常組織への被ばくをできるだけ減らす高精度な放射線照射精度が求められている。この問題を解決する手段の一つとして鎮静?麻酔状態にある動物の体全体や臓器の動きおよび生体反応を正確に理解し評価し、放射線治療プロトコールの作成資料とする。
R-6.獣医臨床画像データベースの構築と応用(テネシー大学獣医学部獣医放射線科)
臨床放射線学では、X線写真、造影動画、CT、MRI、超音波など多くの画像を扱っているが、これらを効率的に活用するためにデータベース構築を目指し、画像データ処理の基礎的検討とコンピュータネットワークを活用したデータベースの構築を行う。
R-7.二色放射光によるX線CTの開発(放射線医学総合研究所)
放射光施設 SPring-8の施設を用いて、未来のX線CTと考えられている密度分解能の高い画像診断技術を開発するための基礎データ収集を行う。
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」などがある。
この研究室の動向をみるに、上の研究課題の範疇に新たに「アイソトープ(含:核医学)」が追加されるべきであろう。アイソトープは、元素の土壌(水)-植物-動物-人間の連鎖に関する研究に欠くことのできない手法である。
また、これまで「農と環境と医療」のプラットホームに、1)薬用植物園、2)北里環境科学センター、3)附属フィールドサイエンスセンターの三つが考えられることを指摘した。今回あらたに、4)アイソトープ、が追加できる。
この研究室の連携課題には、「アイソトープ」をはじめ、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「環境保全」など多くの課題が考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
この研究室は、伊藤伸彦教授、夏堀雅宏講師および佐野忠士助手で構成されている。次のことを目的に研究が進められている。
コンパニオンアニマルの平均寿命が伸びるにしたがって、老年性の疾病や悪性腫瘍が増加している。これらに適切に対応するためには放射線治療や核医学が必須となるが、欧米で実施されている動物医療における核医学は、法的に未整備のためわが国では実施できなかった。しかし、平成16年度末に農林水産省で獣医療法の改正が検討され始めた。このため、法令の改訂や安全利用ガイドラインを策定するために獣医核医学診療のための種々の基礎データを得ることと同時に、放射線防護に関する研究を併せて行っている。
さらに、放射線治療を目的として、コンパニオンアニマルに自然発生する腫瘍を材料に、細胞の放射線感受性を予測するための技術開発、また腫瘍に対する精密な放射線照射の技術開発研究を行っている。これらの技術や知見を動物の医療のみならず、人間の医療にも還元することを目標として研究が実施されている。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
R-1.核医学診断に用いる放射性医薬品の体内動態(講座重点研究)
獣医療における核医学診断に用いられる放射性医薬品の体内動態を解析し、より精密な診断情報または新たな診断法を得ることを目的とする。
R-2.環境放射能に関する研究(講座重点研究)
将来、青森県六ヶ所村の原子燃料処理施設から排出される可能性のある放射性物質の畜産物への移行について、これまでに核実験などで環境中に放出されて存在するRIをモデルとして分析評価し、地域の安全評価に必要な放射能の環境移行パラメーターを得る。
R-3.F18-FDGの細胞内集積、特に腫瘍および炎症組織への集積機序について(日本アイソトープ協会仁科記念サイクロトロンセンター及び岩手医科大学)
F18-FDGの腫瘍組織と炎症組織の鑑別診断に資するデータを得ることを目的として、細胞レベルでの解析を進め集積機序を明らかにする。
R-4.腫瘍に対する粒子線照射の影響に関する研究(原子力研究所高崎研究所)
イヌに発生する腫瘍の放射線治療を行うための最適プロトコールを得るため、自然発症のイヌ腫瘍からライン化された腫瘍細胞を用いて放射線感受性の事前評価法を確立する。
R-5.動物の放射線治療における病巣線量集中に関する研究(東北大学工学部)
放射線治療の効果を高めるために病巣部にのみ十分な線量の放射線を与え、周囲正常組織への被ばくをできるだけ減らす高精度な放射線照射精度が求められている。この問題を解決する手段の一つとして鎮静?麻酔状態にある動物の体全体や臓器の動きおよび生体反応を正確に理解し評価し、放射線治療プロトコールの作成資料とする。
R-6.獣医臨床画像データベースの構築と応用(テネシー大学獣医学部獣医放射線科)
臨床放射線学では、X線写真、造影動画、CT、MRI、超音波など多くの画像を扱っているが、これらを効率的に活用するためにデータベース構築を目指し、画像データ処理の基礎的検討とコンピュータネットワークを活用したデータベースの構築を行う。
R-7.二色放射光によるX線CTの開発(放射線医学総合研究所)
放射光施設 SPring-8の施設を用いて、未来のX線CTと考えられている密度分解能の高い画像診断技術を開発するための基礎データ収集を行う。
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」などがある。
この研究室の動向をみるに、上の研究課題の範疇に新たに「アイソトープ(含:核医学)」が追加されるべきであろう。アイソトープは、元素の土壌(水)-植物-動物-人間の連鎖に関する研究に欠くことのできない手法である。
また、これまで「農と環境と医療」のプラットホームに、1)薬用植物園、2)北里環境科学センター、3)附属フィールドサイエンスセンターの三つが考えられることを指摘した。今回あらたに、4)アイソトープ、が追加できる。
この研究室の連携課題には、「アイソトープ」をはじめ、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「環境保全」など多くの課題が考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
研究室訪問 S:獣医畜産学部 人獣共通感染症学
「農と環境と医療」を連携できる研究の素材や人を求めて、さまざまな職場を探索している。第19回目は、獣医畜産学部人獣共通感染症学研究室の中村政幸教授を訪ねた。これまで家禽疾病学であったこの研究室の名称は、17年度から新たに人獣共通感染症学に変更された。人間と動物の共通感染症の研究に取り組む意欲がうかがえる。受験生にもわかりやすい名称になった。農医連携に対応できる研究室と考えられる。
この研究室は、中村政幸教授、竹原一明助教授、岡村雅史助手で構成されている。次のことを目標に研究が進められている。
家禽疾病を中心に、疾病対策を病原体側のみでなく、生体側からも検討する。病原体としては、サルモネラ、カンピロバクターおよび鳥インフルエンザウイルスやニューカッスル病ウイルスが主なる対象で、ワクチン?飼料添加物?抗生物質?消毒薬など様々な観点から病原体対策を試みる。生体側からのアプローチとして、サイトカイン遺伝子をクローニング?発現させ、組換えサイトカインを投与することによる生体免疫制御を試み、若齢時の未熟な生体防御能やワクチン投与時の免疫応答を高められるか試験する。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
S-1.鶏におけるサルモネラ対策(講座重点研究)
サルモネラ食中毒対策として、新たな鶏用サルモネラワクチンの開発を民間企業と共同で実施するとともに、現行ワクチンの使用方法を改善し、サルモネラ対策に活用する。
S-2.鶏におけるカンピロバクター対策(講座重点研究)
カンピロバクター食中毒対策として、生産段階におけるカンピロバクターに対する有用な資材を開発する。
S-3.鳥インフルエンザおよびニューカッスル病ウイルスに関する研究(講座重点研究)
鶏、ダチョウおよび野鳥におけるトリインフルエンザウイルスおよびニューカッスル病ウイルスの調査。
S-4.サルモネラと宿主の関係(講座重点研究)
サルモネラが宿主体内でどのように生存し、宿主側はサルモネラに対してどのように応答するかを調べる。
S-5.人獣共通感染症の発病?伝播防止技術の開発(農林水産省)
サルモネラ対策として新規ワクチンの開発およびその評価系の検討
S-6.減投薬を可能とするドラッグデリバリーシステムの利用技術の開発(農林水産省)
サイトカインの動物個体への投与による免疫賦活法の検討
S-7.野鳥からのウイルス分離(農林水産省)
野鳥が有するウイルスの分離?同定、並びに性状決定
S-8.牛用サルモネラワクチンの有効性評価(化学及血清療法研究所)
化血研で開発中の牛用サルモネラワクチンの有効性評価を行う。
S-9.家畜?家禽のサイトカインネットワーク解明とその制御(獣医畜産学部?ハイテク リサーチセンター)
S-10.循環型畜産確立のための家畜の飼育評価法の検討(循環型畜産研究プロジェクト)
獣医学科、動物資源科学科、生物生産環境学科、フィールドサイエンスセンター、動物病院の3学科2施設による共同研究。動物、草地、土、水における物質循環を考慮し、持続可能農業、すなわち環境保全型畜産を探る。特に動物の免疫成熟の観点から、調査?研究を行う。
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」、「アイソトープ(含:核医学)」などがある。
この研究室の連携課題には、「安全食品」、「ウイルス」、「環境微生物」および「感染」などが考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
この研究室は、中村政幸教授、竹原一明助教授、岡村雅史助手で構成されている。次のことを目標に研究が進められている。
家禽疾病を中心に、疾病対策を病原体側のみでなく、生体側からも検討する。病原体としては、サルモネラ、カンピロバクターおよび鳥インフルエンザウイルスやニューカッスル病ウイルスが主なる対象で、ワクチン?飼料添加物?抗生物質?消毒薬など様々な観点から病原体対策を試みる。生体側からのアプローチとして、サイトカイン遺伝子をクローニング?発現させ、組換えサイトカインを投与することによる生体免疫制御を試み、若齢時の未熟な生体防御能やワクチン投与時の免疫応答を高められるか試験する。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
S-1.鶏におけるサルモネラ対策(講座重点研究)
サルモネラ食中毒対策として、新たな鶏用サルモネラワクチンの開発を民間企業と共同で実施するとともに、現行ワクチンの使用方法を改善し、サルモネラ対策に活用する。
S-2.鶏におけるカンピロバクター対策(講座重点研究)
カンピロバクター食中毒対策として、生産段階におけるカンピロバクターに対する有用な資材を開発する。
S-3.鳥インフルエンザおよびニューカッスル病ウイルスに関する研究(講座重点研究)
