北里研究所教職員テニスクラブ創立50周年記念 来賓祝辞 猪又 一晃 様
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来賓祝辞
創部50周年とは???敬意を表します
猪又 一晃
元新キャタピラー三菱テニスクラブ
元新キャタピラー三菱テニスクラブ

この度、伊藤先生より貴クラブ50周年に寄せて、私のテニス人生を紹介する機会を頂き僭越ながら、私のテニスとの出会いと歩みを記させて頂きます。
私は、中学校まで馬鹿が付くほどの野球好きで、来る日も来る日も野球ばかりしておりました。担任の先生からは、「お前は、野球気違いだから、あだ名は『野キチ』だ!」と言われるほどでした。そんな私とテニスの出会いは、中3で野球部を引退した後で、軟式庭球部の顧問だった先生に何となく、テニスやらせてくださいと言って、やらせてもらったのが最初だったと思います。
高校入学が決まった後に、かの有名な「原辰徳さん」を中学時代に指導した我が野球の恩師(当時、神奈川県で3指に入る指導者)に進学先を報告に行った際、普段は「中学野球をやっていたから高校でも野球とはいかない。」が持論の先生が、「お前ならやっても良いのではないか。」と言われ、私の心は大いに揺れました。母に相談したところ、野球部だけはやめてくれと涙まで流して懇願されたので、私の野球は終わりだと悟りました。因みに、私の進学先は私が、中一の時に甲子園で優勝し、進学先と目標にした学校です。そこは「東海大学附属相模高等学校」でした。
入学後に、野球が出来ないなら、一番楽そうな運動部に入ろうと思い選んだのが、中学の時にかじったテニスでした。東海相模には、当時としては珍しく硬式テニス部があり興味を惹かれました。コートの場所は、期せずして野球場のレフト後方で、良くホームランボールが飛んで来ました。練習は野球に比べれば、どうということありませんでした。部員も多かったので、尚更ボールを打つ時間も少なく、ランニングばかりしていた印象です。ただ、一年生の時は壁打ちがあったので、私一人で野球部の照明が落ちるまで壁と格闘していました。このように、テニスにのめり込んでいきました。入部3か月で新人戦に出場しましたが、テニスのマナーも中途半端で野球仕込みの気合で試合中も1球ごとに大声を上げていました。しかし、経験を積み重ね徐々に試合の雰囲気に馴染み、大会で他校の選手と仲良くなり、大会中に巨人の長嶋茂雄の物まねをして皆を笑わしたりしていました。こんな私ですので高校時代は、ダブルスで県ベスト4が最高成績でした。
大学では、関東理工系新人戦シングルス2年連続準優勝、理工系全体のダブルス優勝、関東大学ではダブルス関東学生本戦出場(2回戦進出)くらいでした。唐突ですが、実は学生時代に教員を目指しておりました。卒業を前に岡山でテニスが出来る教員が欲しいと話があるので行きませんかと、ヨネックスの方から声をかけて頂きました。当時は、教員は狭き門で、向こうから話があるなどありえない時代にもかかわらず、遠いからと、お断りしてしまいました。大学の友達には「何を考えているのだ、勿体無い」と非難ごうごうでした。そんな学生時代の終わりに、正月のシングルス大会に出て優勝しました。その時の準決勝で勝った相手が神奈川選手権で優勝経験のある方でした。この時点で教員を目指しながら、もう少しテニスを続けてみようと思ってしまいました。そんなこんなで、卒業後テニスコーチをしながら試合に出場する生活を送っていました。
そんな私に故障が出て弱気になった時、テニスクラブの就職の話があり就職しましたが、数年でテニスクラブ(相模ガーデンテニスクラブ)は閉鎖になりました。ここで多くの北里教職員テニスクラブの方と出会わせて頂きました。
その後、縁あって三菱重工業の子会社に就職させて頂き、新キャタピラー三菱の営業所に配属となりました。そこで新キャタピラー三菱のテニス部に入部させて頂きました。テニスのレベルアップは、このクラブに入ってからが一番顕著でした。週末は朝一番にコート整備に行き、チームメイトと毎週(土)(日)にシングルスの試合を3セットしていました。35歳になってから全日本選手権大会出場を目指して3?4年、地方の試合にも参加しましたが、ベスト4止まりでした。仕事も忙しくなり、39歳で一区切りにしました。
相模原市の実業団戦にも参加させて頂き、各実業団の方とも仲良くさせて頂きました。一緒にお酒も飲みました。(北里の川口先生とは朝まで飲んだことがあります)特に北里のチームは、他の実業団チームと違い若い方が次から次と参加され層の厚さを感じました。特に卒業生が即参加されると脅威でした。力とスピードで押してくる方、テクニックと奇抜な作戦で来る方ありで、それに対応するために考えを巡らすことも大変楽しかったです。お互いの切磋琢磨があり、成長させて頂きました。
北里の皆様には、仕事上でも大変お世話になりました。このように、多くの方々ご支援があり、今日を迎えられております。感謝しかございません。
定年退職後は、職安の紹介で相模原インドアテニススクールのコーチをしております。経験を積み重ねたおかげで、若い頃のレッスンより内容が充実している気がしております。私が担当しているクラスは年齢層が高いのですが、皆さん成長されています。テニスは、いくつになっても成長出来るスポーツだと思います。
私事が長くなりましたが、北里教職員テニスクラブの皆様には末永くテニスを楽しんで頂けますよう祈念しております。
このように、私のテニスの歩みを振り返る機会を頂いたことに感謝申し上げます。
末筆ながら北里教職員テニスクラブは、永久に不滅です! (あれ?これも、物まね)