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北里研究所教職員テニスクラブ創立50周年記念 来賓祝辞 佐伯 晴敏 様

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来賓祝辞
創部50周年とは???敬意を表します
佐伯 晴敏
元キャタピラー三菱テニス部長
拡張子前文字列 北里教職員テニス部創部50周年記念行事にお招きいただき心から感謝いたしております。ありがとうございました。そして本当におめでとうございます。
 50年とはなんと長い時間かと思うものです。私はすでに80才台後半に至っていますが、50年前はまだ30台半ばであったと思うものです。その長い間、テニス部が立派に存続されてきた北里テニス部には心から敬意を表するものであります。
 50年前とは、1970年代初頭のころですが、私の所属していましたキャタピラー三菱という日米合弁会社が設立され、新たに工場を相模原市に展開したのが1964年、前回の東京オリンピックの年の暮れも押し詰まった12月でした。実質は、翌1965年初めから工場稼働が始まったのですが、工場新設と同時に私も東京丸の内から転勤してきて、テニスコートを作るところから相模原生活を始めることになりました。
 5,6年後の1970年代初期のころ、相模原市内の有力企業?団体=当社以外に、少し遅れてやってきた三菱重工、相模原での先輩企業の昭和石油、新日鉄、帝人、三菱電機、等々(そのとき北里さんが仲間に入っていたか、失礼ながら記憶が定かではありません)のテニスマン仲間が、会社が終わったあと夜な夜な相模原駅周辺の喫茶店などに集まり、市内のテニスマンが交流する場をなんとか作れないかなど語り合いました。その結果、まだ公的組織はできていないので「相模原テニス同好会」などの名前をつけた仮の組織で、コートは弊社も提供して、テニス大会を開催しました。それが数年続いたあと、そのように実体があるテニスグループをベースにして、相模原市へ市の公認団体である「テニス協会」の設立を働きかけ、それが実現しました。具体的に何年だったかは失念しましたが、1970年代半ばのことでした。その設立総会の開会挨拶の原稿を私が書いた覚えがあります。そしてその後いろんなテニス大会が発足して、50年を経た今も盛大に続いているのは、きわめて初期の段階から参画されていた北里さんの団体として、あるいは参加された多くの選手の方々が大きな貢献を果たされてきたといえると思い、感謝するところであります。
 50年とひとことで言いますが、それだけ続くということは簡単なことではありません。当日の川口先生のご講演の中にもありましたとおり、山あり谷ありの50年だったと思います。それを乗り越えての50年に本当に敬意を表するものであります。部員のみなさん、毎週末ごとにテニスコートへ集い、そこで楽しく、切磋琢磨しながらテニスライフを送り、それがテニス部永続にどんな貢献をしているかなどあまり気にせずにテニスを楽しんでおられると推察いたしますが、実はそのことがテニス部永続への多大な貢献だ、と僭越ながら思うのであります。それと恐らくはテニス部幹部役員のリーダシップ?良きマネジメント、大学当局のバックアップなどの力が集まってこのような永続が実現したものと拝察いたします。
 ビジネスの世界では、30年サイクルという俗説かもしれませんが、栄枯盛衰が起こるといわれます。30年を経れば製造の技術革新も進み、商品に変化、製法も改善?進歩、顧客においても意識?流行の革新、好みの変化などにより、或るビジネスモデルは変化を余儀なくされます。事業会社の技術部門、製造部門、マーケティング?セールス部門それぞれに時代の変化に遅れないよう、むしろ先取りするよう日々血のにじむような努力を重ねています。その変化に対応できなければそのビジネスモデルは市場から消えざるを得ない、との説であります。医療の世界でも同じかもしれません。川口先生の講演でも触れられましたが、北里テニス部も波風なく50年を過ごしてきたものではないといわれ、私もそうだろうなと想像します。それだけに30年を超えて50周年記念の行事をこのように盛大に開催されることに心から敬意を表するものであります。

 話は私事にわたり恐縮ですが、私は何よりも好きなテニスという趣味があります。しかしそれはアウトドア、定年後はなにか室内でもできる趣味をもちたいと仏教の勉強を始めました。本をたくさん読むことのほかに、カルチャーセンターなどへ出かけて講座を聞くのですが、そこで勉強したなかに、お釈迦様の晩年弟子たちが、「お釈迦さまに教えを頂きながら修行を続けてきましたが、お釈迦さま亡きあとはどうやって仏教修行を続けていけばよいでしょうか?」とお尋ねしました。それに対するお釈迦様の答えは「自燈明、法燈明」を頼りにせよでした。自燈明とは、他人を頼りとせず、自分が修行で身につけた仏道を頼りとしてさらに修行を続けよ、そして仏教の教えの本質(それを「法」という)を頼りとして仏道に励め、と云われたそうです。テニスマンも自分に自信をもって、そしてコーチなどの指導に含まれる本質を大事にして練習に励むことの大事さに通じるのではないでしょうか?いよいよ臨終が近づいたときに弟子が「何か言い残すことはありませんか?」と尋ねたのに対して、お釈迦様は菩薩の仏(ホトケ)になるための修行項目である六波羅蜜の内のひとつ「精進」をとりあげ「ただひとつ『精進』を続けよ」と言われたそうです。何よりも大事なのは「精進=努力」を続けることと言われたのであります。みなさんは仏教にかぶれる必要はありませんが、「自燈明、法燈明」の精神をクラブ員としては大事にされ、かつそれぞれの個人におかれてはテニスのプレーに「精進=努力」を続けられ、一層楽しいテニスライフをエンジョイされ、その延長線上にこのクラブが永続し発展されることを祈ってやみません。
 ありがとうございました。
 

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