鶏、ダチョウおよび野鳥におけるトリインフルエンザウイルスおよびニューカッスル病ウイルスの調査。
S-4.サルモネラと宿主の関係(講座重点研究)
サルモネラが宿主体内でどのように生存し、宿主側はサルモネラに対してどのように応答するかを調べる。
S-5.人獣共通感染症の発病?伝播防止技術の開発(農林水産省)
サルモネラ対策として新規ワクチンの開発およびその評価系の検討
S-6.減投薬を可能とするドラッグデリバリーシステムの利用技術の開発(農林水産省)
サイトカインの動物個体への投与による免疫賦活法の検討
S-7.野鳥からのウイルス分離(農林水産省)
野鳥が有するウイルスの分離?同定、並びに性状決定
S-8.牛用サルモネラワクチンの有効性評価(化学及血清療法研究所)
化血研で開発中の牛用サルモネラワクチンの有効性評価を行う。
S-9.家畜?家禽のサイトカインネットワーク解明とその制御(獣医畜産学部?ハイテク リサーチセンター)
S-10.循環型畜産確立のための家畜の飼育評価法の検討(循環型畜産研究プロジェクト)
獣医学科、動物資源科学科、生物生産環境学科、フィールドサイエンスセンター、動物病院の3学科2施設による共同研究。動物、草地、土、水における物質循環を考慮し、持続可能農業、すなわち環境保全型畜産を探る。特に動物の免疫成熟の観点から、調査?研究を行う。
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」、「アイソトープ(含:核医学)」などがある。
この研究室の連携課題には、「安全食品」、「ウイルス」、「環境微生物」および「感染」などが考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
研究室訪問 T:薬学部 公衆衛生学
「農と環境と医療」を連携できる研究の素材や人を求めて、さまざまな職場を探索している。第20回目は、薬学部公衆衛生学研究の坂部貢教授、清野正子講師、坂上元栄助手に会うことができた。坂部教授は、1年前に赴任されたそうだが、研究室のスタッフとはすでに長くから共に研究をしておられる雰囲気が感じられた。農医連携には積極的に対応いただける内容の研究室であることを痛切に感じた。
この研究室は、坂部貢教授、清野正子講師、坂上元栄助手、中村亮介助手で構成されている。次のことを目標に研究が進められている。
有機リン化合物、メチル水銀などの重金属をはじめとする環境汚染物質や、様々な環境ストレスによる健康影響の発現過程、ならびにそれらに対する生体側の防御機構の解析?病態解析を、主として生化学、分子生物学、細胞生物学、臨床生理学的手法を用いて行っている。さらに、生物活性を用いた環境汚染物質の新たな処理法(いわゆるバイオレメディエーション)の開発についても基礎および応用的研究を進めている。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
T-1.低用量曝露症候群の病態解明に関する臨床基礎研究
ヒトに対する環境汚染物質の低用量曝露影響の個人差要因について、分子生物学的手法を用いて解析する。さらに、ヒトにおける化学物質不耐性(化学物質高感受性)群の臨床的評価に有用な生体指標の開発を目指している。
T-2.有機リン化合物やメチル水銀等重金属の毒性発現機構と防御因子
有機リン化合物やメチル水銀などの重金属の神経毒性?免疫毒性をはじめとする種々の毒性発現機構の解明、ならびにそれら発現機構に関わる因子を標的とした神経保護、免疫調節を目的として、細胞レベル、分子レベルで解析を行う。
T-3.低酸素ストレスに応答する細胞内蛋白質の活性および遺伝子発現機構の解析
低酸素ストレスによる遺伝子発現機構を明らかにし、癌や循環器疾患の発症?進展との関連を分子生物学的手法を用いて解析する。
T-4.有害金属類を対象としたバイオレメディエーション
重金属の回収?蓄積能力を付与したトランスジェニック植物を作出し、土壌中の重金属浄化を目指す。
T-5.化学物質過敏症の発症に関わる候補遺伝子の検索
本態性化学物質不寛容状態(いわゆる化学物質過敏症)の発症には、何らかの化学物質曝露が先行して存在するが、個人差が大きい。その個人差を決定している要因としての遺伝要因の検索は極めて重要な課題である。化学物質過敏症患者の末梢リンパ球を用いて、paraoxisonase1(PON1), neuropathy target esterase(NTE)などの薬物代謝酵素遺伝子を中心として遺伝子多型を解析する。
T-6.化学物質過敏症の診断に有効な生体パラメーターの検索
化学物質過敏状態とは、健常人では何ら影響を受けない極めて低用量の化学物質曝露に対しても、多彩な症状が出現する状態を指すが、低用量曝露であるが故に、いわゆる中毒の概念でこの病態を説明することは困難である。極めて低用量の化学物質曝露においても過敏症群では変動の生じる生体パラメーターの検索をすすめ、診断?病態評価に有効な神経学的あるいは免疫学的パラメーターを発見する。
T-7.微量化学物質の繰り返し曝露後に生じるシナプスの可塑性変化機構の解明
1回のみ曝露では何ら生体影響が発現しないような極めて微量の化学物質曝露であっても、繰り返し曝露を受けることによってある時点から、その物質に対して急激な生体反応が生じることが知られており、「神経の化学キンドリング現象」と呼ばれている。しかし、この現象の発現機構は未だ不明な点が多い。シナプスの可塑性変化からこの現象を解明しようと試み、興味ある知見が出始めている。
T-8.水銀、カドミウムなど重金属高蓄積性植物のためのエンジニアリング
環境中に放出された水銀、カドミウム等重金属を植物の解毒器官の一つである液胞に蓄積できる新規重金属高蓄積性植物の作出を目的とする。種々の微生物由来の重金属トランスポーターと液胞膜局在化分子AtVAM3を融合させたタンパク質を、同じ液胞をもつ酵母に高発現させたときの重金属蓄積性及び重金属耐性について検討すると共に、さらに上記の融合タンパク質にGFPを融合させ、シロイヌナズナ培養細胞内で発現させたときの細胞内局在について検討している。将来的に、重金属トランスポーター遺伝子のトランスジェニックシロイヌナズナを作出し、重金属蓄積性および浄化活性を検討している。
T-9.カドミウム高蓄積植物のカドミウム高蓄積機構に関する研究
近年注目されているファイトレメディエーションの実用化には、カドミウムを高蓄積する植物種の検索及びその蓄積メカニズムの解明が不可欠である。これまでに発見したCd蓄積種の中から、エンバク類に注目し、Cdの高蓄積メカニズムについて分子生物学的手法を用いて研究している。
T-10.水俣湾水銀耐性菌の分子生態学に関する研究
水俣湾底泥から単離された種々の水銀耐性菌株における水銀耐性遺伝子の分子生態学および上記菌株のうちBacillus属における水銀耐性遺伝子の進化の遺伝生化学を行っている。
環境化学物質の神経系への影響について注目し研究を行っている。特に神経特異的な毒性を示すとされるメチル水銀および有機リンの影響を初代培養神経細胞および神経芽細胞種由来株化細胞を使用し、それらの物質が「神経細胞にどのような影響を引き起こすのか」、「なぜ神経細胞特異的に作用を示すのか」といった問題を解明するため、その作用機序を分子生物学的手法、生化学的手法を用いて検討している。これまでに、低用量のメチル水銀によって神経細胞死が生じることを見出し、その細胞死に細胞内Ca2+の増加、およびCa+2依存性タンパク分解酵素カルパインの活性化が関与していることを明らかにした。さらにはこの低用量メチル水銀誘導性神経細胞死をモデルとして、細胞死を抑制する、すなわち神経保護作用のある物質もいくつか見出している。これからは、化学物質の神経細胞への影響を検討だけではなく、様々な神経細胞変性疾患モデルを使用して神経保護作用を有する物質とその作用機序を明らかにし、神経細胞変性疾患の予防?治療を目指した研究も展開する予定である。
T-11.プロスタグランジン(PG)E2受容体サブタイプEP1の膀胱癌発症?進展への影響
膀胱は体内に取り込まれた物質が排出されるときに、尿として貯蔵される臓器であるので、膀胱癌の発症は生活環境や職種に影響を受けやすい。この膀胱癌は泌尿器系では最も発症頻度が高く、また再発率が非常に高いにもかかわらず、そのメカニズム等についてほとんど検討されていない。一方種々の臓器の癌においてPGE2の産生が亢進しており、PGE2を介した経路が癌の発症?進展へ関与していることが示唆されており、膀胱癌においてもPGE2が関与していると考え以下の研究を行っている。
○PGE2受容体サブタイプであるEP1のアンタゴニスト投与マウスや、EP1KOマウスの膀胱癌発癌モデルを用いたEP1の膀胱癌への影響の検討。
○EP1KOマウスの膀胱癌より調製したEP1KO膀胱癌細胞を用いた血管新生、組織浸潤、細胞増殖などの癌化メカニズムへのEP1受容体の関与の検討。
○特に低酸素応答性転写因子(HIF)に関しては、低酸素でCOX-2の発現が上昇することや、血管内皮増殖因子(VEGF)等PG産生経路と共通のターゲットが存在することから、プロスタグランジン産生経路のアップレギュレートへのHIFの関与及び、EP1を介したシグナルによるHIFの安定化の検討を行っている。
T-12.重金属毒性軽減因子としてのチオレドキシン還元酵素機能の解析(文部科学省科学研究費)
T-13.水銀?カドミウムなど重金属を対象としたファイトレメディエーション戦略の構築(文部科学省科学研究費)
T-14.重金属微量汚染の検出?浄化を同時に達成する複合工学技術の開発(文部科学省科学研究費?東北学院大学?摂南大学との共同研究)
T-15.微量有害化学物質によるシックハウス症候群の病態解明、診断、治療対策に関する研究(厚生労働科学研究費)
T-16.職域の健康障害における作業因子の寄与と予防に関する研究(厚生労働科学研究 費)
T-17.本態性多種化学物質過敏状態の調査研究(環境省?公衆衛生協会委託研究費)
T-18.環境化学物質に対する新しい皮膚刺激試験法の開発(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@医学部?東海大学?ダラス臨床環境医学センターとの共同研究)
T-19.低酸素応答性転写因子による腫瘍血管新生を標的とした新たな抗腫瘍療法の開発 (日本医科大学?カナダトロント大学との共同研究)
T-20.都市型疾病対策、次世代環境リスク評価に関する大型研究拠点形成に関するシステム作り(千葉大学?東京医科歯科大学?国立環境研究所との共同作業)
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」、「アイソトープ(含:核医学)」などがある。
この研究室の連携課題には、「化学物質」および「重金属」が考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
この研究室は、坂部貢教授、清野正子講師、坂上元栄助手、中村亮介助手で構成されている。次のことを目標に研究が進められている。
有機リン化合物、メチル水銀などの重金属をはじめとする環境汚染物質や、様々な環境ストレスによる健康影響の発現過程、ならびにそれらに対する生体側の防御機構の解析?病態解析を、主として生化学、分子生物学、細胞生物学、臨床生理学的手法を用いて行っている。さらに、生物活性を用いた環境汚染物質の新たな処理法(いわゆるバイオレメディエーション)の開発についても基礎および応用的研究を進めている。
この研究室の主な研究テーマは、次のように整理されている。
T-1.低用量曝露症候群の病態解明に関する臨床基礎研究
ヒトに対する環境汚染物質の低用量曝露影響の個人差要因について、分子生物学的手法を用いて解析する。さらに、ヒトにおける化学物質不耐性(化学物質高感受性)群の臨床的評価に有用な生体指標の開発を目指している。
T-2.有機リン化合物やメチル水銀等重金属の毒性発現機構と防御因子
有機リン化合物やメチル水銀などの重金属の神経毒性?免疫毒性をはじめとする種々の毒性発現機構の解明、ならびにそれら発現機構に関わる因子を標的とした神経保護、免疫調節を目的として、細胞レベル、分子レベルで解析を行う。
T-3.低酸素ストレスに応答する細胞内蛋白質の活性および遺伝子発現機構の解析
低酸素ストレスによる遺伝子発現機構を明らかにし、癌や循環器疾患の発症?進展との関連を分子生物学的手法を用いて解析する。
T-4.有害金属類を対象としたバイオレメディエーション
重金属の回収?蓄積能力を付与したトランスジェニック植物を作出し、土壌中の重金属浄化を目指す。
T-5.化学物質過敏症の発症に関わる候補遺伝子の検索
本態性化学物質不寛容状態(いわゆる化学物質過敏症)の発症には、何らかの化学物質曝露が先行して存在するが、個人差が大きい。その個人差を決定している要因としての遺伝要因の検索は極めて重要な課題である。化学物質過敏症患者の末梢リンパ球を用いて、paraoxisonase1(PON1), neuropathy target esterase(NTE)などの薬物代謝酵素遺伝子を中心として遺伝子多型を解析する。
T-6.化学物質過敏症の診断に有効な生体パラメーターの検索
化学物質過敏状態とは、健常人では何ら影響を受けない極めて低用量の化学物質曝露に対しても、多彩な症状が出現する状態を指すが、低用量曝露であるが故に、いわゆる中毒の概念でこの病態を説明することは困難である。極めて低用量の化学物質曝露においても過敏症群では変動の生じる生体パラメーターの検索をすすめ、診断?病態評価に有効な神経学的あるいは免疫学的パラメーターを発見する。
T-7.微量化学物質の繰り返し曝露後に生じるシナプスの可塑性変化機構の解明
1回のみ曝露では何ら生体影響が発現しないような極めて微量の化学物質曝露であっても、繰り返し曝露を受けることによってある時点から、その物質に対して急激な生体反応が生じることが知られており、「神経の化学キンドリング現象」と呼ばれている。しかし、この現象の発現機構は未だ不明な点が多い。シナプスの可塑性変化からこの現象を解明しようと試み、興味ある知見が出始めている。
T-8.水銀、カドミウムなど重金属高蓄積性植物のためのエンジニアリング
環境中に放出された水銀、カドミウム等重金属を植物の解毒器官の一つである液胞に蓄積できる新規重金属高蓄積性植物の作出を目的とする。種々の微生物由来の重金属トランスポーターと液胞膜局在化分子AtVAM3を融合させたタンパク質を、同じ液胞をもつ酵母に高発現させたときの重金属蓄積性及び重金属耐性について検討すると共に、さらに上記の融合タンパク質にGFPを融合させ、シロイヌナズナ培養細胞内で発現させたときの細胞内局在について検討している。将来的に、重金属トランスポーター遺伝子のトランスジェニックシロイヌナズナを作出し、重金属蓄積性および浄化活性を検討している。
T-9.カドミウム高蓄積植物のカドミウム高蓄積機構に関する研究
近年注目されているファイトレメディエーションの実用化には、カドミウムを高蓄積する植物種の検索及びその蓄積メカニズムの解明が不可欠である。これまでに発見したCd蓄積種の中から、エンバク類に注目し、Cdの高蓄積メカニズムについて分子生物学的手法を用いて研究している。
T-10.水俣湾水銀耐性菌の分子生態学に関する研究
水俣湾底泥から単離された種々の水銀耐性菌株における水銀耐性遺伝子の分子生態学および上記菌株のうちBacillus属における水銀耐性遺伝子の進化の遺伝生化学を行っている。
環境化学物質の神経系への影響について注目し研究を行っている。特に神経特異的な毒性を示すとされるメチル水銀および有機リンの影響を初代培養神経細胞および神経芽細胞種由来株化細胞を使用し、それらの物質が「神経細胞にどのような影響を引き起こすのか」、「なぜ神経細胞特異的に作用を示すのか」といった問題を解明するため、その作用機序を分子生物学的手法、生化学的手法を用いて検討している。これまでに、低用量のメチル水銀によって神経細胞死が生じることを見出し、その細胞死に細胞内Ca2+の増加、およびCa+2依存性タンパク分解酵素カルパインの活性化が関与していることを明らかにした。さらにはこの低用量メチル水銀誘導性神経細胞死をモデルとして、細胞死を抑制する、すなわち神経保護作用のある物質もいくつか見出している。これからは、化学物質の神経細胞への影響を検討だけではなく、様々な神経細胞変性疾患モデルを使用して神経保護作用を有する物質とその作用機序を明らかにし、神経細胞変性疾患の予防?治療を目指した研究も展開する予定である。
T-11.プロスタグランジン(PG)E2受容体サブタイプEP1の膀胱癌発症?進展への影響
膀胱は体内に取り込まれた物質が排出されるときに、尿として貯蔵される臓器であるので、膀胱癌の発症は生活環境や職種に影響を受けやすい。この膀胱癌は泌尿器系では最も発症頻度が高く、また再発率が非常に高いにもかかわらず、そのメカニズム等についてほとんど検討されていない。一方種々の臓器の癌においてPGE2の産生が亢進しており、PGE2を介した経路が癌の発症?進展へ関与していることが示唆されており、膀胱癌においてもPGE2が関与していると考え以下の研究を行っている。
○PGE2受容体サブタイプであるEP1のアンタゴニスト投与マウスや、EP1KOマウスの膀胱癌発癌モデルを用いたEP1の膀胱癌への影響の検討。
○EP1KOマウスの膀胱癌より調製したEP1KO膀胱癌細胞を用いた血管新生、組織浸潤、細胞増殖などの癌化メカニズムへのEP1受容体の関与の検討。
○特に低酸素応答性転写因子(HIF)に関しては、低酸素でCOX-2の発現が上昇することや、血管内皮増殖因子(VEGF)等PG産生経路と共通のターゲットが存在することから、プロスタグランジン産生経路のアップレギュレートへのHIFの関与及び、EP1を介したシグナルによるHIFの安定化の検討を行っている。
T-12.重金属毒性軽減因子としてのチオレドキシン還元酵素機能の解析(文部科学省科学研究費)
T-13.水銀?カドミウムなど重金属を対象としたファイトレメディエーション戦略の構築(文部科学省科学研究費)
T-14.重金属微量汚染の検出?浄化を同時に達成する複合工学技術の開発(文部科学省科学研究費?東北学院大学?摂南大学との共同研究)
T-15.微量有害化学物質によるシックハウス症候群の病態解明、診断、治療対策に関する研究(厚生労働科学研究費)
T-16.職域の健康障害における作業因子の寄与と予防に関する研究(厚生労働科学研究 費)
T-17.本態性多種化学物質過敏状態の調査研究(環境省?公衆衛生協会委託研究費)
T-18.環境化学物質に対する新しい皮膚刺激試験法の開発(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@医学部?東海大学?ダラス臨床環境医学センターとの共同研究)
T-19.低酸素応答性転写因子による腫瘍血管新生を標的とした新たな抗腫瘍療法の開発 (日本医科大学?カナダトロント大学との共同研究)
T-20.都市型疾病対策、次世代環境リスク評価に関する大型研究拠点形成に関するシステム作り(千葉大学?東京医科歯科大学?国立環境研究所との共同作業)
「農と環境と医療」を連携するための研究課題には、「窒素」、「化学物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「ウイルス」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」、「アイソトープ(含:核医学)」などがある。
この研究室の連携課題には、「化学物質」および「重金属」が考えられる。諸氏のご意見を伺いたい。また、これらの研究課題の範疇についてのご意見も併せて伺いたい。
本の紹介 8:医学の歴史、梶田 昭著、講談社学術文庫(2003)
「医学は人間の、「慰めと癒し」の技術であり、学問である」。このような書き出しで始まる「第一章:人類と医学のあけぼの」は、森の中での医学の始まり、無文字社会の医学、文明の中の医学、古代の治癒神たち、常識と医学と呪術と、回顧と展望-健康を守るための人類の挑戦-、の6つの節からなり、農学との共通項がいくつか認められる。以下に第一章を農学と関連させながら紹介してみよう。
医学のもとをたずねると、鳥やサルが互いにやっている「毛づくろい」にまで、さかのぼることができるという。恒温動物(鳥類や哺乳類)になって、知恵と力が、自分を維持するだけでなく、ほかの個体にまで振り向けることができるようになったのである。野生の食べ物を獲得し、家族や近縁や集団に分け与えてきた農との類似点が認められる。
カナダ生まれでアメリカとイギリスで活躍した大医学者、オスラー(1849-1919)が「看護婦と患者」(1897)という講演の中でこう語っている。
技術として、職業としての看護は近代のものだ。しかし、行いとしての看護は、穴居家族の母親が、小川の水で病気の子供の頭を冷やしたり、あるいは戦争で置き去りにされた負傷者のわきに一握りの食べ物を置いた、はるか遠い過去に起原がある。
オスラーが語る看護の起源は医学の起源でもある、と著者は言う。農学の起原も同様である。人間は大河の傍らに住み、あるいは小川のわきに、基本的な住居としての里をきずき、農を営んできた。われわれが帰るべき脳の故郷には、原風景としていつも川がある。オスラーも、看護と医学の起源を、小川の流れる里に描き出した。
「毛づくろい」がどのくらい続いたのであろうか。やがて知識が集積され、知恵が生まれる。かつての「毛づくろい」は、いつの間にか整髪や化粧の姿をとり、理髪師の仕事になった。「医療の兆し」は、しだいに看護者、外科医、医者の仕事としての形を作っていく。しかし、これらの仕事は、未分化のまま、つまり分離しないで長い間一体であった。
農学でも同じことが言える。野生の食べ物を獲得していた時代は過ぎ、いつの間にか河川の流域に牧畜と農耕が定着していく。農耕民族の誕生である。持てる知識と知恵を活用し、「農産物の増産」は、しだいに生産者、販売者、農具製造者としての姿を作っていく。これもまた医と同様に、未分化のまま一定の期間を経過する。
話が突然それる。理髪店の店頭にある看板の「ねじりん棒」は、どこからきたのか? あの赤は動脈、青は静脈、白は包帯(神経という説もある)のシンボルなのである。かつて外科の仕事は長く理髪師と一で(床屋外科)、外科が医学の一部になったのはずっと後世(十九世紀初)のことである。その由来が、理髪店の「ねじりん棒」なのである。この本はそんな歴史も教えてくれる。
話をもとにもどそう。大河や小川の流れが牧畜と農耕を支え、やがて地球上に「文明」が生まれた。衣食住に関して人間は野生から離れた。著者は語る。「医食同源」という言葉があるが、本当は「医?衣食住」が同源である、と。(「医食同源」については、情報2号の本の紹介2を参照されたい)。
原始医学は、経験と宗教と呪術の要素をもっていた。だから原始社会の医師は一人で医師、僧侶、呪術を兼ねた。この複合人格がシャーマンである。こういう呪術師の一部は、その後もずっと呪術師のままで残る。どんなに人の知恵が開け文明が進んでも、「呪術」は人間の高望みを支える技術として、けっして消え去ることはない-と、著者は述べている。呪術と宗教の衣を脱いだのが現代の医師になる。
中国の医は農との関係が深い。中国においても、古代では「巫(ふ)」(ミコ:舞や音楽で神を招き、神仕えする人)と「医」は一つであった。むしろ巫が本業で医を兼ねていた。醫の字の下は酉で、酒(サケ:薬草を意味する)を表すが、「醫」の下の酉の部分が巫の異体字もある。巫医同職の名残である。薬草の育成は農である。
古代中国には伏羲(ふっき)、神農(しんのう)、黄帝(こうてい)という三人の伝説的な帝王が君臨した。神農と黄帝がとりわけ医学に関係が深い。神農はその名が示すように、農耕と薬農の神である。黄帝は前中国民族の祖神、かつ医学の古典「黄帝内経」の伝説上の作者である。
このほか、古代インドの医学伝説、エジプトの治療神イムホテプ、ギリシャの代表的な治療神アスクレピオスの話が、それぞれの国の神々の物語と共に語られる。
「常識と医学と呪術」の節での著者の次の語りは、農医連携を推進する上で重要な点であろう。
「人間は心身の不調にいつ襲われるか分からない。いったん体調が崩れ、危機感が生ずると第1の「限界要因」に達し、「医学」に頼る。今日では医学と科学は一体と見られているが、一般に人びとは、科学に対しては期待を、医学に対しては願望を寄せる傾向がある。それは医者が僧侶と未分化であった時代の名残であろう」。
さらに、「人間の深層には、常識と呪術を織り交ぜた願望が流れており、それがある条件で「医学」の姿になるが、条件しだいでは、いつでも俗信?常識に戻り、あるいは呪術?宗教に走るのである」。人間の精神は肉体よりも貧欲である。
加えて、「医学はたんなる認識を超えた、悩み(パッショ: passio, patior 苦しむ、耐える、というラテン語の動詞)の学、そして癒し(メヂキィナ:medichina, medeor 癒す、というラテン語の動詞)の学だったのである。いま「医学」と呼ぶ学問?技術は、「悩み」と「癒し」のどちらを看板にするか、両方の可能性があった、と「病理学史」(1937)の著者クランバールはいう。結局、「癒し」(メディキナ)が含む「理想」が勝利して医学 medicine が成立し、「悩み」(パッショ)に含まれる「現実」は病理学(パトロギア pathology)が引き受けたのだが、どちらにとっても荷は重すぎたようである。「時に癒し、しばしば救い、つねに慰む」(Guerir quel-quefois, Soulager souvent, Consoler toujours)。これはアメリカの結核療養所運動の先駆者トルードー(1848-1915)に、患者たちが捧げた感謝の言葉である。つねに、できることは「悩み」に対する「慰め」なのに、たまに(時に)しかできない「癒し」 (medi-cine)を看板に掲げたところに、医学の宿命的なつらさがある」という。
この医学の宿命的なつらさは、それこそどう癒されるか? これまで農医連携について情報を提供してきた。その解答の参考になる事項が、「情報1号:農?環?医にかかわる国内情報1」、「情報2号:農?環?医にかかわる国内情報2」、「情報2号:研究室訪問C」、「情報2号:本の紹介2、ワイル博士の医食同源」、「情報3号:日本農学アカデミー第7回シンポジウム」、「情報4号:研究室訪問L」、「情報5号:農?環?医にかかわる国内情報4.「人と動物の関係学」」などに潜んでいると考えている。
最後の節、「回顧と展望-健康を守るための人類の挑戦-」は、人類の歩みの中で、われわれが健康を守り、病気から逃れる方法をどのように模索してきたかを、「7つの挑戦」という形でまとめている。
第1の挑戦は、人類が儀式を知ったことである。これは墓所の遺跡から推定される。これによって、人びとが共同を必要とする「衛生」という医学作業の可能性が生まれた。農の場合、古神道に見られるような雨風などの災害を避けるための祈願の儀式に、医と共通項がある。
第2の挑戦は、文明の誕生である。農の発展が文明を起こし、文明の進展が農をさらに発達させる関係にあった。
第3の挑戦は、「ヒポクラテス医学」として長く人類の財産になる概念が生まれた。病気は神秘的な出来事ではなく、経験と合理の方法で接近できる自然の過程だという概念である。穀類の中で、とくに古い歴史をもつコムギ?オオムギが自生から栽培によって合理的に生産できることを知ったのは、医の概念と共通する。
第4の挑戦は、紀元前6-7世紀の間に、儒教と道教、仏教とヒンズー教、キリスト教とイスラム教など、人間の魂の解放を目指した哲学?宗教が誕生したことである。それらが物質面?精神面で医学に与えた影響は計り知れない。農業ではその頃、地中海農耕文化、サバンナ農耕文化、根栽農耕文化、新大陸農耕文化、稲作文化が誕生した。
第5の挑戦は、西欧ルネッサンスである。外科と解剖学が発達した。「生きた」生理学と解剖学が始まった。「病院医学」が開花した。ヨーロッパの農業では、三圃式や輪栽式農業が開発された。
第6の挑戦は、働く人びとの病気に向けた医師たちの目とともにあった。産業革命は、資本制下の労働者の生活?健康を悪化させ、公衆衛生学、社会衛生学の緊急な発展を促した。産業革命で増えた都市労働力のための食糧は、輪作農業が支えた。ノーフォーク式農法はフランスとドイツにひろがっていった。
第7の挑戦は、19世紀後半以降の「研究室医学」の発達に始まる。ミュラーの門下に、病理学者のウィルヒョウや、生理学者のヘルムホルツの姿が見える。「疫病」の病因と予防に焦点が向けられた。コッホや北里柴三郎らが病原微生物学、化学療法、免疫学という新しい分野を確立していった。生化学が分子生物学と合体し、生命過程に迫る有力な武器になった。農業では、化学肥料や農薬の製造が始まり農業生産は著しく高まった。さらに、分子生物学が旺盛になり、遺伝子組換え作物が造られた。
さて、人類は20世紀に宇宙から地球を初めて見た。俯瞰的視点を得た。その結果、環境としての地球の限界が明確に見えてきた。核汚染をはじめ化学物質の汚染は、土、水、空はもとより農作物や人体にまで及んでいる。人類が製造した化学物質のうち、今や12万種が地球上をさまよっているといわれる。
医が21世紀に果たす役割は何か? この第1章を読むにつけ、それは、農と環境と医の連携を抜きにしてはありえまい。はたして、この「学長室通信」を提供している筆者たちの穿った偏見と言い切れるかどうか。
「第二章:イオニアの自然哲学とヒポクラテス」では、はるかなる太古の人智が開き始めるところから、イオニア自然学を背景にしたヒポクラテス医学までが語られる。
中国、インド、ギリシャの哲人、孔子、ブッダ、ソクラテスは人間精神を同時的(シンクロニック)に開花した。このなかで、ギリシャのソクラテス以前の自然学が語られる。さらに、ヒポクラテスの医学が紹介される。強調されるのは、ヒポクラテスの自然治癒論である。
「第三章:アテナイの輝きとアレクサンドリアの残光」では、プラトンの自然哲学と「魂」の区分、アリストテレスの解剖を通した生物学、解剖学の父ヘロフィロス、生理学の父エラシストラストなど、が紹介される。
さらに、語源PU(浄化する)に由来するプネウマ pneuma なる概念が解説される。インド人のヴァータ(風)、中国人の「気」にも通ずる。プネウマには、精気、霊魂、霊などの訳語が当てはめられる。
最後に、医学にとっての解剖学が解説される。解剖学は16世紀ころから、まず芸術家の手によって、ついで解剖学者のメスによってさかんになった。「慰めと癒し」に由来した伝統医学は、解剖学と結びつくことによって様相を変え、近代のものになっていった。
「第四章:イエス、ガレノス、そして中世」では、パレスチナの治療師イエス、ローマ人の医学、古代医学の総決算ガレノス(解剖学、生理学、病理学)、中世の医学(サレルノとモンペリエの医学校、病院と看護の起源)、疫病の時代-中世からルネサンスへ-など、が解説される。
「第五章:インドと中国の古代医学」では、医学における紀元1000年と2000年、アジアはなにを貢献してきたか(食と衣に対するアジアの貢献)、古代インドの医学(インダス文明、ヴェーダの時代、呪術から経験医学へ、仏教とアショーカ王の時代、アレクサンドロス大王が来たころ)、古代の中国医学(篇鵠、黄帝内経、傷寒論)など、が解説される。なお、古代の中国医学については、北里研究所附属東洋医学総合研究所初代所長であった大塚敬節の「新装版、漢方医学、創元社」に詳しい。
「第六章:シリア人とアラブ人の世界的役割」では、医学史におけるシリア(ネストリウス派の医学校)、アラビア文明圏の医学(アラビア?ルネサンス)、アル?ラーズィーとイブン?スィーナー、イスラムの衰退と西欧への科学?医学の移転(コンスタンティヌス、イヴン?ルシドとマイモニデス)など、が解説される。
「第七章:芸術家と医師のルネサンス-中国からの「離陸」」では、新しい医学は芸術家の工房から(レオナルド?ダ?ヴィンチ、ミケランジェロ)、大学の成立、二人の全能人(フラカストル、パラケルスス)、アグリコラと「デ?レ?メタリカ」、解剖学者ヴェサリウスと外科医パレ、ジャン?フェルネルとミカエル?セルヴェトウスなど、が紹介される。
「第八章:科学革命の時代」では、ガリレイ?力学?形態学、ハーヴィと血液循環、医物理派と医科学派(ロイヤル?ソサエティと「見えないカレッジ」)、科学とプロテスタンティズム、心と脳の十七世紀、イギリスの「ヒポクラテス」-シデナム、「働く人々の病気」-ラマッチーニなど、が紹介される。
「第九章:近代と現代のはざまで」では、全ヨーロッパの教師ブールハーフェ、植物学者?医師リンネ、アルプスの詩人?生理学者ハラー、ハレの町の二人の医学教授(シュタール、ホフマン)、病理解剖学の花開く-モルガーニ、スコットランドの外科医?病理学者ハンター、天然痘とたたかった医師ジェンナー、ヨハン?ペーター?フランクの医事行政、医学の中の公衆衛生-フランクとルソーなど、が紹介される。
「第十章:シンポの精気の医師と民衆」では、パリの病院医学(ジャン?ニコラ?コルヴィザール、フィリップ?ピネル、ザヴィエ?ビシャ、ルネ?テオフィーユ?イアサント?ラエンネック、フランソア?ジョセフ?ヴィクトール?ブルッセー)、旧ウイーン学派と新ウイーン学派、新ドイツ医学の胎動(ヨハン?ルカス?シェーンライン、ヨハネス?ミュラー、ユストウス?フォン?リービッヒ、カール?アウグスト?ウンダーリッヒ)、クロード?ベルナールの生理学、ウィルヒョウとベルリン医学(ウィルヒョウと「細胞病理学」、生理学者たち、ベルリンの内科医と外科医たち)、病原細胞学の時代(感染と伝染?ミアスマとコンタギオン、ゼンメルワイスと産褥熱、ルイ?パストウール、ローベルト?コッホ、メチニコフの食細胞説、エミール?ベーリング、パウル?エールリヒ)、外科学の進歩を担った人びと(ジョセフ?リスター、テオドール?ビルロード)、衛生学?社会衛生学?社会医学(マックス?ペッテンコーフェル、十九世紀の社会医学者たち、ナイチンゲールと国際赤十字)など、が紹介される。
「第十一章:西欧医学と日本人」では、ルネサンス?東と西、鎖国の中の日本医学-「解体新書」まで、「解体新書」以後、シーボルト?洪庵と泰然?ポンペ、イギリス医学かドイツ医学か、明治のお雇いドイツ人教師たち、明治日本の医学事始めなど、が解説される。
「第十二章:戦争の世紀、平和の世紀」では、生理思想の発展、内分泌学の進歩、栄養とビタミン、病理思想の動向、感染と人間、免疫学の進展、生化学と分子生物学、外科の歩み、環境汚染の進行、臨床医学の反省など、が解説される。
第十二章を第一章と同様に、農医連携の立場から以下それぞれの項を追ってみる。
「生理思想の発展」の項では、生理学と病理学の個別(器官?系統)かつ解析本位の研究に反省が生まれ、全体?総合に目を向ける風潮が芽生えたことが強調される。アメリカの神経学者?生理学者のキャノンが提案したホメオスタシス(生理的恒常性の維持)の概念はその一つの例である。感染生物学者ルネ?デュポスは、自然治癒力はホメオスタシスより複雑で、かつ強力だと主張した。これらの概念は、これまでの医のみでは健康の維持は成立せず、環境や農などとの連携が必要であることを示唆する。
「内分泌学の進歩」の項では、ホルモンが体機能を調節していることが解説される。ここから、内なる生理要素としてのホルモンの分離?応用が始まる。いわば、体が持つ本来の「治癒過程」の抽出物がホルモンといえる。食物に含まれるホルモンの活用は、農医連携の重要な場面であろう。
「栄養とビタミン」の項は、きわめて明解である。日本人の脚気と米ヌカの関係である。米ヌカの有効成分(エイクマン)はビタミンBであった。農産物には数多くのビタミンが含まれている。健全な食物からビタミンを摂取し、健全な肉体を維持することは、実に明解な農医連携である。
「感染と人間」の項では、鳥ウイルスや豚ウイルスなどが人間に感染する例から見ても、農医連携が極めて重要な分野である。「人間と動物の関係学」とも併せて永久に農医連携の研究が必要であろう。とくに、細菌では、「日和見感染」という形で、常在菌までも人体にそむき始めた。どんな薬剤を開発しても、細菌はたちどころに耐性株を作って対応する。細菌の逆襲にどう立ち向かうか。共生の新たな様式の手探りは始まったばかりである。
「生化学と分子生物学」について。ヒトのゲノムが解読された。イネのゲノムも解読された。トリのゲノム解読もできた。今後、これらの解読からヒト、イネ、トリに関わる問題の研究が進化していくことであろう。すでに、組換え体によるスギ花粉症を予防するペプチド含有イネが開発されつつある。
「環境汚染の進行」について。これまで農と環境と医の連携が古くから叫ばれ続けてきた。この情報6号の「農医連携を心した人びと:2.吉岡金市」に記したように、重金属の汚染は、農作物の汚染につながり、その農作物を食したヒトは重金属の障害に苦しむ。過去のカドミウムによるイタイイタイ病や有機水銀による水俣病がよい例である。
この本では、カーソンの「沈黙の春」、有吉佐和子の「複合汚染」、コルボーンらの「奪われし未来」などに、その例が示されている。
「臨床医学の反省」の項では、モリエールの「病は気から」が引用される。「患者の大部分は、病気のために死ぬんじゃなく、薬のために死ぬんです」。解剖学?生理学の教授ホームズはこう言う。「今使われている薬をすべて海の底へ投げ込むがいい。サカナには迷惑だが、人類には大きな福音となろう」。
このとき思うことは、「情報5号」の「農医連携を心したひとびと:1.アレキシス?カレル」に紹介したノーベル生理学?医学賞受賞者のアレキシス?カレルの言葉だ。「人間-この未知なるもの」と題する本の中で警告している。いわく、「土壌が人間生活全般の基礎なのであるから、私たちが近代的農業経済学のやり方によって崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。生き物はすべて土壌の肥沃度(地力)に応じて健康か不健康になる」。すべての食物は、直接的であれ間接的であれ、土壌から生じてくるからである。
第十二章に書かれた「21世紀の医学」は、第一章に書かれた「医学のあけぼの」と同様に、農と環境を無視して医は成り立たないことを述べている。
著者は本書を次の文章で締めくくる。「二十一世紀を迎え、私たちは、医学の真の進歩へ向かう人類の叡智に信頼したい。その叡智を世界の民衆の支えによって、「平和の世紀」実現への力にしたいものである」。
医学のもとをたずねると、鳥やサルが互いにやっている「毛づくろい」にまで、さかのぼることができるという。恒温動物(鳥類や哺乳類)になって、知恵と力が、自分を維持するだけでなく、ほかの個体にまで振り向けることができるようになったのである。野生の食べ物を獲得し、家族や近縁や集団に分け与えてきた農との類似点が認められる。
カナダ生まれでアメリカとイギリスで活躍した大医学者、オスラー(1849-1919)が「看護婦と患者」(1897)という講演の中でこう語っている。
技術として、職業としての看護は近代のものだ。しかし、行いとしての看護は、穴居家族の母親が、小川の水で病気の子供の頭を冷やしたり、あるいは戦争で置き去りにされた負傷者のわきに一握りの食べ物を置いた、はるか遠い過去に起原がある。
オスラーが語る看護の起源は医学の起源でもある、と著者は言う。農学の起原も同様である。人間は大河の傍らに住み、あるいは小川のわきに、基本的な住居としての里をきずき、農を営んできた。われわれが帰るべき脳の故郷には、原風景としていつも川がある。オスラーも、看護と医学の起源を、小川の流れる里に描き出した。
「毛づくろい」がどのくらい続いたのであろうか。やがて知識が集積され、知恵が生まれる。かつての「毛づくろい」は、いつの間にか整髪や化粧の姿をとり、理髪師の仕事になった。「医療の兆し」は、しだいに看護者、外科医、医者の仕事としての形を作っていく。しかし、これらの仕事は、未分化のまま、つまり分離しないで長い間一体であった。
農学でも同じことが言える。野生の食べ物を獲得していた時代は過ぎ、いつの間にか河川の流域に牧畜と農耕が定着していく。農耕民族の誕生である。持てる知識と知恵を活用し、「農産物の増産」は、しだいに生産者、販売者、農具製造者としての姿を作っていく。これもまた医と同様に、未分化のまま一定の期間を経過する。
話が突然それる。理髪店の店頭にある看板の「ねじりん棒」は、どこからきたのか? あの赤は動脈、青は静脈、白は包帯(神経という説もある)のシンボルなのである。かつて外科の仕事は長く理髪師と一で(床屋外科)、外科が医学の一部になったのはずっと後世(十九世紀初)のことである。その由来が、理髪店の「ねじりん棒」なのである。この本はそんな歴史も教えてくれる。
話をもとにもどそう。大河や小川の流れが牧畜と農耕を支え、やがて地球上に「文明」が生まれた。衣食住に関して人間は野生から離れた。著者は語る。「医食同源」という言葉があるが、本当は「医?衣食住」が同源である、と。(「医食同源」については、情報2号の本の紹介2を参照されたい)。
原始医学は、経験と宗教と呪術の要素をもっていた。だから原始社会の医師は一人で医師、僧侶、呪術を兼ねた。この複合人格がシャーマンである。こういう呪術師の一部は、その後もずっと呪術師のままで残る。どんなに人の知恵が開け文明が進んでも、「呪術」は人間の高望みを支える技術として、けっして消え去ることはない-と、著者は述べている。呪術と宗教の衣を脱いだのが現代の医師になる。
中国の医は農との関係が深い。中国においても、古代では「巫(ふ)」(ミコ:舞や音楽で神を招き、神仕えする人)と「医」は一つであった。むしろ巫が本業で医を兼ねていた。醫の字の下は酉で、酒(サケ:薬草を意味する)を表すが、「醫」の下の酉の部分が巫の異体字もある。巫医同職の名残である。薬草の育成は農である。
古代中国には伏羲(ふっき)、神農(しんのう)、黄帝(こうてい)という三人の伝説的な帝王が君臨した。神農と黄帝がとりわけ医学に関係が深い。神農はその名が示すように、農耕と薬農の神である。黄帝は前中国民族の祖神、かつ医学の古典「黄帝内経」の伝説上の作者である。
このほか、古代インドの医学伝説、エジプトの治療神イムホテプ、ギリシャの代表的な治療神アスクレピオスの話が、それぞれの国の神々の物語と共に語られる。
「常識と医学と呪術」の節での著者の次の語りは、農医連携を推進する上で重要な点であろう。
「人間は心身の不調にいつ襲われるか分からない。いったん体調が崩れ、危機感が生ずると第1の「限界要因」に達し、「医学」に頼る。今日では医学と科学は一体と見られているが、一般に人びとは、科学に対しては期待を、医学に対しては願望を寄せる傾向がある。それは医者が僧侶と未分化であった時代の名残であろう」。
さらに、「人間の深層には、常識と呪術を織り交ぜた願望が流れており、それがある条件で「医学」の姿になるが、条件しだいでは、いつでも俗信?常識に戻り、あるいは呪術?宗教に走るのである」。人間の精神は肉体よりも貧欲である。
加えて、「医学はたんなる認識を超えた、悩み(パッショ: passio, patior 苦しむ、耐える、というラテン語の動詞)の学、そして癒し(メヂキィナ:medichina, medeor 癒す、というラテン語の動詞)の学だったのである。いま「医学」と呼ぶ学問?技術は、「悩み」と「癒し」のどちらを看板にするか、両方の可能性があった、と「病理学史」(1937)の著者クランバールはいう。結局、「癒し」(メディキナ)が含む「理想」が勝利して医学 medicine が成立し、「悩み」(パッショ)に含まれる「現実」は病理学(パトロギア pathology)が引き受けたのだが、どちらにとっても荷は重すぎたようである。「時に癒し、しばしば救い、つねに慰む」(Guerir quel-quefois, Soulager souvent, Consoler toujours)。これはアメリカの結核療養所運動の先駆者トルードー(1848-1915)に、患者たちが捧げた感謝の言葉である。つねに、できることは「悩み」に対する「慰め」なのに、たまに(時に)しかできない「癒し」 (medi-cine)を看板に掲げたところに、医学の宿命的なつらさがある」という。
この医学の宿命的なつらさは、それこそどう癒されるか? これまで農医連携について情報を提供してきた。その解答の参考になる事項が、「情報1号:農?環?医にかかわる国内情報1」、「情報2号:農?環?医にかかわる国内情報2」、「情報2号:研究室訪問C」、「情報2号:本の紹介2、ワイル博士の医食同源」、「情報3号:日本農学アカデミー第7回シンポジウム」、「情報4号:研究室訪問L」、「情報5号:農?環?医にかかわる国内情報4.「人と動物の関係学」」などに潜んでいると考えている。
最後の節、「回顧と展望-健康を守るための人類の挑戦-」は、人類の歩みの中で、われわれが健康を守り、病気から逃れる方法をどのように模索してきたかを、「7つの挑戦」という形でまとめている。
第1の挑戦は、人類が儀式を知ったことである。これは墓所の遺跡から推定される。これによって、人びとが共同を必要とする「衛生」という医学作業の可能性が生まれた。農の場合、古神道に見られるような雨風などの災害を避けるための祈願の儀式に、医と共通項がある。
第2の挑戦は、文明の誕生である。農の発展が文明を起こし、文明の進展が農をさらに発達させる関係にあった。
第3の挑戦は、「ヒポクラテス医学」として長く人類の財産になる概念が生まれた。病気は神秘的な出来事ではなく、経験と合理の方法で接近できる自然の過程だという概念である。穀類の中で、とくに古い歴史をもつコムギ?オオムギが自生から栽培によって合理的に生産できることを知ったのは、医の概念と共通する。
第4の挑戦は、紀元前6-7世紀の間に、儒教と道教、仏教とヒンズー教、キリスト教とイスラム教など、人間の魂の解放を目指した哲学?宗教が誕生したことである。それらが物質面?精神面で医学に与えた影響は計り知れない。農業ではその頃、地中海農耕文化、サバンナ農耕文化、根栽農耕文化、新大陸農耕文化、稲作文化が誕生した。
第5の挑戦は、西欧ルネッサンスである。外科と解剖学が発達した。「生きた」生理学と解剖学が始まった。「病院医学」が開花した。ヨーロッパの農業では、三圃式や輪栽式農業が開発された。
第6の挑戦は、働く人びとの病気に向けた医師たちの目とともにあった。産業革命は、資本制下の労働者の生活?健康を悪化させ、公衆衛生学、社会衛生学の緊急な発展を促した。産業革命で増えた都市労働力のための食糧は、輪作農業が支えた。ノーフォーク式農法はフランスとドイツにひろがっていった。
第7の挑戦は、19世紀後半以降の「研究室医学」の発達に始まる。ミュラーの門下に、病理学者のウィルヒョウや、生理学者のヘルムホルツの姿が見える。「疫病」の病因と予防に焦点が向けられた。コッホや北里柴三郎らが病原微生物学、化学療法、免疫学という新しい分野を確立していった。生化学が分子生物学と合体し、生命過程に迫る有力な武器になった。農業では、化学肥料や農薬の製造が始まり農業生産は著しく高まった。さらに、分子生物学が旺盛になり、遺伝子組換え作物が造られた。
さて、人類は20世紀に宇宙から地球を初めて見た。俯瞰的視点を得た。その結果、環境としての地球の限界が明確に見えてきた。核汚染をはじめ化学物質の汚染は、土、水、空はもとより農作物や人体にまで及んでいる。人類が製造した化学物質のうち、今や12万種が地球上をさまよっているといわれる。
医が21世紀に果たす役割は何か? この第1章を読むにつけ、それは、農と環境と医の連携を抜きにしてはありえまい。はたして、この「学長室通信」を提供している筆者たちの穿った偏見と言い切れるかどうか。
「第二章:イオニアの自然哲学とヒポクラテス」では、はるかなる太古の人智が開き始めるところから、イオニア自然学を背景にしたヒポクラテス医学までが語られる。
中国、インド、ギリシャの哲人、孔子、ブッダ、ソクラテスは人間精神を同時的(シンクロニック)に開花した。このなかで、ギリシャのソクラテス以前の自然学が語られる。さらに、ヒポクラテスの医学が紹介される。強調されるのは、ヒポクラテスの自然治癒論である。
「第三章:アテナイの輝きとアレクサンドリアの残光」では、プラトンの自然哲学と「魂」の区分、アリストテレスの解剖を通した生物学、解剖学の父ヘロフィロス、生理学の父エラシストラストなど、が紹介される。
さらに、語源PU(浄化する)に由来するプネウマ pneuma なる概念が解説される。インド人のヴァータ(風)、中国人の「気」にも通ずる。プネウマには、精気、霊魂、霊などの訳語が当てはめられる。
最後に、医学にとっての解剖学が解説される。解剖学は16世紀ころから、まず芸術家の手によって、ついで解剖学者のメスによってさかんになった。「慰めと癒し」に由来した伝統医学は、解剖学と結びつくことによって様相を変え、近代のものになっていった。
「第四章:イエス、ガレノス、そして中世」では、パレスチナの治療師イエス、ローマ人の医学、古代医学の総決算ガレノス(解剖学、生理学、病理学)、中世の医学(サレルノとモンペリエの医学校、病院と看護の起源)、疫病の時代-中世からルネサンスへ-など、が解説される。
「第五章:インドと中国の古代医学」では、医学における紀元1000年と2000年、アジアはなにを貢献してきたか(食と衣に対するアジアの貢献)、古代インドの医学(インダス文明、ヴェーダの時代、呪術から経験医学へ、仏教とアショーカ王の時代、アレクサンドロス大王が来たころ)、古代の中国医学(篇鵠、黄帝内経、傷寒論)など、が解説される。なお、古代の中国医学については、北里研究所附属東洋医学総合研究所初代所長であった大塚敬節の「新装版、漢方医学、創元社」に詳しい。
「第六章:シリア人とアラブ人の世界的役割」では、医学史におけるシリア(ネストリウス派の医学校)、アラビア文明圏の医学(アラビア?ルネサンス)、アル?ラーズィーとイブン?スィーナー、イスラムの衰退と西欧への科学?医学の移転(コンスタンティヌス、イヴン?ルシドとマイモニデス)など、が解説される。
「第七章:芸術家と医師のルネサンス-中国からの「離陸」」では、新しい医学は芸術家の工房から(レオナルド?ダ?ヴィンチ、ミケランジェロ)、大学の成立、二人の全能人(フラカストル、パラケルスス)、アグリコラと「デ?レ?メタリカ」、解剖学者ヴェサリウスと外科医パレ、ジャン?フェルネルとミカエル?セルヴェトウスなど、が紹介される。
「第八章:科学革命の時代」では、ガリレイ?力学?形態学、ハーヴィと血液循環、医物理派と医科学派(ロイヤル?ソサエティと「見えないカレッジ」)、科学とプロテスタンティズム、心と脳の十七世紀、イギリスの「ヒポクラテス」-シデナム、「働く人々の病気」-ラマッチーニなど、が紹介される。
「第九章:近代と現代のはざまで」では、全ヨーロッパの教師ブールハーフェ、植物学者?医師リンネ、アルプスの詩人?生理学者ハラー、ハレの町の二人の医学教授(シュタール、ホフマン)、病理解剖学の花開く-モルガーニ、スコットランドの外科医?病理学者ハンター、天然痘とたたかった医師ジェンナー、ヨハン?ペーター?フランクの医事行政、医学の中の公衆衛生-フランクとルソーなど、が紹介される。
「第十章:シンポの精気の医師と民衆」では、パリの病院医学(ジャン?ニコラ?コルヴィザール、フィリップ?ピネル、ザヴィエ?ビシャ、ルネ?テオフィーユ?イアサント?ラエンネック、フランソア?ジョセフ?ヴィクトール?ブルッセー)、旧ウイーン学派と新ウイーン学派、新ドイツ医学の胎動(ヨハン?ルカス?シェーンライン、ヨハネス?ミュラー、ユストウス?フォン?リービッヒ、カール?アウグスト?ウンダーリッヒ)、クロード?ベルナールの生理学、ウィルヒョウとベルリン医学(ウィルヒョウと「細胞病理学」、生理学者たち、ベルリンの内科医と外科医たち)、病原細胞学の時代(感染と伝染?ミアスマとコンタギオン、ゼンメルワイスと産褥熱、ルイ?パストウール、ローベルト?コッホ、メチニコフの食細胞説、エミール?ベーリング、パウル?エールリヒ)、外科学の進歩を担った人びと(ジョセフ?リスター、テオドール?ビルロード)、衛生学?社会衛生学?社会医学(マックス?ペッテンコーフェル、十九世紀の社会医学者たち、ナイチンゲールと国際赤十字)など、が紹介される。
「第十一章:西欧医学と日本人」では、ルネサンス?東と西、鎖国の中の日本医学-「解体新書」まで、「解体新書」以後、シーボルト?洪庵と泰然?ポンペ、イギリス医学かドイツ医学か、明治のお雇いドイツ人教師たち、明治日本の医学事始めなど、が解説される。
「第十二章:戦争の世紀、平和の世紀」では、生理思想の発展、内分泌学の進歩、栄養とビタミン、病理思想の動向、感染と人間、免疫学の進展、生化学と分子生物学、外科の歩み、環境汚染の進行、臨床医学の反省など、が解説される。
第十二章を第一章と同様に、農医連携の立場から以下それぞれの項を追ってみる。
「生理思想の発展」の項では、生理学と病理学の個別(器官?系統)かつ解析本位の研究に反省が生まれ、全体?総合に目を向ける風潮が芽生えたことが強調される。アメリカの神経学者?生理学者のキャノンが提案したホメオスタシス(生理的恒常性の維持)の概念はその一つの例である。感染生物学者ルネ?デュポスは、自然治癒力はホメオスタシスより複雑で、かつ強力だと主張した。これらの概念は、これまでの医のみでは健康の維持は成立せず、環境や農などとの連携が必要であることを示唆する。
「内分泌学の進歩」の項では、ホルモンが体機能を調節していることが解説される。ここから、内なる生理要素としてのホルモンの分離?応用が始まる。いわば、体が持つ本来の「治癒過程」の抽出物がホルモンといえる。食物に含まれるホルモンの活用は、農医連携の重要な場面であろう。
「栄養とビタミン」の項は、きわめて明解である。日本人の脚気と米ヌカの関係である。米ヌカの有効成分(エイクマン)はビタミンBであった。農産物には数多くのビタミンが含まれている。健全な食物からビタミンを摂取し、健全な肉体を維持することは、実に明解な農医連携である。
「感染と人間」の項では、鳥ウイルスや豚ウイルスなどが人間に感染する例から見ても、農医連携が極めて重要な分野である。「人間と動物の関係学」とも併せて永久に農医連携の研究が必要であろう。とくに、細菌では、「日和見感染」という形で、常在菌までも人体にそむき始めた。どんな薬剤を開発しても、細菌はたちどころに耐性株を作って対応する。細菌の逆襲にどう立ち向かうか。共生の新たな様式の手探りは始まったばかりである。
「生化学と分子生物学」について。ヒトのゲノムが解読された。イネのゲノムも解読された。トリのゲノム解読もできた。今後、これらの解読からヒト、イネ、トリに関わる問題の研究が進化していくことであろう。すでに、組換え体によるスギ花粉症を予防するペプチド含有イネが開発されつつある。
「環境汚染の進行」について。これまで農と環境と医の連携が古くから叫ばれ続けてきた。この情報6号の「農医連携を心した人びと:2.吉岡金市」に記したように、重金属の汚染は、農作物の汚染につながり、その農作物を食したヒトは重金属の障害に苦しむ。過去のカドミウムによるイタイイタイ病や有機水銀による水俣病がよい例である。
この本では、カーソンの「沈黙の春」、有吉佐和子の「複合汚染」、コルボーンらの「奪われし未来」などに、その例が示されている。
「臨床医学の反省」の項では、モリエールの「病は気から」が引用される。「患者の大部分は、病気のために死ぬんじゃなく、薬のために死ぬんです」。解剖学?生理学の教授ホームズはこう言う。「今使われている薬をすべて海の底へ投げ込むがいい。サカナには迷惑だが、人類には大きな福音となろう」。
このとき思うことは、「情報5号」の「農医連携を心したひとびと:1.アレキシス?カレル」に紹介したノーベル生理学?医学賞受賞者のアレキシス?カレルの言葉だ。「人間-この未知なるもの」と題する本の中で警告している。いわく、「土壌が人間生活全般の基礎なのであるから、私たちが近代的農業経済学のやり方によって崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。生き物はすべて土壌の肥沃度(地力)に応じて健康か不健康になる」。すべての食物は、直接的であれ間接的であれ、土壌から生じてくるからである。
第十二章に書かれた「21世紀の医学」は、第一章に書かれた「医学のあけぼの」と同様に、農と環境を無視して医は成り立たないことを述べている。
著者は本書を次の文章で締めくくる。「二十一世紀を迎え、私たちは、医学の真の進歩へ向かう人類の叡智に信頼したい。その叡智を世界の民衆の支えによって、「平和の世紀」実現への力にしたいものである」。
本の紹介 9:医学概論とは、澤瀉久敬(おもだかひさゆき)著、誠信書房(1987)
薬学?医学?看護学?医療衛生学関係の方々はすでに読まれ、いまや古典ともいえる本であろうが、農と環境の研究?教育に携わっておられる方々には、農?環境?医の連携を考えるうえで貴重かつ豊富な哲学が包含されているので、この本を敢えて紹介する。
この本は、「医学概論とは」、「医学の哲学」、「人間と医療」および「医学概論について」という著者の講演内容などをまとめたものだ。なかでも「医学概論とは」の副題は、-博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@「医の哲学と倫理を考える会」談話-、と題され1979年6月29日に講演されたもので、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ときわめて関係が深い。
さらに「医学の哲学」の副題は、-医学概論開講四十年を迎えて-、と題され、講演の最後の部分で博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@医学部に医学原論研究部門が施設されたことを言祝いでいる。1980年7月に書き上げられたものだ。
これら四つの作品のなかには重複する部分が認められるので、ここでは、はじめの二つ「医学概論とは」と「医学の哲学」について紹介する。まず、「医学概論とは」から始める。
「医学概論とは」
まず「概論」の説明がある。われわれが、これまでよく耳にしてきた概論は、入門(introduction)や手引き(Einfuhrung)である。生物学概論、物理学概論を思い起こせばよい。著者のいう概論は、科学の哲学という意味で使っている。哲学者の田辺元の「科学概論」、法哲学、経済原論、農学原論などを思い起こせばよい。著者は、講演の終わりで、医学概論を医学原論に変えた方がよいとも主張する。
続いて「医学の哲学」が語られる。哲学とは何か。科学と哲学はどのように異なるかを考えれば、哲学の意味がはっきりするという。科学は、自分の外のことで、objectである。事実の観察であり、実験である。哲学は、自分の内のことで、subjectである。自分であり、反省であり、自覚であり、自己批判であるという。
医学とは何を研究するのか。生命の哲学ではない。医の倫理でもない(ただし、医学概論のひとつではある)。医道論だけでもない。
医学は、物理的な生命現象だけでなく精神現象も考慮する。単に自然科学とだけ考えるのではなく、社会科学でもなければならない。病気を治す学であり術である。病気の治療と予防に関する学問であるだけでなく、健康に関する学問でもある。これは、単に健康維持の学問であるばかりでなく、すすんで健康を増進する学問でもなければならない。
ここまでくると、医学概論の問題は、単に医学とは何であるかを研究するだけでは不十分で、医学はいかにあるべきかという問題にはいる。研究対象は無際限である。よりよい医学の道への自省と改革になる。だから医学概論がいる、と著者は語る。
これらのことは、農医連携が医学概論とも密接に関わっていることを示している。病気の予防、健康の増進、安全で健康な食品、環境保全型農業、癒しの農などのために、農医連携は欠かせない事象である。これについての研究や教育は、今後ますます必要になってくるであろう。これまで、このことがあまり強調されなかったことが不思議なくらいだ。
続いて「医学概論の三つの必要性」が解説される。なぜ医学概論が必要か。それは、正しくよりよい医学になるため、医学教育のため、国民全体の病気と健康を守り国民を幸せにするためなのだ。
「医学概論の方法」の項では、次のことが強調される。「生きるために医師になる」のでなく、「立派に生きるために」医師になる。医学と医術と医道は渾然として一つだ。それを可能にすることが、医学概論を学ぶこと、あるいは教えることだと説く。これは、どこから出発してもいい。小児科学からでも、病院長の病院とは何かという問題からも出発していいという。
最後の「医学原論の確立を」では、この学問を講義だけで終わることは忍びない。講座を設立しなければならないと強調する。一人の人間の頭だけで考えるだけでは新しいことは生まれない。調査、実験が必要で、これを研究する人がいるというのだ。
そして最後に、いままでは諸々の理由で「医学概論」として展開してきたが、この表現は曖昧だ。その点から言えば、「医学原論講座」とか「医学原論研究室」という呼び方をするのも一つの考え方ではないかと思う、と結ぶ。
「医学の哲学-医学概論開講四十年を迎えて-」
1.医学論を判明に
「医学の哲学」という主題には二つの問題がある。それは、医学というものを哲学はどう理解するか、「医学の哲学」とはどのような哲学であるか、の二点である。著者はこれらのことを、医学概論を学問として確立し、講座にすることから得た経験を通して解説する。
世に「医学の哲学」について三つの考え方がある。1)医学について哲学不要論、2)医学について哲学必要論、3)そのいずれも賛成論。3)が著者の考え方だ。
哲学が不要と主張する人は、次のように語る。古代ギリシャでは医学と哲学はいっしょであった。これが17-18世紀に分離し、科学として独立した。医学は真に学問になった。今、哲学をもちこむのは時代の逆行である。医学に哲学は無用なだけでなく有害である。
哲学を必要とする人はどうか。医学は病気を治すものではなく、病人を治すものである。病人は単に生物ではなく、身体的苦痛と精神的苦痛をもつ。また、家族を有し社会生活を営んでいる人間だ。医者は、その人間にとって医療技術者としてだけに留まれない。彼らの人生とは何かを知るために哲学を身につけるべきだ。
著者は語る。不要論も必要論も医学と哲学を、赤と黒、海と山というように対立させて不要と必要を説いている。「医学と哲学」でなく「医学の哲学」である。医学は科学で存在の一部を対象とする。哲学は、存在の全体をみ、全体が対象となる。いわば存在論である。医学という学問はどういう学問であるかを原理的根本的に論ずるために、「医学の哲学」が必要と説く。
別の表現をすれば、医学概論は医学が自己反省をする学問だ。より良い自分を創造しようとするものに似ている。弦につがえた矢を前に飛ばすために、矢をうしろに引くようなものと説く。医学概論の講義をもたぬ医学部は、要をもたぬ扇であると喝破する。
2.医学概論を明晰に
医学界にあって、新たに医学概論を開講するに当たっての著者の並々ならぬ苦労が語られる。それは、五里霧中、混沌そのものであったようだ。開講の翌年、「大阪医事新誌」には次の文章が掲載される。
「大理石は自らいかなる姿を与えられるかを知らないのみならず、その大理石に真理の女神を刻もうとする彫刻家自身、やがて浮かび出るべきその彫像の姿を前もって明示することはできない。彫刻家の一鑿一鑿によって大理石は自らを女神の像として現してくるのである」と。
著者が創出した医学概論は、次のようなものであった。まず科学論から始めた。ここでは、科学のほかに哲学という学問があること、科学が哲学化したり、哲学が科学になってはならないこと、しかも哲学と科学はただ反対対立するものではないこと、すなわち、科学と哲学は相補的でなければならないことが主張される。
第二の課題に生命論をおいている。多くの人は医学の哲学と、生命の哲学を混同し、この二つの哲学を区別することさえできないようであると言う。ここの生命論は、生(生命?生活)の立場から医学を論ずるものである。医学は医の学であって、生(命)の学ではない。病気に関する学であるだけでなく、健康に関する学でもある。学とは、ただ理論でなく仁術であり医道でもある。
第三は医学論で、その根本に次のことをおいた。医学は単に自然科学ではなく、社会科学でもある。病気に関する学問であるだけでなく、健康に関する学であり術である。西洋医学だけが医学なのではなく、東洋医学もまた医学である。
さらに、医学概論は理論だけにとどまってはならない、実践にうつさなければならないという信念のもとに、科学論、生命論および医学論の完成に、それぞれ5、5および10年の歳月を費やしたのだ。
驚くべきことは、これほどの努力と誠意を尽くして完成した医学概論についての著者の次の思いだ。「医学の哲学は一つではない。哲学は反省だから、それぞれの立場から研究することができる。医学を反省することによって、さらによりよい医学を造ることができる。だから、私の医学概論は改良されるべきだ。」
3.医学概論を講座に
学生に医学概論を講ずるまえに、その学問的研究が必要だ。長い歳月と多額の研究費がいる。医学概論は、単なる思弁の学ではない。その立場から調査が必要だ。思索を実証するための実験も必要だ。実験講座と変わりはない。
医学とはいかなる学問であるかを、学生の心に深く刻み込むためにも通俗的な医学入門ではなく、講座として純学問的に研究された内容を持つ講義が必要なのだ。
これまでの医学概論の話は、農医連携を思考するうえで貴重な示唆を与えてくれる。例えば、農も常に反省が必要であること。安全で健康を約束する食品を作るために、農薬や肥料の活用をどのように思考するか、農業活動による地球の温暖化をどう解決していくか、あるいは大地を保全するための環境倫理をどのように思考するかなど多くの問題点が反省されなければならない。
医学を志さない者にも一読する価値がある貴重な本だ。そして、「医学の哲学」と同じように、「環境の哲学」、「農の哲学」としての内省が必要なのである。
この本は、「医学概論とは」、「医学の哲学」、「人間と医療」および「医学概論について」という著者の講演内容などをまとめたものだ。なかでも「医学概論とは」の副題は、-博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@「医の哲学と倫理を考える会」談話-、と題され1979年6月29日に講演されたもので、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ときわめて関係が深い。
さらに「医学の哲学」の副題は、-医学概論開講四十年を迎えて-、と題され、講演の最後の部分で博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@医学部に医学原論研究部門が施設されたことを言祝いでいる。1980年7月に書き上げられたものだ。
これら四つの作品のなかには重複する部分が認められるので、ここでは、はじめの二つ「医学概論とは」と「医学の哲学」について紹介する。まず、「医学概論とは」から始める。
「医学概論とは」
まず「概論」の説明がある。われわれが、これまでよく耳にしてきた概論は、入門(introduction)や手引き(Einfuhrung)である。生物学概論、物理学概論を思い起こせばよい。著者のいう概論は、科学の哲学という意味で使っている。哲学者の田辺元の「科学概論」、法哲学、経済原論、農学原論などを思い起こせばよい。著者は、講演の終わりで、医学概論を医学原論に変えた方がよいとも主張する。
続いて「医学の哲学」が語られる。哲学とは何か。科学と哲学はどのように異なるかを考えれば、哲学の意味がはっきりするという。科学は、自分の外のことで、objectである。事実の観察であり、実験である。哲学は、自分の内のことで、subjectである。自分であり、反省であり、自覚であり、自己批判であるという。
医学とは何を研究するのか。生命の哲学ではない。医の倫理でもない(ただし、医学概論のひとつではある)。医道論だけでもない。
医学は、物理的な生命現象だけでなく精神現象も考慮する。単に自然科学とだけ考えるのではなく、社会科学でもなければならない。病気を治す学であり術である。病気の治療と予防に関する学問であるだけでなく、健康に関する学問でもある。これは、単に健康維持の学問であるばかりでなく、すすんで健康を増進する学問でもなければならない。
ここまでくると、医学概論の問題は、単に医学とは何であるかを研究するだけでは不十分で、医学はいかにあるべきかという問題にはいる。研究対象は無際限である。よりよい医学の道への自省と改革になる。だから医学概論がいる、と著者は語る。
これらのことは、農医連携が医学概論とも密接に関わっていることを示している。病気の予防、健康の増進、安全で健康な食品、環境保全型農業、癒しの農などのために、農医連携は欠かせない事象である。これについての研究や教育は、今後ますます必要になってくるであろう。これまで、このことがあまり強調されなかったことが不思議なくらいだ。
続いて「医学概論の三つの必要性」が解説される。なぜ医学概論が必要か。それは、正しくよりよい医学になるため、医学教育のため、国民全体の病気と健康を守り国民を幸せにするためなのだ。
「医学概論の方法」の項では、次のことが強調される。「生きるために医師になる」のでなく、「立派に生きるために」医師になる。医学と医術と医道は渾然として一つだ。それを可能にすることが、医学概論を学ぶこと、あるいは教えることだと説く。これは、どこから出発してもいい。小児科学からでも、病院長の病院とは何かという問題からも出発していいという。
最後の「医学原論の確立を」では、この学問を講義だけで終わることは忍びない。講座を設立しなければならないと強調する。一人の人間の頭だけで考えるだけでは新しいことは生まれない。調査、実験が必要で、これを研究する人がいるというのだ。
そして最後に、いままでは諸々の理由で「医学概論」として展開してきたが、この表現は曖昧だ。その点から言えば、「医学原論講座」とか「医学原論研究室」という呼び方をするのも一つの考え方ではないかと思う、と結ぶ。
「医学の哲学-医学概論開講四十年を迎えて-」
1.医学論を判明に
「医学の哲学」という主題には二つの問題がある。それは、医学というものを哲学はどう理解するか、「医学の哲学」とはどのような哲学であるか、の二点である。著者はこれらのことを、医学概論を学問として確立し、講座にすることから得た経験を通して解説する。
世に「医学の哲学」について三つの考え方がある。1)医学について哲学不要論、2)医学について哲学必要論、3)そのいずれも賛成論。3)が著者の考え方だ。
哲学が不要と主張する人は、次のように語る。古代ギリシャでは医学と哲学はいっしょであった。これが17-18世紀に分離し、科学として独立した。医学は真に学問になった。今、哲学をもちこむのは時代の逆行である。医学に哲学は無用なだけでなく有害である。
哲学を必要とする人はどうか。医学は病気を治すものではなく、病人を治すものである。病人は単に生物ではなく、身体的苦痛と精神的苦痛をもつ。また、家族を有し社会生活を営んでいる人間だ。医者は、その人間にとって医療技術者としてだけに留まれない。彼らの人生とは何かを知るために哲学を身につけるべきだ。
著者は語る。不要論も必要論も医学と哲学を、赤と黒、海と山というように対立させて不要と必要を説いている。「医学と哲学」でなく「医学の哲学」である。医学は科学で存在の一部を対象とする。哲学は、存在の全体をみ、全体が対象となる。いわば存在論である。医学という学問はどういう学問であるかを原理的根本的に論ずるために、「医学の哲学」が必要と説く。
別の表現をすれば、医学概論は医学が自己反省をする学問だ。より良い自分を創造しようとするものに似ている。弦につがえた矢を前に飛ばすために、矢をうしろに引くようなものと説く。医学概論の講義をもたぬ医学部は、要をもたぬ扇であると喝破する。
2.医学概論を明晰に
医学界にあって、新たに医学概論を開講するに当たっての著者の並々ならぬ苦労が語られる。それは、五里霧中、混沌そのものであったようだ。開講の翌年、「大阪医事新誌」には次の文章が掲載される。
「大理石は自らいかなる姿を与えられるかを知らないのみならず、その大理石に真理の女神を刻もうとする彫刻家自身、やがて浮かび出るべきその彫像の姿を前もって明示することはできない。彫刻家の一鑿一鑿によって大理石は自らを女神の像として現してくるのである」と。
著者が創出した医学概論は、次のようなものであった。まず科学論から始めた。ここでは、科学のほかに哲学という学問があること、科学が哲学化したり、哲学が科学になってはならないこと、しかも哲学と科学はただ反対対立するものではないこと、すなわち、科学と哲学は相補的でなければならないことが主張される。
第二の課題に生命論をおいている。多くの人は医学の哲学と、生命の哲学を混同し、この二つの哲学を区別することさえできないようであると言う。ここの生命論は、生(生命?生活)の立場から医学を論ずるものである。医学は医の学であって、生(命)の学ではない。病気に関する学であるだけでなく、健康に関する学でもある。学とは、ただ理論でなく仁術であり医道でもある。
第三は医学論で、その根本に次のことをおいた。医学は単に自然科学ではなく、社会科学でもある。病気に関する学問であるだけでなく、健康に関する学であり術である。西洋医学だけが医学なのではなく、東洋医学もまた医学である。
さらに、医学概論は理論だけにとどまってはならない、実践にうつさなければならないという信念のもとに、科学論、生命論および医学論の完成に、それぞれ5、5および10年の歳月を費やしたのだ。
驚くべきことは、これほどの努力と誠意を尽くして完成した医学概論についての著者の次の思いだ。「医学の哲学は一つではない。哲学は反省だから、それぞれの立場から研究することができる。医学を反省することによって、さらによりよい医学を造ることができる。だから、私の医学概論は改良されるべきだ。」
3.医学概論を講座に
学生に医学概論を講ずるまえに、その学問的研究が必要だ。長い歳月と多額の研究費がいる。医学概論は、単なる思弁の学ではない。その立場から調査が必要だ。思索を実証するための実験も必要だ。実験講座と変わりはない。
医学とはいかなる学問であるかを、学生の心に深く刻み込むためにも通俗的な医学入門ではなく、講座として純学問的に研究された内容を持つ講義が必要なのだ。
これまでの医学概論の話は、農医連携を思考するうえで貴重な示唆を与えてくれる。例えば、農も常に反省が必要であること。安全で健康を約束する食品を作るために、農薬や肥料の活用をどのように思考するか、農業活動による地球の温暖化をどう解決していくか、あるいは大地を保全するための環境倫理をどのように思考するかなど多くの問題点が反省されなければならない。
医学を志さない者にも一読する価値がある貴重な本だ。そして、「医学の哲学」と同じように、「環境の哲学」、「農の哲学」としての内省が必要なのである。
閑話休題:ほとほと散らしつるかも
9月中旬を過ぎても強烈な残暑が続いている。この暑さで、筆者の脳も「ほとほと散りゆかん」状態にある。「ほとほと」と書いて、万葉集にある大友家持が詠んだハギ(萩)の歌に思いが至った。
わが屋戸の 一群萩を 思ふ子に 見せずほとほと 散らしつるかも
解釈:僕の家の和風庭園にある一群の萩を、好きな君に見せずに危うく散らせてしまうところだったよ。ヤバイヤバイ。でもさ、よかった、よかった、見せることができたんだもの。
読者にお伝えしたいのは別の話。筆者の脳から「土?生?世?姓」の関係がほとほと散らないうちにこの関係を紹介する。
「土」の上の横棒は土の表面。下の横棒は底土。表面から上に出ているのが植物の芽。上の横棒と下の横棒の間の縦棒は、植物の根。「生」は、「土」から草の生える形。進むの意味。「世」は、草木の枝葉が分かれて、新芽が出ている形。「姓」は、血縁的集団。
「土」という漢字は、生きていて、土?生?世?姓と成長して時間と空間を超えてしまったとも解釈できませんか。暑さで脳が爆発したのか? と仰るのでしょうか。
わが屋戸の 一群萩を 思ふ子に 見せずほとほと 散らしつるかも
解釈:僕の家の和風庭園にある一群の萩を、好きな君に見せずに危うく散らせてしまうところだったよ。ヤバイヤバイ。でもさ、よかった、よかった、見せることができたんだもの。
読者にお伝えしたいのは別の話。筆者の脳から「土?生?世?姓」の関係がほとほと散らないうちにこの関係を紹介する。
「土」の上の横棒は土の表面。下の横棒は底土。表面から上に出ているのが植物の芽。上の横棒と下の横棒の間の縦棒は、植物の根。「生」は、「土」から草の生える形。進むの意味。「世」は、草木の枝葉が分かれて、新芽が出ている形。「姓」は、血縁的集団。
「土」という漢字は、生きていて、土?生?世?姓と成長して時間と空間を超えてしまったとも解釈できませんか。暑さで脳が爆発したのか? と仰るのでしょうか。
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情報:農と環境と医療 6号 -
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2005年10月1日